Sunday, June 29, 2008
Saturday, June 28, 2008
土曜日
今日も雨のようですね。
何もしません、帰ったら家でボーッとします。娘の宿題が最近難しくなってきました。
だから、寝た振りしてごまかすのです。
質問されると困るから。
ボーナス出たんで夜は外食しようと思ってます。
商店街のお寿司屋さんに行こうと思います。
じゃあ、また来ます。
ごちそうさまでした。
Tuesday, June 24, 2008
Sunday, June 22, 2008
Sunday, June 15, 2008
らっきょう
実家かららっきょうが送ってきた。らっきょうは甘酢漬けがポピュラーだが、私の母は何故か昔から醤油で漬ける。他所で醤油漬けのらっきょうを見たことがないが、母は毎年この時季になると必ず漬けて送ってくれる。
作り方は簡単のようである。簡単と言ったら母に叱られるかもしれないが、出汁に醤油・酢・唐辛子を加え、らっきょうを漬け込むだけだ。らっきょうは大振りのものが良い。あまり漬かり過ぎると辛くなるので、漬けて1週間程度で食べ切った方が良い。ポリポリと歯ごたえがあって、酒のあてにもちょうど良い。
芋焼酎をロックで、あては醤油らっきょう。それぞれの鋭い切れ味が私を喜ばせてくれる。日暮れが待ち遠しくなったのだった。
わらび餅
そろそろ食べ物の事を書こう。訳の分からんことばかり書いて、食べ物の話しはまだかと友人に言われそうだから、そろそろ書かなければいけない。
昨日も仕事をした。土曜日の事務所は私とスタッフの二人きりでがらんとしていた。昼食を済ませ休んでいると、遠くからチリンチリンと鈴の音が聞こえてきた。わらび餅屋である。ぬっと立ち上がり、あれに聞こえるはわらび餅屋じゃないかとスタッフに言うが、スタッフの耳には聞こえないようである。こうしては居られない。エレベーターで1階に下り、ビルを飛び出した。
ビルを出て辺りを見回すと、左側にあるクリーニング屋の先を、自転車でリヤカーを引きながら、わらび餅屋がビルとは反対方向に遠ざかっている。小走りに走って追いかけたが、わらび餅屋は私に気付かず、どんどん遠ざかっていく。止む得ず私は声を出してわらび餅屋を呼び止めた。
五十過ぎの親父が自転車から降りてきた。サイズが大中小とあって、小が350円。小を二つ、私とスタッフの分を頼むと、親父は大きな魔法瓶のような容器のフタを開け、冷えたわらび餅をザルですくい出し、きな粉が入った箱の中に入れて、丁寧にわらび餅をきな粉の上で転がした。
私はこのリヤカーに見覚えがあった。「冬は焼き芋を売ってませんか?」と親父に尋ねると、よくわかったねと親父はニッコリ微笑んで、焼き芋のことを喋り出した。親父が言うには、リヤカーで売っている人たちはいい芋を使っているらしい。何故かと言えば、車なら不味い芋を掴ませて売り逃げができるが、リヤカーだとはそうはいかないからだと言う。なるほどと思い聞いていたら、いつの間にか客がちらほら寄ってきた。「見かけたら買ってやってください。」と親父は言いながらわらび餅を袋に入れて私にくれた。事務所に戻りスタッフと二人でさっそく頂いたが、今年初めて口にしたわらび餅は冷たくてとても美味しかった。
夏の風物詩「わらび餅」。私はもう40年近くわらび餅屋を追いかけている。ひとりで追いかけ、娘と追いかけ、いつしか孫と追いかけるのだろうか。
Friday, June 13, 2008
田が植わる頃
今し方、出張から帰ってきた。朝一番の飛行機で福岡を発ち、東京本社で無事プレゼンを終えて戻ってきた。これでようやく仕事も一段落する。東京出張からも暫し解放される。
気がつけばもう6月も半ばである。梅雨入りはしたものの例年よりは雨が少ないようだ。街中に住んでいるため、田植えが終わったかどうかも分からないが、そろそろそんな時季である。
私の郷里は福岡から車で30分程の筑紫平野の中に位置し、いまだに田畑が広がっている。子供の頃は、この時季、母方の実家の田植えに駆り出されていた。まさに猫の手も欲しがられる頃であり、親戚総動員で田植えが行われていた。
田植えが終わった後の水田は美しい。整然と苗が植えられ、水を張った田に光が反射する。まだ結婚する前、実家から博多まで通勤していたが、この時季、わざわざ水田を見るために、遠回りして田の畦道を自転車で駅まで行っていた。朝日が水面を照らす光景を見ては、満員電車に乗る前のわずかな時間に、癒されていたように思う。久しぶりに田んぼが見たくなったのであった。
Monday, June 09, 2008
Sunday, June 01, 2008
運動会
下の娘の運動会に行った。今年から姉の方が中学生になったので、4年生の妹だけの運動会であった。
紫外線が強いこの時期、見る方も日に焼けて疲れる。校舎裏の木陰でちょっと休んでいたら、うとうとと寝てしまい、娘の出番を見逃してしまった。おかげで家内から役立たずと言われる始末である。
校庭の回りはまるでキャンプ場のようだ。ビーチパラソルに折畳式の椅子やテーブルで我が物顔に陣取っている連中がいる。譲り合いの精神はどこへいったのだろう。嘆かわしい限りである。
昔、町内ひとつのテントで、近所の人たちと弁当を食べていた頃が懐かしく思える。そんな時代はもう来ないのだろうか。みんなが助け合って生きていた良い時代だった。