Sunday, January 15, 2017

新春

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 遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。
 1月も早15日。月半ばとなってしまいましたが、皆様におかれましては清々しい正月をお迎えのこととお喜び申し上げます。私はと言うと、年末から右膝が痛み、足を引き摺りながら新年を迎えました。昨日も病院で治療を行い、発症から2週間ほど経ってようやく痛みがおさまってきました。

 今年の抱負はというと特にないのですが、健康であればそれでいいと、最近はそう思うようになってきました。
 来月は友人たちと雪山に登る計画があり、それまでには足を完全に治し、ベストコンディションで登りたいと思っています。今年も色々、登山やウオーキングの計画がすでに詰まっており、ひとうひとつに情熱を注ぎ込み楽しみたいと思っており、その風景の一部をブログにて紹介させていただきたいと思います。


 どうぞ本年もよろしくお願いいたします。
 




Saturday, December 31, 2016

よい年を

最後に追加した項目-78

 年末恒例の旧友たちとの忘年会を終え、先程帰宅した。女房は今日もパートに出掛けているため、これから私が掃除をして年越しの準備をする。
 2016年も無事に終わろうとしている。家族全員、この一年病気もせず事故もなく過ごし、平穏な一年であったことに感謝したい。
 来年は55才になる。そろそろ、真剣に老後のことを考えないといけない時期になりつつある。友人の一人が、俺たちにはもう時間があまりないと昨夜の忘年会で言っていたが、この健康、体力を維持できるのは、あと10年ぐらいだろうと思う。
 小学生の時に、まだまだたっぷりあると思っていた夏休みが、お盆を過ぎて残りわずかとなったことに気付き、途方に暮れた気分になった。それに似た悲しさを最近感じるようになってきた。
 今年一年、仕事も趣味も充実していた。来年もさらにその延長でいれるように努力したい。限られた夏休みを有意義に過ごし、自由研究の課題を仕上げなければならないと思うのであった。

 今年一年、私のブログにお越しいただいた皆様に感謝を申し上げます。
 以前ほど投稿ができておりませんが、それでも、今後も続けて行きますので、思い出したらお立ち寄りください。
 
 よい年をお迎えください。


                                     盆暮
 



Monday, December 12, 2016

下北沢

最後に追加した項目-26




   下北沢で、娘と娘の彼氏と三人で飲んだ。
   金曜の夜、行きつけの小さなバーで。
   客は俺たち三人だけ。
   俺はウオッカを三杯。
   娘はジュース。
   そして、娘の彼氏はファジーネーブル 。
   娘の彼氏は、いいやつだった。
   俺より、多分いいやつだと思う。





Sunday, December 11, 2016

東京タワー

最後に追加した項目-34

 今年最後の出張で東京に行った。今年一年、お世話になった方々に年末の挨拶をし、夜は久しぶりに娘と会って、新橋のホテルに泊まった。
 翌朝、朝食を取ろうと部屋を出ると、廊下の突き当たりのガラス窓に、東京タワーがいきなり現れた。まだ眠気が残る中、澄みきった青い空にそびえ立つ東京タワーを、立ち止まってしばらく眺めた。

 東京タワーの完成は昭和33年。この地に半世紀以上立ち続けている。その存在は戦後復興の象徴として、今もあり続けている。
 東京スカイツリーができてからは、観光名所としての役割を譲りつつあるが、かけがえのない思い出は、私たちの心の中に消えることなく刻まれている。
  若い頃、従弟たちと六本木で飲んで見上げた東京タワー。会社の窓から残業を終えて見た東京タワー。転勤で東京を去る時に家族4人で登った東京タワー。東京タワーの近くで一時期働いていたこともあり、私も思い出は多い。

 2020年には東京オリンピックが開催される。東京、日本は、今あらたな時代を向かえようとしている。 その大きな流れの中に東京タワーは立っている。時代を俯瞰するように立ち続けている。
  久しぶりに見た東京タワーをスマートフォンで写真に納め、その場を後にした。





Sunday, December 04, 2016

12月

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 静かな森の神社では、木漏れ日が差し込み
 少しだけあたりを、あたたかく照らしていた。









 

Wednesday, November 23, 2016

九重三俣山

すべての写真-129

 11月19日、今年最後の九重に登った。仲間と6人、長者原登山口に車を停め、霧の中を三俣山を目指して歩いた。
 写真がその三俣山である。その名の通り、山が三つの峰に分かれて見える。正確に言えば本峰、西峰、南峰、北峰の四つの峰から構成されるのだが、下界から見ると南峰が本峰に隠れて三峰に見えるのである。写真の右から、西峰、本峰、北峰、そして、本峰と北峰の間にあるのは指山と言う山である。

 私たちは、当初西峰、本峰、南峰の三峰を縦走する予定であった。しかし、山頂付近はガスに覆われ、次第に風も強くなり、西峰だけで断念し山を降りることとした。
 風が吹き荒れる中、昼食を取り山を降りる。進むほどにますます霧は濃くなり、視界が利かなくなって行く。もともとが細い登山道であったこともあり、私たちは登って来た道を見失った。
 次第に雨が降り出しとうとう雷が鳴り出した。幾条もの稲光が目の前を走り去る。私たちは岩陰に避難し、進むべき道を完全に見失っていた。
 途方に暮れていると仲間の一人が、「見えた!」と叫んだ。動く雲のその間に、一瞬隙間ができて、下界が見えたのである。その雲の隙間に目を凝らすと、川のように横たわる北千里が見え、その北千里の先を辿るとすがもり越えが見えた。
 ようやく今いる場所が分かった私たちは、山の斜面を一気に北千里を目指して駆け下り、すがもりの避難小屋にたどり着いたのだった。

 写真は下山後に長者原から撮ったものである。その頃には雨も止み霧も晴れ、おだやかな表情の三俣山に戻っていた。そのおだやかな三俣山を見上げ、生還できた喜びを私たちはかみしめた。しばらくその場に立ちすくみ、今降りて来た峰を無言で見上げていた。







Sunday, November 06, 2016

ゆふいんの森号

すべての写真-276



 夕闇迫る鳥栖駅のホームに
 ゆふいんの森号がゆっくりと入って来た。
 ようやく明かりを灯した蛍光灯が
 その薄緑の車体を幻想的に照らす。

 博多までいっそこれに乗って帰ろうかと思うが
 全席指定で乗ることはできない。
 降りる客はいるが乗り込む客は誰もいない。
  
 立食いうどんを食べながら
 その優しく照らされた薄緑の車体を眺める。
 まるでゆふいんの森号が銀河鉄道999のように
 夜の星空に消えて行きそうな気がした。






Sunday, October 30, 2016

焼きビーフン

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 ビーフンは中国南部福建省発祥の麺料理である。ビーフンと言えばケンミン食品、ケンミン食品と言えばビーフンと言うくらい、ケンミン食品は日本におけるビーフンのパイオニアである。
  昭和25年、台湾出身の高村健民氏が神戸の地に健民商会を創立し、ビーフンの製造を始める。これがのちのケンミン食品である。 当初は生麺だったらしいが、より多くの人に食べてもらうため、氏は日持ちする乾燥麺の製造を開始。そして、昭和35年には即席ビーフンの製造を始め、ビーフン料理は全国の家庭に浸透して行く。特に台湾からの引き揚げが多かった九州では、需要も大きかったらしい。

 時折、思い出したように焼きビーフンを食べたくなることがある。そんな時は近所の中華料理屋に行って、ビールを飲みながら焼きビーフンをつまむ。日本統治時代の台湾に思いを馳せながら、ビーフンを口に放り込むのである。




    

Sunday, October 16, 2016

スパゲッティー

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 写真は博多駅近くにあるスパゲッティー屋のバジリコスパゲッティー(塩味)である。この店は福岡では珍しい、いわゆるロメスパの店である。ロメスパとは、立ち食いそば屋のようなスパゲッティ屋のことで、ロメスパの「ロメ」は路麺、「スパ」はスパゲッティの略で、有楽町のジャポネが有名である。
 特徴としては極太麺を使用し、大盛りが可能である。メニューは、ナポリタン、ジャポネ(醤油味)、バジリコ(塩味)、インディアン(カレー)など、有楽町ジャポネのメニューが、ロメスパ店の標準となっているようである。ようするに、昔喫茶店で食べていたスパゲッティーが、小じゃれたパスタと袂を分かち、独自に進化していったのがロメスパではないかと思う。
 社会人になった頃、昼飯を会社近くのスパゲッティー屋へよく食べに行っていた。メニューはナポリタンとミートソースと塩スパゲティー(ナポリタンの塩味)の三種類しかなく、塩スパゲティーの大盛りをよく注文していた。出来上がりを待つ間、ビックコミックオリジナルを読んで待つ。小さな店のテーブルにはタバスコと粉チーズが置いてあり、それをたっぷりと掛けて食べる。それが正しい食べ方だと思っていた。もう30年以上昔の話しである。
 それから、バジリコやカルボナーラ、ペペロンチーノなどのメニューが登場すると、いつしかスパゲッティーはパスタと呼ばれ出すようになった。麺も徐々に細くなって行き、細い麺に上品な量が本物のパスタであるような風潮になって行った。
 いまだにパスタと呼ぶことに恥ずかしさを感じる私は、ロメスパの出現をうれしく思う。昭和のスタイルを守り、独自の道を貫いた有楽町ジャポネに敬意を表したい。ひさしぶりに極太麺のスパゲッティーを食べながら、遠い昔に食べた塩スパゲッティーを思い出したのだった。









Monday, October 10, 2016

玉名ラーメン

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 友人と玉名の山に登り、玉名ラーメンを食べて帰った。玉名ラーメンを食べるのは実に23年ぶりのことだった。
 玉名ラーメンの歴史は、昭和27年、白濁とんこつスープを開発した久留米の中華そば屋「三九」の店主四ヶ所氏が玉名へ進出したところから始まる。店は瞬く間に評判となり、玉名にうまいラーメンがあると噂を聞きつけ、熊本市内からも客が押し寄せたと言う。その中に、後に「こむらさき」「味千ラーメン」「松葉軒」を開店し、熊本ラーメンの礎を築く若き三人の店主たちもいたらしい。
 その後、玉名「三九」は昭和31年に閉店となり佐賀へ移転することになるが、当時住み込みで働いていた十代の従業員が味を引き継ぎ、閉店の翌年、玉名に「天琴」を開店させる。さらに、その「天琴」の従業員が「大輪」を開店させ、その味は玉名ラーメンとして確立されて行く。

 一方、佐賀に移転した「三九」から、従業員が「一休軒」を開店させ、その味に惚れ込んだ男が修行をし、「一休軒鍋島店」(現在の「もとむら」)を開店させる。こうやって久留米ラーメンは、四ヶ所氏の弟子たちによって九州一円に普及して行ったのである。
 残念ながら佐賀の「三九」は平成25年に火災で閉店を余儀なくさせられ、そして四ヶ所氏も今年7月その88才の生涯に幕を下ろした。もし、四ヶ所氏がいなければ、現在のような久留米ラーメンの普及はなかったかもしれない。

 今日、チェーン店を広げ事業としてラーメン屋を展開していく有名店が多いが、そんな中で、師匠から弟子へ、そしてまたその弟子へと四ヶ所氏のラーメンは受け継がれて行った。氏の弟子たちが伝道師となって、九州一円に久留米ラーメンを普及して行ったのである。
 住み込みで叩き込まれ、修行してようやく一人前になって九州各地に散って行った男たちが作る魂の一杯に、強くロマンを感じるのだった。