Sunday, June 17, 2018

猟師山

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  ミヤマキリシマが散れば、久住はもう夏山になる。 
  まぶしい夏が、始まろうとしていた。







Sunday, June 10, 2018

ホーム

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 友人の父が亡くなり、お通夜に参列するため、急遽鳥栖に帰った。
 お通夜が終わり、集まっていた友人たちと居酒屋で飲み、スナックをはしごしてその日のうちに博多に帰った。
 写真は鳥栖駅1番ホームで、上り電車を待つ間にスマートフォンで撮ったものである。時刻は10時40分。湾曲したホームを蛍光灯が優しく照らしている。そのホームに女性がひとり、上り電車の到着を待って立っている。おそらく仕事帰りだろう。無事に一日が終わった安堵感のようなものを感じる。

 その情景に引きずられながら電車に乗る。心地よい揺れに誘われ、目が覚めたら博多駅。危なく乗り過ごすところであった。


 


Saturday, June 02, 2018

岩井川岳

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 先週日曜日、九重の岩井川岳と扇ヶ鼻に登った。瀬の本高原の林道から入り、約2時間掛けて山頂に到着した。
 写真は岩井川岳山頂で撮ったものである。鬱蒼とした林道を抜けた途端に視界が開け、広々とした笹原にミヤマキリシマが咲き広がっていた。
 しばらく私たちはその風景に見とれていた。その野原に立ち、今まで見たことがなかった九重の風景に、ため息をついて立ちすくんだ。







Sunday, May 13, 2018

メニュー

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  GWも終わってしまって
        部下と居酒屋でメニューを見上げる水曜日。
  うれしそうに見上げる部下たちの顔を見て、微笑む上司。
  じゃんじゃん注文していいから。
  大丈夫、わが社の将来も明るいから。








Saturday, May 05, 2018

山の彼方のちゃんぽん

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 5月4日、JR筑後草野駅から耳納山地を越えて八女市上陽町まで歩いた。いつも耳納山地を北側から眺めていて、南側にどんな町があるのか気になっていたのである。
 距離にして約20キロメートル、ほとんどすれ違う人もいない。耳納平を越えて八女側に入ると、茶畑が点在していた。おそらく南側の斜面が、北側のうきは側の斜面より陽当たりが良く、お茶の栽培には適しているのだろう。
 山間部には集落が点在していた。こんな山奥にも集落があったのかと驚く。里山を絵に描いたような、手入れが行き届いた田畑に家々。集落には、5月のまぶしい日差しが差し込んでいた。

 スマートフォンの地図で現在地を確認しながら、ひたすら山を下りる。時刻は午後1時、歩き始め5時間、ようやく山を下り切り上陽町の町中にたどり着いた。
 バス停で時刻表を確認して、一軒の食堂に入る。屋号は大勢屋。年老いたご夫婦が二人で店を切り盛りされていた。
 忙しそうにされていたので、注文を聞かれるまで待っていると、「ちゃんぽんですよね?」と、ひと区切りついたおばさんがようやく私に聞いてきた。おそらくこの店はちゃんぽんが一番の人気メニューなのだろう。迷うことなくちゃんぽんを注文する。写真がその大勢屋のちゃんぽんである。
 驚いたことに、ネギが乗っている。しかも、かまぼこまであと乗せである。この辺りでは、このスタイルがスタンダードなのだろうかと思うと楽しくなってくる。すこし甘めでクリーミーなスープが、歩き疲れた身体にじんわりとしみてくる。
 しかし、バスの時刻まであと20分。悠長に食べている時間はない。一気に食べ終え、勘定をしてもらう。「お待たせしてすいませんでした。またよろしくお願いします。」とおばさんが釣銭を渡しながら私に言う。また来なければいけない。山を越えてネギの乗ったちゃんぽんを、今度は高菜チャーハンと一緒に食べよう。そう思いながらバス停に向かった。





Thursday, May 03, 2018

どんたく

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   父に手を 引かれて見たのは 遠い昔
  






Wednesday, May 02, 2018

5月

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   まぶしさに 手をかざして 五月かな  








Sunday, April 29, 2018

折尾堀川沿い

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 写真は折尾駅東口の堀川沿いに連なる飲食店街である。再開発が進む折尾駅周辺、この風情ある飲食店街も、あと数年で消えてなくなる。その前に一度歩いておこうと、ひとり折尾駅で下車した。
 江戸時代初めまで遠賀川は、大雨の度に氾濫し流域の村々に大きな被害をもたらしていた。 福岡藩主黒田長政は、その対策として遠賀川の中間から洞海湾へ運河を通すことを計画する。着工から約140年をかけてようやく堀川は完成したらしい。

 一軒だけ開いていたラーメン屋に入り、餃子を焼いてもらいビールを飲む。餃子が焼けるのを待ちながら、年老いた女店主に再開発のことを聞いてみた。店主が言うには、再開発による撤退まであと6年らしい。「さびしくなりますね。」と私が言うと、街も人も同じであたらしく生まれ変わる必要があるのだと言われる。その言葉が、私には自分自身を納得させるために、たどり着いた結論のように聞こえた。

 餃子が焼き上がった。博多の餃子よりは大振りで板状の形をしている。ラー油の代わりにテーブルには一味唐辛子が置いてあった。醤油ダレにその唐辛子を落として餃子をつける。街も人も生まれ変わらなければならい。その言葉を反芻しながら餃子を食べ進める。あるいはそれは決意なのかもしれない。この街とともに戦後を生き抜いてきた女店主の、確固たる決意かもしれない。そんなことを考えながら最後にラーメンを注文した。



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Wednesday, April 25, 2018

日曜日

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 僕も日傘のご夫人と、ボートに乗りたいと思いました。






Sunday, April 22, 2018

堀田食堂

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 JR筑肥線浜崎駅前に堀田食堂はある。今ではチェーン店のコーヒーショップやハンバーガー屋が駅前を占拠しつつあるが、今も頑張っている大衆食堂を見るのはうれしいものである。
 昨年の夏、浜崎駅を訪れた時からこの食堂が気になっていた。鄙びた駅舎とともにこの食堂が駅の歴史を物語っている。佐賀新聞の記事によればこの堀田食堂は、大正時代に開店したらしいから駅の開業とほぼ時を同じにしている。
 紺色の暖簾には右から親子丼、ラーメン、チャンポン、カレー、うどんと書かれていた。時刻は正午前、その暖簾をくぐって店の中に入った。

 店内に張られたメニューを見て悩んだ挙げ句、ラーメンといなりを注文した。本当はラーメンと炒飯を食べたかったのだが、半炒飯がなかったので仕方なくいなりにしたのである。
 写真がそのラーメンといなりである。たこ焼きのような形をしたいなりに、そして白濁ではない澄んだスープのラーメン。ラーメンにはチャーシューではなく豚肉ともやしにネギが乗っていた。九州では珍しいスタイルである。
 ひとくちスープをすする。失礼だがあまり期待していなかったが、すっきりとした中にも深みがあるスープでなかなか美味い。おそらく豚で取ったスープに、魚介類系を合わせたのではないかと思われる。ネギが甘く際立ちスープを引き立てていた。
 
 間違いなく堀田食堂のラーメンは、この界隈の人たちのソウルフードだろうと思う。帰省すると必ず食べる人も多いのではなかろうか。
 このラーメンで大きくなった若者が、やがて白濁の豚骨ラーメンに出会い、その違いにショックを受け、ラーメンとは何ぞやと自問自答しただろう。
 しかし、若者も年を取るにつれ、故郷が遠くなるにつれて、このラーメンに思いを巡らせるだろう。父母と一緒に食べた、友達と学校帰りに食べた堀田食堂のラーメンを、たまらなく懐かしく思うだろう。
 堀田食堂のラーメンは、故郷のように優しく包みこんでくれる、そんなラーメンである。