Monday, April 29, 2013

汽車

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     山あいの駅では、 一日10本の汽車を人々は待っている。
     花道を作って、その到着を待っているのです。
   









英彦山

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 昨日、後輩と二人、英彦山に登った。英彦山(ひこさん)は福岡県と大分県にまたがる標高1,200mの山であり、古くは山伏の修験の場として栄えた福岡の名峰である。今でも山中では白装束に身を固めた山伏の一行を見ることができ、時折、法螺貝が山の谷間に響き渡る。
 同じ福岡県にありながら私はまだ英彦山に登ったことが無かった。幼い頃、祖母に連れられ、神宮へ参拝に来た記憶はあるが、それ以来、英彦山に近寄ることはなかった。
 私の中で英彦山を遠ざけているのは、英彦山が修験道の山であると言う、その重々しさによるものであった。大仰に言えば山岳信仰の対象である山に俗人が近寄ってはならない、そんな禁忌を感じていたのである。
 登り始めて30分ほど経った頃、休憩所で山伏の一行に出会した。法螺貝に杖、そして頭巾と呼ばれる小さな黒い帽子を頭に冠っている。(冠っていると言うよりは、ほとんど載せている状態に近い。)椅子に腰掛けその一行を一時観察してみたが、どうも普通の社会人ではないかと思われる。頭こそ丸めてはいるものの、恐らく普段は私と変わらぬ社会生活を送っているのではないかと思われる。山伏についての知識はないが、生業として山伏をしている人が現代にいるのか、そもそも、山伏とは職業なのか、その一行を観察しながらそんなことを考えていたら、その一行のひとりがiPhoneでメールを打っているのを見た。
 山伏がスマートフォンを使ってはいけないと言うことはもちろんないが、俗世間と隔絶しているイメージが強いだけに、山伏のあの装束でiPhoneを手繰る姿が、なんとも可愛く感じられ、また、同じ社会に生きる一人としての親近感を感じたのであった。

 そんな修験の山の中に4時間いた。まばゆいばかりの新緑の森を潜り、鳥のさえずりを頭上に聞きながら4時間山の中を歩き回った。下山し、延々と続く石段がようやく終わった時、私の心身のリフレッシュも完了したのだった。
 








 

Sunday, April 21, 2013

新緑

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  夏がそこまで来ている。
  2013年の夏が、そこまで来ている。
  大好きな夏が。









Saturday, April 20, 2013

屋台

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  うすあかりの下、麺を啜る音だけが響き渡る。 
  誰かが置いて行った憂いの中で、響き渡る。












Tuesday, April 16, 2013

玄界島の猫

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 港にいた野良猫。
 私は基本的に猫派である。
 しっぽを振る犬よりも、そっぽを向く猫が好きなのである。
 あまりに可愛くて、この猫をカメラ越しにしばらく見つめていた。
 港にて帰りの船を待つ間、他にすることもなく猫を見つめていた。
  











Sunday, April 14, 2013

玄界島の魚

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  驚くなかれ、これで一人前である。
 玄界島には食堂は無い。食堂どころか1軒のお店もない。料理を出してくれたのはとある漁師のお宅で、紹介してもらって料理をお願いした。
 右からヤリイカ、ハマチ、鯛。出される魚はすべて定置網で獲れた天然物であり、その鮮度と美味さに言葉を失う。ビックリするような美味しさと量、そして値段。この魚を食べるためだけに、船に乗って行く価値はある。 
 刺身の他に、メバルの煮付け、太刀魚の塩焼き、筍の若竹煮、そしてご飯と魚の味噌汁。後輩と二人、しばし無言で箸を動かしたのだった。










福岡遠景

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 福岡ドームの丸い屋根に太陽が反射している。そして右側に福岡タワーが見える。
 船上から、まるで蜃気楼のように福岡の街が浮かんで見えた。











玄界島

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 玄界島は博多湾の入り口に浮かぶ周囲4kmの小さな島である。昨日、後輩と二人この玄界島を訪れ、遠見山という山に登った。
 玄界島は2005年に起きた福岡県西方沖地震の被災地として、その名を有名にした。200軒ほどの家屋の大半が、半壊あるいは全壊の被害を受け、島民700名の内、島の代表者10名を残して全員が避難した。
 私は震災の翌年、転勤により神奈川から福岡へ引っ越したのだが、当時、新居の近くにある港の公園に、玄界島の方が避難している仮設住宅があった。その仮設住宅を見て、あらためて被害の甚大さを知ったのだった。

 玄界島は島自体がこんもりと隆起した山になっており、平地は南側の漁港あたりに少しあるのみである。現在、島は整備され当時の被害をうかがわせるものは何も無い。民家は島の南側の斜面に整然と建て直され、太陽の光がその家々をまぶしく照らしている。島内は静かな波音に包まれ、時折聞こえるのは船の汽笛だけであり、その静寂の中に老人は釣り糸を垂れ、女性たちは海藻を干している。

 山に登り、そして島を一周してみた。歩きながらこの島を突如襲った地震のことを考えてみる。春先のおだやかな土曜日に、突如台地は揺れ山肌は崩れ、民家は押しつぶされる。島民は着の身着のままで船に乗り本土へ避難する。今まで、地震がほとんど無かった福岡では、誰もが想像もしなかっただろう。そんな日が突然やってくるとは思いもしなかっただろう。
 写真は島の東側の浜から玄界灘を撮ったものである。エンジンが浜に打ち捨てられていた。震災とは関係ないかもしれないが、この錆びまみれのエンジンが当時を物語っているかのように見えた。突如島を襲った悲劇を物語っているかのように思えて、僕は無心にシャッターを押した。







 

Sunday, April 07, 2013

さくらい

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 行きつけのカフェさくらい。
 参道のさくらの花びらがマットの上に落ちていた。
 さくらいのマットの上に、きれいなさくらの花びらが落ちていた。











Saturday, April 06, 2013

四月

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 四月になった。
 さくらが舞い散る中、新入社員が入ってきて、四月になった。
 花々は咲き乱れ、そして春風に揺られ、四月になった。
 重いコートを脱ぎ、軽くジャケットを羽織り、久しぶりに日傘を差して、四月になった。
 わらびやぜんまい、そして筍を食べたくなって、四月になった。