Sunday, May 31, 2015

うどんと高菜のおにぎり

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 日曜の朝、うどん屋で朝食を食べた。
 ごぼう天うどんと高菜のおにぎりである。

 高菜のおにぎりを食べると、子供の頃の田植えを思い出す。
 まだ田植機が世の中に普及する前のことである。
 親戚一同が集まり、雨の中、一枚一枚田を植えて行く。
 お昼は決まって高菜のおにぎりだった。
 納屋の軒先に用意されたテーブルに高菜のおにぎりがずらりと並ぶ。
 床几に座ってみんなで高菜のおにぎりを頬張った。
 降りしきる雨を見ながら、無心になって食べた。

 梅雨がそろそろ始まろうとしている。
 田植えがそろそろ始まろうとしている。
 高菜のおにぎりを食べながら昔のことを思い出した。









造船所

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 朝六時に起きて近くの造船所に行った。
 別に早朝に行く必要はないのだけれど、急に船を見たくなった。
 この船は明後日、進水式を迎える。
 進水式には行けないので、せめて最後にと写真を撮った。
 丘に上がっている船は、舳先が神社に迫りとてつもなく大きく見えた。
 なんだかうれしくて、何度も何度もシャッターを押した。










Saturday, May 30, 2015

ジャック・ダニエルズ

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 初めてジャックの封を切ったのは26才の時だった。
 今は無き文化街のラジカルと言う店で。
 友と夜更けまで飲んだ。

 結婚祝いにもらった酒もジャックだった。
 クラプトンのテープと一緒に。
 こいつを飲みながらクラプトンを聞けと。
 人生はブルースだとメッセージが添えられていた。
 
 








Sunday, May 24, 2015

運動会

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 小学校の運動会に行って来た。
 今はもう、小学生の子供はいないけど。
 昔を思い出して、行って来た。
 







ボサノバ

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  月夜の晩にボサノバを聞いた。
  港の奥のバーで、昔の仲間と。
  心地良いひとときをありがとう。








Sunday, May 17, 2015

蚤の市

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  初夏。護国神社の杜には麦わら帽子が似合います。
  とても似合います。







Wednesday, May 13, 2015

松林

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   松林の先に、世界へとつながる入り口があって
   ちょっと向こう側の世界に行ってきました。







Friday, May 08, 2015

キッチングローリ

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 キッチングローリは会社近くにある洋食屋さんである。私はこの店にかれこれ30年近く通っている。基本的には弁当持参なのだが、弁当がない日によくこの店へお昼を食べに行く。
 店は創業40年を超える。現在、親父さんと奥さんと息子さんの三人で切り盛りされているが、私が行き始めた頃は親父さんと奥さんのご夫婦二人だった。それが、十数年ぶりに転勤で福岡へ戻ったら、息子さんが加わり厨房は親子三人になっていた。
 店は博多駅前の路地裏にある。恐らく、住民以外にその路地を通る人は少ないだろう。ビジネス街と住宅街の境にひっそりとあり、それはまるで謙虚なご夫婦の性格を表しているようである。
 日替りランチは650円のグローリランチと500円のスペシャルランチの二種類がある。写真はそのグローリランチだが、これにスープが付いている。30年前からほとんど値上げされておらず、その安さに申し訳なさを感じる。
 いつの日か親父さんが息子にバトンを渡す日が来るだろう。いつの日か息子さんがお嫁さんと厨房に立つ日が来ることを、私は願っている。できれば、私が定年を迎えるまでにその日が来ることを。そして、これからもずっとキッチングローリが博多の街の洋食屋としてあり続けることを、この店の数多いファンの一人として願っているのである。







Wednesday, May 06, 2015

新緑






  その門をくぐると初夏がありました。


  







小鹿田焼





  小鹿田焼は日田の山あいで三百年くらい前から焼かれている。
  先祖代々その技法を継承し、今も変わらず焼かれている。
  川の流れにゴットンと音を立て、唐臼は陶土を挽く。
  ゴットンゴットン、三百年前からこの音は村に鳴り響いている。
  祖父ちゃんが死んだ夜も、父ちゃんが生まれた朝も鳴り響いていたのである。






ステーキ



 散歩の途中、赤坂(福岡)の立食いステーキの店でステーキを食べた。写真がそのステーキだが、サガリ300gで1,200円とかなり手頃で味も悪くない。
 子供の頃、牛肉が食卓に上がることはほとんどなかった。肉と言えばかしわか豚であった。それでも年に数回、すきやきの時に牛肉が我が家の食卓にも登場したが、きょうぎに包まれた牛肉が赤々としてまぶしく見えたものだった。
 さらにステーキについて回想すれば、私の中では寿司をはるかに凌駕する位置にあり、トムとジェリーに出てくるバーベキューのステーキを、私はいつも羨望の眼差しで見ていた。当時ステーキは少年の憧れの食べ物であり、ステーキがアメリカへの憧れを一層強いものにした。私の中でステーキはアメリカの象徴であった。
 



Sunday, May 03, 2015

人形小路



 後輩が帰省した時、二人で必ず中洲人形小路のライブバーに行く。私と後輩との間では、それが彼を迎える儀式のようになっている。昨夜も二人、天神で焼き鳥を食べ後、この店に向かった。
 この店では店のメンバーによる演奏が行われ、客も歌うことができる。テーブルごとににマイクが廻って来て、誰かが歌えば居合わせた他の客が歓声を送る。店内はひとつになってどんどん盛り上がって行くのである。後輩はいつもその光景をうれしそうに眺めている。博多に帰って来たことを彼はこの店でいつも実感しているようである。

 昨夜も入店してしばらくすると演奏が始まり、やがてマイクが私たちに廻って来た。 後輩はとなりのテーブルの若者たちを誘ってステージに立ち、Choo Choo TRAIN を彼らと一緒に歌い始めた。みんなが手拍子をする。やがてみんな総立ちになって歓声を送る。そうこうしていると奥のテーブルの女性もステージ上がって歌い始めた。最後は全員がひとつになってChoo Choo TRAIN を歌った。後輩と私の儀式は盛り上がって終わったのだった。