Saturday, December 23, 2006

ストラップ


 携帯を買い直した。2年前に買った携帯はデザイン的にも骨董品のようになっていた。
 先週自宅に帰ったとき、娘たちに新しい携帯を見せびらかしていたら、下の娘がストラップは付けないのかと私に聞いた。私が買った携帯ショップにはストラップは置いていなかったし、会社の近くで何処にストラップが売ってあるかも知らないので、そのまま付けずにいたのである。
 娘たちにいらないストラップがあるならくれないかと言った。下の娘がストラップではなく、キイホルダーを部屋からたくさん持ってきてテーブルの上に並べて見せた。 残念だがキイホルダーでは携帯に付けることはできない。
 そうこうしていると上の娘が、白い紐に数珠のような物を通し持ってきた。よく見ると玉に私の名前が書いてある。ちょっとばかり紐が太く携帯に通すのに苦労したが、何とか付けることができた。いつも私に悪態ばかりついているが、やさしいところもあるのである。嬉しくてそのストラップをあちこちで自慢したのだった。

春吉橋


 金曜の夜、会社の仲間と飲んだ。1軒2軒とはしごして回り、気づいた時には終電の時刻を過ぎていた。しょうが無くサウナに泊まり、夜を明かした。5時半ごろ天神のサウナを出て、博多駅までの道をひとり歩いた。
 博多の夜明けは遅い。外はまだ真っ暗で、夜が明ける気配は一向にない。中州あたりでは、屋台の片付けの最中で、今しがたまで繰り広げられていた饗宴の余韻がそこらじゅうに残っていた。
 そう言えば昨夜から大した物も食べていない。1軒だけ開いていたラーメン屋を見つけ暖簾をくぐった。
 店内には常連客の男、それにお勤め帰りと思われる水商売風の女性がいた。店主の妻はタバコをくわえ、通りを眺めながら、常連客に正月休みがいつまでか話していた。水商売風の女性はバックからマニキュアを取り出し、左手の小指から塗り始めた。自分の指を塗り終わると、今度は店主の妻の手を取り塗り出した。客のそれぞれが、決して上出来だとはいえない人生に、ささやかな喜びを見つけ生きているような気がした。
  紅生姜が入ったラーメンをゆっくりと食べ、ようやくおなかも落ち着いた。勘定を済ませ表に出ようとしたら、水商売風の女性が不意に顔を上げ、「おやすみなさい」と私に微笑みながら言った。驚いたが私も「おやすみ」と返し表に出た。
 春吉橋を渡り、博多の街の優しさを感じながら、駅へとまたひとり歩いた。夜が白々と明け始めていた。

Sunday, December 17, 2006

クリスマスプレゼント

 週末、東京にいた。3週間振りに家族の待つ自宅に帰った。
 もうすぐクリスマス。娘たちにはお歳暮を買いに行くからと留守番をさせ、家内と二人トイザラスにクリスマスプレゼントを買いに行った。
 ゲームコーナーで娘たちが欲しがっているソフトを探した。妹の欲しがっているソフトはすぐ見つかったが、姉の言っていたソフトが無かった。
 しょうがなく家内が携帯から娘に電話した。「今、サンタさんのところにお願いに来てるんだけど、××のソフトが無いみたい。他のじゃダメ?」。上の娘は小学校5年生。親には言わないが、サンタが実在しないことは知っているはずだ。だが、娘が表面上サンタを信じていると装っている限り、家内もそれに合わせなければならない。
 「じゃあ○○のソフトをサンタにお願いして」。娘も大変である。家内の下手な芝居に付き合わなければいけない。家内と娘のやり取りを聞いていて可笑しくなった。
 家に帰り着き娘達に、サンタにちゃんとお願いしたことを伝えると、下の娘が「サンタさんは何才まで来てくれるの?」と私に質問した。私は苦し紛れに、「サンたすサンで6年生までらしいよ」と言ったら、指を折って、「じゃあ、あと5回来てくれるんだね!」と安心したような顔をしたのだった。   

Sunday, December 10, 2006

今村天主堂

 福岡県大刀洗町にある今村天主堂を見に行った。この教会は日本の教会建築のパイオニアである鉄川与助氏の手によるもので、氏の最高傑作とも言われている。
 鉄川与助氏は、明治12年に長崎五島の大工棟梁の家に生まれる。氏は小学校の高等科を卒業すると家業の手伝いをしながら腕を磨いていった。大学で西洋建築を学んだわけでもなく、来日していた神父に教えを乞い、ほとんど独学で教会建築を設計から施工まで習得していったのである。氏が手がけた教会は長崎を中心に50以上あると言われており、有名な長崎の浦上天主堂も彼の作品である。
 この天主堂は私の実家から車で20分ぐらいのところにある。昔からこの付近をよく通ってはいたが教会に立ち寄ったのは初めてであった。双塔の天主堂が筑紫平野の真ん中に、静かにひっそりと建っている。何ら変哲もない農村の集落に、普通ならば神社があるべきところに、ひっそりと天主堂が建っているのである。
 この地は長崎や天草のキリシタン集落からは遠く孤立しており、信者たちはキリスト教が解禁になるまでの二百数十年もの間、他の土地にキリシタンがいることを知らずに信仰を守り続けたらしい。
 天主堂を仰ぎ、教会のレンガ一個一個に鉄川与助氏の情熱と、信者たちの信仰の深さを感じたのだった。

 写真は私が住む町にあるJR鳥栖駅のホームで撮ったものである。
 JR鳥栖駅は明治22年に開設された鹿児島本線と長崎本線が分岐する駅であり、九州の交通の要所となっている。
 現在私は博多まで通勤しているが、いつもはここから2駅程博多よりの駅を使っている。昨日は鳥栖駅近くのバーで飲むため、博多から快速に乗って鳥栖で降りた。
 駅というものは東京より地方の方が情緒がある。駅舎の近代化が遅れているのが一番の理由だと思うが、それだけではないような気がする。勝手な想像だが、故郷を後にした人々の情念が駅舎に染み込んでいるような、そんな侘しさが生み出す情緒を地方の駅には感じる。
 この駅から出征していった兵士たち。集団就職で故郷を後にした人たち。夢を追い求めこの町を出て行った若者。人生に行き詰まり町を出て行った人々。そんな様々な人たちの思いがホームに染み込んでいるような気がするのである。飲み終えて、そんなことを考えながら電車が来るまで写真を撮ったのだった。  

Sunday, December 03, 2006

銀杏


  気づいたらもう11月は終わっていました。

Saturday, December 02, 2006

マフラー


 マフラーを買った。今日はこれを巻いて、ポケットに手を突っ込んで飲みに行こう。

 来年3月まで実家に居候の身が続く。姉が旅行中なので、私が母の買い物に付き合った。車で5分ばかりのところにあるスーパーに2人で行って、食料品を買い込んだ。
 母はゆっくりとカートを押しながら、私にカレー粉を取って来いだの、豆腐を取って来いだの指図して進んで行く。たまには親孝行しないといけない。ちょこまかちょこまか店内を走り回り、言われた物を取ってきてはカゴに入れた。
 一通り買ってレジに並んだら母が、「お菓子を買ってあげようか」と言った。一体私がいくつだと思っているのだろうか。40過ぎの息子にお菓子はないだろう。呆れたが、これが母親なのだろう。いつまでも子供だと思っているのだ。
 遠い昔、入院していた姉の見舞いに行く途中、ケーキ屋でプリンを買ってもらった時のことを思い出した。

Sunday, November 26, 2006

横浜みなとみらい


 久しぶりの家族サービス。みなとみらいでホットドッグとコーラ、麻婆豆腐と杏露酒、最後にスタバでコーヒー飲んで帰りました。


Saturday, November 25, 2006

電柱

 また出張で東京に戻った。2週間ぶりの下北沢。路地裏の電柱さえも愛しく感じてしまう。
 今夜はちょっと冷え込んだ。気が付けば来週はもう12月。今度はいつ来れるのだろうか。次に来る時はコートを着て歩いているだろう。

Saturday, November 18, 2006

六六軒

 久しぶりに母と姉と3人で食事に行った。食事と言ってもラーメン屋なのだが、私の住む町に昔からある、地元では人気の店である。私も高校生の頃、学校帰りによくお世話になった。店名を「六六軒」と言う。由来は知らないが変わった名前である。
 私が確か小学校3年くらいの時に開店したから、もうかれこれ30年以上続いている。店の主人は今の店を開業する前豆腐屋で働いていた事があり、当時食料品の販売を行っていた我が家に毎朝豆腐を卸しに来ていた。当時から真面目で実直な方だった。 
 かなりお客さんが多いが、いつも夫婦二人でこなしている。10人も入れば一杯になるような店だが、決して店を広げようとはしない。最近駐車場を広げたが店舗の方はそのままである。夫婦ふたりで、ひたすら作っている。二人で手抜きをせずに作るには、この広さが限界だということを店主は知っているのである。 その欲のなさというか、身の丈をわきまえた生き方が偉い。
 厨房を覗いたら奥さんもご主人多少老けられたようだが、元気に働かれていた。中華鍋を振り回す音が店内に響き、ちゃんぽんを食べながら昔と変わらぬ光景を嬉しく思ったのだった。  

週末の夜

 九州に帰ってはじめての週末の夜を迎えた。帰ってきて2回目の金曜だったが、先週は東京に出張だったため、実際には昨日がはじめての金曜となった。
 9時まで残業をして会社を出た。このまま家路に着くには淋しい。東京にいたころは金曜は必ず飲んで帰った。たとえ一人でも飲んで帰った。
 会社を出て福岡の友人に電話したがつながらない。しょうがなく電車に乗り、今度は電車の中から近所の友人に電話したがこれもまたつながらない。急に孤独感に襲われた。一緒に飲んでくれる奴がいない。暖かく迎えてくれる店もないのだ。
 駅について一人焼き鳥屋に入りビールを飲んでいたら、ようやく近所の友人から電話が掛かってきたので、場所を変えて飲むことにした。店を出て、私が住んでいる町の数少ないバーの前で友人を待った。店に入って待てば良かったのだが、一人でドアを開けるのが恥ずかしかった。
 ようやく友人のTが自転車に乗って現れた。Tの後に付いて店に入り、そこで1時間ほど飲んで店を出た。もう1軒行こうとTが言いだしたので、Tの自転車に二人乗りして人気のない商店街を次の店へ向かった。 
 二人乗りをするのは何年ぶりだろう。高校の頃、付き合っていた彼女を自転車に乗せ、よくこの辺りをぶらぶらしたものである。遠い昔の淡い記憶が甦った。
 結局、2軒目のバーで1杯だけ飲んで帰った。写真はそのバーで撮ったものである。友人と飲むのはもちろん楽しい。しかし、基本的には男はひとりで飲むべきである。ひとりでバーに行くべきだと思う。止まり木に腰掛け、居合わせた見ず知らずの客と会話し、その人の人生を垣間見る。これがバーの面白さなのだ。
 早く自分の店を見つけなければいけない。夜は堪らなく淋しいのだ。
     

Sunday, November 12, 2006

出張

 写真の女性は私にいつもお酒を飲ませてくれる、下北沢のバーのオーナーである。
 金曜から出張でまた東京にいた。会社の仲間と六本木で飲んだ後、この店をひとりで訪れた。既に店内は常連のTさんとKさんが来ていた。
 実は先週の金曜日、東京タワーに行った帰りに、この店を家族4人で来たばかりであった。
 その時娘たちはオレンジジュースを、家内はカクテルを飲んだ。家内がオーナーにいつも主人がお世話になっていますと挨拶をしていた。家内は久しぶりに行くバーに、娘たちは初めて経験するバーの雰囲気に少々興奮していたようだった。
 隣り座っていた常連のTさんから頂いた焼き鳥を頬張りながら、小学校2年生の娘が私に、「パパはいつもここで飲んでんの?」と不思議そうな顔をして聞いた。何が不思議だったのだろう。恐らく、夜の下北沢に立ち並ぶ怪しげなバーの数々、狭いバーの中に広がる癒されるような雰囲気、そして何だか得体の知れないお客さんたち。すべてが不思議な世界だったのであろう。
 店を出た後、また下の娘が「パパがいつも行く店はあと何軒あるの?」と聞いた。あと3軒位あるかなと私が答えると、いつもクールな下の娘は、ふーんと無表情に頷いていた。そんなことを聞いてどうするのだろう。他の店にも連れて行けとでも言うのだろうか。

 結局この日も終電近くまで飲んで家族が待つ家に帰った。常連のTさんは明日FC東京のサッカーの試合を見に行くんだと終止嬉しそうにしていた。
 今度はいつ来れるのだろうか。次の出張のため用事を作らなければならない。2週間後位に来れるようにね。

Saturday, November 11, 2006

櫛田神社

 九州に帰った。博多に帰った。
 水曜日、外出する機会があったので、ついでに博多の町をちょっとドライブした。うろついていると櫛田神社に出会した。
 櫛田神社は博多の氏神であり、博多の総鎮守として古くから信仰されている神社である。有名な博多祇園山笠はこの神社の祭事になる。
 駐車場に車を停め、同行していたスタッフと二人で社に向かった。最後に櫛田神社を訪れたのはいつだろう。境内を歩きながら思い出してみた。恐らく、上の娘が生まれた頃、そのころ父が病に伏し、母と二人で病院に父を見舞いに行く途中訪れたのが最後だろう。もう11年も前のことである。11年間で4回引越しをし、そして振り出しに戻ったのである。
 お詣りを済ませ、空を見上げた。秋空に、博多総鎮守ののぼりが風に吹かれ旗めいていた。僕はしばらく足を止め、そのヒラヒラとそよぐのぼりを見上げ、帰って来た、いや、還ってきた実感に浸ったのであった。
         

Saturday, November 04, 2006

東京タワー

 東京最後の思い出に、家族で東京タワーに上った。私は明日九州に帰る。家内達は来年3月、学年終了後帰らせることにした。暫しの間お別れである。
 金曜日、我が部の最後の終礼を行った。部長が会議室で終礼をしようと言った。部長がまず挨拶をし続いて私が挨拶をした。途中で涙が出てきて、言葉に詰まった。スタッフも泣き出した。部長もハンカチを取り出した。このスタッフと4ヶ月しか仕事をしなかったが、この4ヶ月スタッフには苦労のかけっぱなしだった。徹夜が続いた時もあった。やかましく叱ったこともあったが、嫌な顔ひとつせず連いてきてくれた。スタッフに助けられ無事プロジェクトを成功させることができたのである。最後に私が「解散!お疲れさまでした。」と締めくくり会議室を後にした。
 
 夜景が果てしなく眼下に広がっている。車のテールランプの赤が延々と続いている。暫し東京ともお別れである。この夜景ともお別れである。
 東京よありがとう。出逢った人たちよありがとう。
 そしてまた逢う日まで。   

Sunday, October 29, 2006

辞令

 急遽異動となった。11月から福岡勤務を命じられた。あらかじめ異動の話は聞かされていたが、まさか福岡になるとは思っていなかった。てっきり東京だと思っていた。ショックだった。
 娘たちに私から話をした。宿題をしていた上の娘が、鉛筆を握りしめたまま泣き出した。下の娘は家内に抱きついて泣いた。娘を抱きしめがなら家内が「私たちは福岡から来たの。だから福岡に帰らないといけないのよ。」と言って聞かせた。そう、私たちは帰らないといけないのだ。帰らないといけない時が来たのである。
 土曜日、下の娘を車に乗せ、六本木の事務所に行った。職場を一度見せておきたかった。ブルーハーツの「1001のバイオリン」をiPodで何度も聞きながら車を走らせた。♪ ヒマラヤほどの消しゴムひとつ〜ショッキングな詩である。何か巨大な物が迫っているような気がする。

   ♪誰かに金を貸した気がする
    そんなことはどうでもいいのだ
   
 本当にそんなことはもうどうでもよかった。車窓から見慣れた六本木の町並みが見える。娘に会社のあるビルを指差し教えた。
 まだ何かやり残したことがあるような気がする。それが何かは分からないが、必ず戻ってくる。必ず東京に戻ってこないといけない。
 だから今は帰ろう。帰らないといけない時がきたのである。


Tuesday, October 24, 2006

かたぐるま


 日曜日、町内のお祭りに出掛けた。曳山を追いかけて写真を撮っていたら、目の前に肩車をしている父子がいた。その光景に惹かれシャッターを押した。
 考えてみれば、私は父に肩車をしてもらった記憶が無い。母に背負われていた記憶はあるのだが、どう思い返しても父に肩車をしてもらった記憶が無いのである。恐らくそれは、父が病弱であったせいだろう。
 父は戦後兵隊から帰ってくると、栄養不足から肺を患い、長い間入院していた。だから、激しい運動をすることは出来なかった。相撲をとったこともないし、キャッチボールをした記憶もあまりない。我が子を肩車するのさえしんどかったのだろう。そして、それは、父親としてすごく辛いことだったろうと思う。
 先日、久しぶりに娘に”高い高い”をしてみた。何とか小2の娘はやれたのだが、小5の娘はさすがに中に放り投げることができなかった。娘は予想以上に重かったのである。娘の成長を嬉しく思う反面、自分の体力の衰えをどこかに感じた。もう、自分も若くない。ただ、それでも娘は嬉しそうに笑ってくれたのだった。
  


Sunday, October 15, 2006

二〇加煎餅

 あなたは、二〇加煎餅が眼鏡をかけたような顔をしてますね。

 そう言うあなたこそ、二〇加煎餅にそっくりですよ。

部長

 金曜日、会社の仲間で六本木通りのバーに飲みに行った。昼間、部長が、バーボンを飲みたいと言い出したので、スタッフを引き連れて行く事にしたのである。
 バーに入ると部長はI.W.Harperをダブルで頼んだ。我々も同じ物を注文し飲み始めた。最初はいつも通り馬鹿話しで盛り上がっていたが、徐々に話が会社の事業再編の事になっていった。
 部長が3杯目をおかわりしたあたりで突然泣き出した。実は事業再編に伴い、部長は関連会社に出向が決まっていたのである。いわゆるリストラである。部長は今までおくびにも見せなかったが、悔しさを堪えていたのだ。出向とは体の良い言い方だが、一旦出向してしまえばもう帰るところはない。会社の犠牲になり、片道だけの燃料を積んで出港しないといけないのである。
 「俺は行きたないんや、みんなと仕事したいんや」声を震わせ部長が叫んだ。皆、目のやり場に困った。返す言葉に詰まった。出向を免れた者が、どんな言葉をかけても慰めにはならない。私は黙って部長の膝に手を置いた。
 平凡なサラリーマン人生であるが、それなりにドラマはある。出会いもあれば別れもある。10月が終われば我が部は解散となり、部長は余所の会社に行ってしまう。そして、11月からはそれぞれのスタートを迎えることになるのである。
 最後に部長が涙を拭い、「カジュアルデーの日に遊びにくるから、その時はみんな集まってランチに行くぞ。服装はみんなベージュのスーツで合わせるぞ。そして夜は六本木金魚に繰り出すぞ!!」とみんなに言って店を後にした。
 部長との約束を守るため、ベージュのスーツを買いに行こう。似合わないかもしれないけど。部長がいつ戻って来てもいいように。

Monday, October 09, 2006

越中島公園

 三連休最後の日、隅田川のほとりを歩いた。右手に清澄橋、隅田川大橋、永代橋を眺め越中島公園まで歩いた。越中島公園のベンチに腰掛け、川の流れを眺めていた。ちょうど満潮と重なったみたいで、川面が歩道近くまで上がり、最後には歩道まで波が打ち寄せて来た。
 目の前に佃島の高層マンションが林立している。太陽がビルの間から顔を出しては、またビルの影に隠れて行く。
 こんなところに住めたらいい。到底叶わない話だから、川向こうの公園でこうやって眺めるしかないのだが、いつの日かあのマンションから、今度は逆に公園でビルを眺める人たちを、眺めてみたいと思ったのであった。 

Sunday, October 08, 2006

シャツ

 10年以上同じブランドのシャツを愛用している。米国のLands' Endというブランドのシャツである。海外通販がブームになった頃、カタログを米国から取り寄せて買い始めた。生地が良く、日本で同程度のシャツを買うよりは遥かに安く買える。それが海外通販の魅力でもあるが、以来毎年10枚程購入している。
 買い始めた当時はエアメイルでオーダーしていたが、やがてFAXを使うようになり、そして今はインターネットでオーダーしている。当初は品物が届くのに1ヶ月を要していたが、最近では1週間程で届く。時代の進化である。
 会社の常務に「君はいつもいいシャツを着ているね。」と先日誉められた。海外通販でアメリカから購入していると説明すると常務は感心していたが、そのこだわりを仕事にも生かしたらどうかと言われてしまった。仕事にもこだわりを持っているつもりなのだが・・・  

教会

 写真は下北沢にあるカトリック世田谷教会である。私用でこの辺りによく行くが、付近は道が複雑なため、いつもこの空高くそびえる十字架を目指して歩く。
 5年程前まで長崎に住んでいた。長崎はキリスト教伝来の地であり、国宝の大浦天主堂を始めたくさんの歴史ある教会がある。当時、会社の同僚で長崎の教会巡りを趣味としていた男がいたが、私も教会を見て回るのが好きで、営業の途中で教会を見つけては同僚と教え合ったものである。
 現在は長崎市に編入されたが、市北部に外海町という町がある。ここは隠れキリシタンの村として有名なところであり、この村の信者は長い間迫害に耐えながら信仰を続けて来た。ここに黒崎教会という素晴らしいカトリック教会がある。煉瓦作りのこの教会は遠藤周作のキリシタン文学の代表作「沈黙」の舞台にもなったところで、23年の歳月を費やし信者たちの手によってが1920年に完成した。一枚一枚の煉瓦を信者達が積み上げ、苦難の末に完成させたのである。
 教会の前は角力灘の青い海が広がる。教会から少しばかり北に行ったあたりに、「沈黙」の石碑があり、石碑には小説の一節を抜粋しこう刻まれている

 『人間がこんなに哀しいのに 主よ海があまりに碧いのです』

 断崖絶壁の海はどこまでも碧く、東シナ海へと広がって行く。この切り立った絶壁の道を歩き、信者たちは教会建設のため通ったのであろう。一歩一歩を踏みしめながら、来る日も来る日も通ったのであろう。

Sunday, October 01, 2006

31アイスクリーム

 31アイスを娘と買いに行った。ハロウィングッズのくじがあっているらしく、昨日から娘たちはチラシを前にどのグッズがいいか揉めていた。

 今から25年程前、恐らく九州では31アイスは福岡天神の新天町店だけだったのではないかと思うが、そのころ同級生で31アイスでバイトしていた男がいた。当時学校帰りによく行っては、その同級生にアイスをこっそり大盛りに盛ってもらっていた。
 その同級生も卒業するとコンピュータソフトの会社に就職したが、しばらくして風の便りで、また31アイスで働いている彼を見かけたという噂を耳にした。
 気になって31アイスに行ってみたら、噂通り彼は働いていた。成
績優秀な男であったが、会社に馴染めず就職して1年程で退職し、31アイスに店長として再就職したとのことだった。久しぶりに31アイスのユニフォームを着た彼はいきいきとしており、また大盛りにアイスを盛ってくれたのだった。

  肝心のアイスだが、家に帰ると娘たちが先に選び、私が残った中からポッピングシャワーを選んだ。さあ食べようとすると上の娘が突然怒りだした。私は期間限定のパンプキンプリンを試食しないといけなかったらしいのだ。何故、私がパンプキンプリンを試食しないといけないかよく分らないが、食べ物の恨みは恐ろしい。今度また買ってあげるからと言って、口の中でプチプチ言わせながら大好きなポッピングシャワーを食べたのであった。   

October

 今日から10月。9月最後の昨日は、土曜日であったが関連会社との打ち合わせのため出勤しなければならなかった。
 打ち合わせを終え、久しぶりに日比谷公園を歩いてみた。休日の日比谷公園は家族連れやカップル達でベンチは占領されており、ようやく空いているベンチを見つけ、同僚と腰掛けビールを1杯だけ飲んだ。
 自転車に乗った親子、犬を散歩させている夫婦、ジョギングをしている女性、公園で憩う人たちを眺めていると、それぞれがそれぞれに幸せそうに見えた。空を見上げると、鰯雲の中に赤い風船が吸い込まれそうに飛んでいた。ビールを飲みながらその飛んでいく風船をしばし眺め、自分自身もまたとても幸せな気がしたのであった。


Sunday, September 24, 2006

ミッキーのコップ


 ミルクセーキを作ったら、必ずこのコップで飲む。

 私はグリーン、妻はオレンジ。上の娘がブルーで
下のがイエロー。

 たくさん入ってカラフルで、なかなかみんな気に入っている。


梟のバー

 最近、その店に良く行く。店名を覚えていないのだが、場所は下北沢の南口から庚申塚に向かって、途中の路地を右に入った辺り。私は元来道を説明するのが下手だから私の説明ではほとんど分からないと思うが、大体その辺である。
 入り口に写真の梟のライトが置いてある。薄暗い店内にはウイスキーなどのアルコールに関する書物がずらりと並べてあり、マスターの勉強熱心さがうかがえる。
 席に着くと、まずデミカップにコンソメスープかポタージュスープが出される。スープの入った鍋は直火に当てず、湯煎されているところに店主のこだわりが感じられる。まずはスープを1杯、気分がゆっくりと落ち着いていく。
 そして1杯目を注文する。何でもいいのだがカクテルを注文するといい。それはマスターのシェカーを振る姿が素晴らしいからである。何と形容したらいいのだろう。剣道の達人が素振りをしているような、無駄の無い動作に素早い動きで店内に緊張感が立ちこめ、客は会話を中断し見入ってしまう。見事である。この間はみんなに拍手喝采を浴び、マスターは恥ずかしそうにしていた。
 無駄な物は一切無いし手抜きも一切無い。バーテンダーとしてのマスターは会話ですら無駄と考える。「いらっしゃいませ」「もう1杯いかがですか」そして最後には「いつもありがとうございます。またお越しください。」と言ってドアを開け見送ってくれる。マスターと交わす言葉はこの程度である。
 賑やかなバーも良いが、本来のバーはこうでなければいけない。ゆっくりと時間が過ぎて行き、時が経つのを忘れてしまう。おかげでいつも終電に乗り遅れてしまい、重い腰を上げドアを開けると、いつも梟が見送ってくれるのである。    

 

Saturday, September 23, 2006

秋空


 ずっと、このままでいてくれないかな・・・

電球

 

 電球は、自分が照らし出す団欒が好きなんです。

 

Monday, September 18, 2006

Sunday, September 17, 2006

海辺

 海を見に行った。半年ぶりに浜辺を歩いた。場所は三浦海岸。さすがに泳いでいる人はもういなかったが、釣りをする人、乗馬をする人、それから地引き網をする人達までいて、それぞれがそれぞれに海辺での休日を楽しんでいた。
 前にも書いたが以前海辺の町に住んでいた。休日、よく娘たちを連れて浜辺を散歩した。海の表情は四季さまざまだが、私は冬の海が好きだった。海風は刺すように冷たく、波は荒いが、海の碧はより深い。見つめていると、その深い碧に吸い込まれそうになるのである。そんな深淵な冬の海が私は好きだった。   

Saturday, September 16, 2006

東京ミッドタウン


  雲にぶつかりそうです。東京ミッドタウン  

 

Tuesday, September 12, 2006

Sunday, September 10, 2006

コーラ

 吉祥寺のとあるカフェで久しぶりにコーラを飲んだ。いつもならアイスティーにするのだが何故かコーラを無性に飲みたかった。
 レギャラーサイズの瓶のコーラと、氷とレモンが入ったグラスとを別々にウエイトレスが持って来て、私はグラスにコーラを注いで飲んだ。
 瓶入りコーラを久しぶりに見た。私の実家もコーラの販売をしており、私が小さい頃は180mlのレギュラーサイズと500mlのファミリーサイズの2種類の瓶入りコーラが売られていた。当時レギュラーサイズのコーラが35円でファミリーサイズが50円だったと記憶している。ファンタのレギュラーサイズもあったが、何故かコーラより5円安く30円で販売されていた。
 その後コーラは缶入りが主流となり、ペットボトルのコーラが発売されるようになると、瓶入りコーラは町の商店からは姿を消し、飲食店でしか見かけなくなった。
 19才の時、交通事故で入院した事があるが、その時東京から帰省していた友人が、東京土産だと言って復刻版のビンテージボトルのコーラを見舞いに持って来てくれた。しばらくそのボトルを部屋に飾っていたが、いつの間にかそのボトルもどこかへ消えてしまった。その友人ともその後会っていないが元気にしているのだろうか。もう20年以上も昔の話である。


AUDREY HEPBURN


 ヘプバーンは、アンネ・フランクと同い年らしい。

  

Saturday, September 09, 2006

視線


 何を見てるんですか?

ジェロニモ

 下北沢の雑踏の中で、ジェロニモはいつも空を見上げている。本当はジェロニモじゃないかもしれないが、インディアンと言えばジェロニモ。ハワイアンと言えばカメハメハしか知らないので、ジェロニモということにしておこう。ジェロニモは何か言いたげにしている。
 知らなかったが、インディアンという呼称は今では差別用語になっているらしく、ネイティブ・アメリカンと言わなければいけないらしい。
 しかし、そもそも「アメリカ」と言う地名自体が、先住民からしてみれば白人たちが勝手につけた後付けの呼び名であり、先住民にとって屈辱的な差別用語であるという見解が先住民の中にはあるらしい。差別用語としてしまった事で逆に差別を引き起こし、本末転倒な話になっているのである。
 以前妻が「インディアンの教え」という本を買って来た。日本でもインディアンの精神文化がちょっとしたブームになったようだ。そんなインディアンの教えの中で、大変気に入った言葉があるので紹介したい。

 あなたが生まれたとき、周りの人は笑って
 あなたは泣いていたで しょう。
 だからあなたが死ぬときは、あなたが笑って
 周りの人が泣くよう な 人生をおくりなさい。

インディアン、なかなかいい事を言ってくれる。インディアン、嘘つかないのである。

Monday, September 04, 2006

毛氈

 北澤八幡の茶屋で抹茶を飲んだ。

 毛氈の上で抹茶を飲んだ。

 毛氈の赤がきれいだったので

 扇子を広げ置いてみた。

 それから、タバコとライターを並べてみた。

 それから、FRISKも並べてみた。

 秋の日に、北澤八幡の茶屋で少しばかり遊んでみた。

 

ブタの水鉄砲

 1年前までお風呂で活躍していたブタの水鉄砲が庭に捨てられていた。この水鉄砲が活躍していた頃まで、私も娘たちと一緒にお風呂に入っていたが、今はもうそれもない。
 煙草を吸いながら、このブタの水鉄砲を眺めていたら、なんだか同情してしまった。自分もブタの水鉄砲と同じ境遇なのかもしれないと思うと悲しくなったのであった。

Sunday, September 03, 2006

Saturday, September 02, 2006

歩道


 北澤八幡のお祭りに出掛けた。お昼頃神社に行ってみたら、まだお祭りは準備中だった。しょうがないのでお祭りが始まる時刻まで、スズナリで芝居を見て時間を潰すことにした。
 茶沢通りの奥に平行して通っている歩道を、スズナリ方面に歩いた。芝居を見終わり、今度はその歩道を北澤神社に向かって歩いた。写真は歩道の壁面にチョークで書いてあった落書きである。子供が書いたのだろうか。人間かロボットか分からないがおもしろかったので写真を撮った。五つのブロックに描かれている落書きに、何だかストーリーがあるような気がした。
 さらに歩道を進んだ。神社の方からお囃子が聞こえてきた。時折吹く風はもう涼しく、空の雲は高かった。秋の気配を感じさせる、そんな穏やかな休日であった。  

夏の終わり



 夏は終わった。

 おしまいを告げるように昨日雨が降った。

 火照った身体を冷ますように雨が降った。

 楽しかった夏は終わった。

 暑かった夏は終わった。
    
 

Sunday, August 27, 2006

エビチリ

 近くの中華料理店に食事に行った。中華料理店で上の娘は決まってエビチリを注文する。フカヒレスープとエビチリとデザートはごま団子。これが娘の3点セットであり、いかなる時もこのセットを注文する。生意気である。フカヒレなんかは、自分で稼ぐようになってから食べろと言いたくなる。しかし美味そうに娘が平らげるのを見ると嬉しくなる。バカ親である。

Ching


 髭はまだ伸ばしたままなのか?


Saturday, August 26, 2006

うどん


 お昼にうどんを作った。ぶっかけうどんである。具はおくらとしそと水に晒したタマネギ。つゆも自分で作ってみた。自画自賛するようだがなかなか美味しかった。
 東京のうどんは不味い。東京の人には申し訳ないが、不味い。汁をそばつゆで作るからまずいのである。九州のそばがまずいのも同じ理由で、うどんつゆで作るからである。
 韓国に行った事は無いが、日本統治時代が長かった経緯から、韓国にも日本式のうどんがあるらしい。汁は関西風で具にはネギ、ワカメ、ニンジン、椎茸が入っていて結構美味しいらしい。
 ただ、韓国では日本流に丼を持ち上げて食事をすることは作法に反するらしく、立ち食いうどんであっても、カウンターに置いたまま啜らないといけないらしい。汁はレンゲで飲むのだろうか。でも最後の一滴までは飲み干せないんじゃないか。どうするのだろうか?
 確かめに行かなくては。



バイクのオジさん


 標識のバイクのオジさんはどこに向かっているのだろう。おそらく今日は休みで、馬券を買いに行っているんじゃないかなと思う。
 昨日遅くまで競馬新聞とにらめっこをして、バイクのオジさんは3から流そうという結論に至ったのだ。標識ではよく分らないがバイクのオジさんは口笛を吹いている。意気揚々と府中競馬場に向かっているのである。当たるといいね、バイクのオジさん。

シフォンケーキ


 家内がシフォンケーキを焼いていた。朝起きて食べようと、ホイップクリームを冷蔵庫から出してかけようとしたが、缶入りのスプレー式ホイップクリームは、シューシューと虚しく音を立てるだけで出てこなかった。頭にきてぶつくさ文句を言っていたら、娘に「ケチャップでもかけたら」と言われてしまった。
  妻が焼いたのはチョコレートシフォンらしいが、ちょっと失敗したみたいで、チョコマーブルの渦巻き模様が出ていなかった。この他に紅茶シフォンを焼くが、それもなかなかシンプルな味でおいしい。バナナが入ったのもよく焼くが、それはシフォンケーキではなくスポンジケーキらしい。違いが今ひとつわからないが、焼き方が違うらしい。
  何でもいいからどんどん焼いて欲しいものである。   


Thursday, August 24, 2006

カバン


 カバンを買ってもらった。自分の稼ぎで買ったのだから、買ってもらったと言うのはおかしいかもしれないが、財布は家内が握っているので、買ってもらったと言わざるをえない。ちょっと情けない。
 カバンは吉田カバンのPORTERである。私の買い物にしてはちょっと高かった。早速会社に持って行き部下に見せびらかし、上司に自慢した。部下は手に取って誉めてくれたが、上司は値段を聞いて呆れていた。27,000円を2,700円の間違いだろうと言ってのけた。物の価値が分からん奴である。
 ところで、カバンの大きさと欲求不満は比例するという話しを聞いたことがある。大きなカバンを持っている人程、たくさんの不満を抱えているらしい。今度電車に乗った時に、一番大きなカバンを持っている人を探してみよう。きっと人生面白くなさそうな顔をしているから。  


Sunday, August 20, 2006

 洗濯して干しておいたジーパンにアブラゼミがとまっていた。何もジーパンにとまらなくてもいいと思うのだが、ジーパンのちょっとゴワゴワした感じが良かったのだろうか。
 蝉の話しで、おじゃる丸の映画に「約束の夏」というのがある。いい話しなので紹介したい。
 ある夏の日、せみらと名乗る少年が突然おじゃる丸の前に現れる。おじゃる丸はせみらと徐々に仲良くなるが、ある日、おじゃる丸のプリンをせみらが食べたことに腹を立ててしまう。せみらはひたすら謝るが、おじゃる丸は許そうとしない。しかし翌日、おじゃる丸はせみらと仲直りしようと、せみらの分のプリンを持っていつもの場所に出かけるが、そこにはせみらの姿はなく、代わりにたくさんのセミの死骸が落ちていた。少年せみらは実はセミの化身だったのである。おじゃる丸はその事に気付き、意地悪したことを後悔し号泣するのである。
 何年か前に、何気なしに娘と見ていたのだが、不覚にも泣いてしまった。誰しも、もっと優しくしておけば良かったと後悔したことがあるはずである。ケンカした友達が転校になったりとか、似たような経験が私にはある。「約束の夏」は少年時代を思い出させる名作である。
 

Saturday, August 19, 2006

本を読む男

 最初にその男を見た時、私は古本屋だと思った。その男は下北沢南口前の路上に古い漫画本をずらりと並べ、その一冊を手に取って読み上げていた。年の頃は30才ぐらいだろう。髪はボサボサ、こわれかけたような眼鏡を掛け、頭にはタオルで鉢巻きをし、足はなんと地下足袋を履き、大きな声を出して漫画本を読み上げていた。
 昨日、行きつけのバーで飲んだ後、駅に向かっていたらまたこの男がいた。よく見ると、誰かに漫画本を読んであげているのである。この男は本を売るのが目的ではなく、本を読むのを商いとしているのである。ただ、その読み方が普通じゃない。何と説明すればいいだろうか、それはハムレットの台詞を聞いてるような、高貴さと狂気さが入り交じり、そして失礼かもしれないが滑稽なのである。
 並べられた漫画の中には、宮崎駿のアニメシリーズがあった。私は「となりのトトロ」をこの男に読んでもらいたかったが躊躇した。この男には申し訳ないが、聞き手が私ひとりでは私自身が恥ずかしいのである。今度行くときは誰かと一緒に行かなければならない。そして必ず「となりのトトロ」を読んでもらわなければ。    

Tuesday, August 15, 2006

屋台

 先日九州に帰った際、久しぶりに久留米の屋台で飲んだ。会社の先輩の友人がやっている屋台だが、久留米の屋台では珍しく、定番の焼き鳥やラーメンが無く、代わりにハンバーグやドライカレーなどの洋食がメニューにあった。あまりお腹は減っていなかったが、先輩に勧められハンバーグを食べてみた。店主は以前肉屋で働いていたらしく肉の見立てがうまいのだろう。出てきたハンバーグはジューシーでかなり美味しかった。
 初めて屋台に行ったのはいつだったろうか。高校2年の冬、ディスコに夢中になって通っていたが、ディスコ帰りに行ったのが初めてだったと思う。ちょっとだけ大人のふりをして暖簾をくぐり、財布を気にしながら焼き鳥を頬張った。
 屋台は冬が良い。今度は冬帰った時に寄ってみよう。白い息を吐きながら今度はチャンポンを食べてみよう。