Tuesday, November 28, 2023

銚子電鉄

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 東京へ行ったついでに銚子まで足を伸ばし銚子電鉄に乗ってきた。写真は銚子電鉄本社がある仲ノ町駅のホームで撮ったものである。指差し確認を行う駅員さんの真剣な表情に魅せられてしまったので、アップさせてもらった。

 ご存じの方も多いと思うが、銚子鉄道は1998年に親会社が債務超過で倒産し経営危機を迎える。2004年には当時の社長の業務上横領が発覚し補助金の支給が停止され、さらには国交省から業務改善命令が出され、何度も廃線の危機を迎えるがその度に苦難を乗り越えてきた。

 経営危機を救ったのは、1995年から始めたぬれ煎餅や、自虐的に「マズいです!経営状況が・・」をキャッチフレーズにした「まずい棒」などの食品販売らしいが、根底は彼のような一所懸命に頑張った社員たちのひたむきな努力だったのだろう。その社員たちの姿に地域住民や全国の鉄道ファンたちが心を動かされ、支援の手を差し伸べたのではないだろうか。二日間銚子電鉄に乗り、最後に彼の指差し確認を見てそう実感し、清々しい思いで駅を後にしたのだった。



Saturday, November 25, 2023

上京

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 木曜日から東京に来ている。私より数日前に女房が上京し、私は木曜日の朝の飛行機で東京に向かった。その日の夜、豊島園駅でとしまえん跡地にできたハリーポッターのスタジオを満喫した女房と娘二人、そして姪と落ち合った。 
 実に姪と会うのは10数年ぶりであった。いろんな事情があって姪とは会えていなかった。姪は私を見るなり涙ぐみ、私も目頭を熱くして再会を喜んだ。
 みんなでスターバックスでコーヒーを飲みながら、昔話に花を咲かせる。姪から近況を聞き、元気そうにしていたので安心した。
 
 幼い頃一緒に遊んだ娘たちが、今、大人になってそれぞれに上京し、東京で連絡を取り合い再会している。そのことが父親として叔父としてとても嬉しく思う。これからも従姉妹同士、東京で助け合って生きてほしいと切に願ったのだった。





Saturday, November 18, 2023

シベリア菓子

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 シベリアというお菓子をご存知だろうか?シベリアは羊羹をカステラで挟んだお菓子で、昭和初期に全国的に人気を博したお菓子らしいが、製造に手間がかかるため、今では販売する店も少なくなっているらしい。
 シベリアは明治末期に東日本から中部地方で広まったらしく、九州ではほとんど見かけることがないが、2019年に佐賀の老舗和菓子店「村岡総本舗」が三越伊勢丹のバイヤーから打診を受け製造を開始。写真はその村岡総本舗のシベリアである。昨日、博多駅のデパートで見かけたので買って帰った。味はともかくこのパッケージが素晴らしい。クリスマスを連想させる色使いに伝統とモダンさを感じさせる。

 名前の由来は諸説あるようである。羊羹の部分がツンドラの雪原を走るシベリア鉄道に見立てられたという説。氷と凍土が層になったシベリアの凍土の断面に似ているという説。川崎市のホームページには、乃木将軍がシベリアの戦場へ出征する際に、上野のパン職人が甘党の将軍のためにカステラに羊羹をサンドしたものを考案し、乃木将軍がとても気に入ったと言う説も書かれている。個人的にはこの乃木将軍説を支持したい。シベリアの極寒の地で寡黙な乃木将軍がストーヴの前で「シベリア」を食べ、頬をゆるませている姿を想像するとなんだか嬉しくなってくる。

 いずれにしろ羊羹が挟まっているからシベリア地方発祥のお菓子ではないだろう。シベリア地方の人はまさか日本に「シベリア」なるお菓子が存在するとは思いもしないだろう。シベリアは和洋折衷の謎のお菓子なのである。




Thursday, November 16, 2023

多門櫓にて

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 とある秋の日、多門櫓で女房とJazzを聞きました。





Wednesday, November 15, 2023

カレーライス


 先週の土曜日、実家に帰り母を連れ出して朝倉までドライブした。運転は姉で助手席に母、私は後ろのシートに座り電子タバコを燻らせながら、秋が深まる朝倉の田園風景を眺めて喜んだ。
 写真は朝倉の三連水車からちょっと山間に入ったところにあるカフェで食べたカレーである。家庭で食べるような昔ながらのカレーで美味しかったのだが、じゃがいもの代わりに大きな林檎が入っていた。写真の手前に写っている一見じゃがいものような塊が実は林檎なのである。じゃがいもと思って口に放り込んだら林檎だったのでびっくりした。

 話は変わるが遠藤賢司のカレーライスという曲がある。発売は1972年だから今から50年以上前の曲である。彼女が作ったカレーを二人して食べるだけの他愛もない歌詞で、いわゆる「四畳半フォーク」と言われる種類の曲なのだが、私はこの曲が好きで、年に数回思い出したように聞いている。四畳半の中に充満する幸せ感がたまらないのである。
 そんな他愛もない歌詞だが一箇所だけ気になるところがある。歌詞の一部を抜粋する。

 猫はうるさくつきまとって
 私にもはやくくれニャァーって
 うーん とってもいい匂いだな
 僕は寝転んでテレビを見てる
 誰かがお腹を切っちゃったって
 うーん とっても痛いだろうにねえ
 カレーライス
 
 「誰かがお腹を切っちゃったって」この部分なのだが、これは三島由紀夫の割腹自殺のことのようである。「うーん とっても痛いだろうにねえ」とその行為に懐疑的なことが見て取れる。この事件は私が小学校に上がった頃で、家に帰ってテレビを点けると、どのチャンネルもこのニュースばかりを放送していたのを覚えている。なぜ死ななければいけなかったのか、遠藤賢司氏も疑問に思ったのだろうと思う。
 ここからは私の推測だが、恐らく最初はこの箇所には違う言葉が入っていたのではないかと思う。日常を描写しただけの、ほのぼのとした歌詞が書かれていたのではないかと思う。
 何か物足りなさを感じた遠藤賢司は、この二行を三島由紀夫の死について書くことを思いつく。叙情詩の中に叙事詩的なスパイスを入れることにより、歌詞に思想的な脊柱を入れたのではないだろうか。
 四畳半のアパートで彼女がカレーを作っていて部屋中にカレーの香りが充満している。それだけで幸せじゃないか、何も死ぬことはないじゃないか、と遠藤賢司は言いたかったのだろう。その死に何の意味があるのかを遠藤賢司は深く考えたのだろうと思うのであった。



Wednesday, November 08, 2023

少女と力士

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 九州場所で福岡入りした相撲取りたちに、少女がルービックキューブをやってとせがんでいる。
 微笑ましい光景をありがとう。



  

山芋鉄板

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 山芋鉄板は福岡の居酒屋でよく見かけるメニューである。聞くところによると博多の屋台が発祥らしく、隠れた福岡B級グルメである。
 作り方は簡単、すりおろした山芋と卵、そして、小麦粉・だし等を加えかき混ぜて焼くだけである。具材が入っていないお好み焼きをイメージしてもらえればいいが、決定的に違うのはそのふわふわ感である。お好み焼きでは重たすぎるが、山芋鉄板なら酒の肴としてちょうどいいのである。

 それから山芋鉄板は鉄製のフライパンのような鍋で供される。別にフライパンで作って皿で出して良いのだろうけど、そうすると「山芋鉄板」とは言えず「山芋焼き」みたいな名称にしなければならなくなり、何だか重厚感が失せてしまう。土鍋で出さない鍋焼きうどんが無いように、鉄鍋で出さない山芋鉄板はないのである。
 ごちゃごちゃ書いてしまったが、もし、福岡の居酒屋で飲むことがあったら是非食べてもらいたい。山芋鉄板は福岡の居酒屋のテッパンメニューなのである。



Saturday, November 04, 2023

唐津くんち

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 昨日、唐津くんちに行ってきた。写真は一番曳山、刀町の赤獅子である。文政2年(1819)に製作された曳山で、14体ある曳山の中で最も歴史のある曳山である。
 以前、転勤で唐津に一年ほど住んだことがある。今から20年以上前のことになるが、上の娘が小学校に上がった年だった。家族で宵山から見に行き、唐津の町中を曳山を追いかけ歩いた。唐津に転勤になる前長崎に住んでいたが、長崎くんちとはまた違った勇壮な曳山に魅せられたのだった。

 唐津に引っ越しして2年目の夏に突然東京転勤を命じられた。初めての東京勤務。まったく土地勘もない中、知人の勧めで小田急線沿線のとある町に新居を借りることにした。慣れない東京暮らし。家内はまったく友人もおらず、話し相手になってくれる人もいない。気丈な女房だが、引っ越して1ヶ月も経たない内から九州に帰りたいと言い出した。

 そんなある日、回覧板が回ってきた。回覧板には今度の日曜日に曳山まつりが町内で開催されると書かれてあった。気になって回覧板を読むと、佐賀県唐津市に伝わるお祭りが由来だと書かれている。お祭りの主体となっているのは久敬社塾という学生寮で、旧唐津藩主・小笠原家を中心に在京唐津人の勉学向上を目的として明治時代に創設され、この塾が町の自治に貢献したらしく、塾生たちが郷里を懐かしみお祭りを始めたと回覧板には書いてあった。偶然とは言え、何だかこの町に誘われてきたような不思議な気がした。

 翌週の日曜日の朝、お隣の家族と一緒にその塾に向かった。塾に近づくに連れ唐津くんちのお囃子の笛の音が聞こえてくる。ようやく塾に辿り着くと、この刀町の赤獅子が宿舎の前に鎮座していた。
 家族四人で赤獅子を見上げる。お囃子の笛の音の中しばらく呆然となる。女房が嗚咽を上げて泣いている。「よく来たな。心配するな。」とこの赤獅子が私たち家族に言ってくれたような気がしたのだった。