Saturday, June 30, 2012

お石のトンネル

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    太宰府天満宮のいちばん奥に、「お石茶屋」という茶屋がある。
    この茶屋を営んでいたのは、「お石さん」と呼ばれていた女性で、筑前三美人のひとりにも数えられたほどの女性だったらしく、その美貌と気っぷの良さは東京にまで聞こえ、財界、政界の大物までが当時この茶屋に立ち寄ったらしい。
    その茶屋の裏手に通称「お石トンネル」と言われるトンネルがある。写真がそのトンネルなのだが、先週の土曜日、久しぶりに太宰府を訪れカメラに収めてきた。このトンネルは筑豊の炭坑王麻生太吉(麻生太郎の曾祖父)が、お石さんが自宅から茶屋に通いやすいようにと掘らせたという説がある。もしかすると彼が会いに行くために掘らせたものかもしれない。いずれにしろこのトンネルは愛が掘らせたトンネルと言うことになる。なお、お石さんは昭和51年、76歳で独身の生涯を閉じたらしい。
    もし太宰府を訪れることがあったら思い出して欲しい。天満宮でお参りした後、お石茶屋で梅ヶ枝餅を食べ、そしてこのトンネルをくぐりできれば竃門神社まで歩いてみて欲しい。お石さんと二人の愛に思いを馳せながら。












Sunday, June 24, 2012

庭園

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新緑がまぶしい枯山水の庭園に魅せられる。
その後ろ姿にまた魅せられる。
太宰府の古刹にて、一瞬時が止まる。












Sunday, June 17, 2012

大圓寺の大仏

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ご近所のお寺で大仏を見せてもらった。
全長4.85m。200年以上前に7年の歳月をかけて建立されたものらしい。
まさかこんなものが近所のお寺にあるとは知らなかった。
本堂に上がった瞬間、その圧倒的な存在感に驚いた。
不謹慎だけど、この大仏の前で酒を飲みたいと思った。
大仏を前に独酌したいと思ったのだった。












Sunday, June 10, 2012

あじさい

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    昨日、筥崎宮のあじさい苑にひとりで行って来た。
最近は女房も娘もそれぞれに予定があり、ひとりで出掛けることが多い。まあ、娘たちは親父と歩きたくない年頃でもあるだろう。
    ひとりはひとりなりに楽しい。好きなもの食べて、ちょっとビール飲んだりして...
この日も寿司を食べて、ビールを少しだけ飲んであじさいを見に行った。写真がそのあじさい苑のあじさいである。こんなに色とりどりのあじさいを見たのは初めてである。どんよりとした梅雨空の下に、やさしく花を開かせていた。あじさいはむしろ曇り空の方が、際立って見えるような気がする。
ところで福岡は先週梅雨入りしたが、一向に降る気配を見せない。早く一雨降ってほしい。このあじさいたちに早く潤いを与えてほしいと思うのであった。













スーパカブ

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     城跡の脇で主人の帰りを待つスーパーカブ。
     厳かで美しかった。














Saturday, June 09, 2012

老夫婦

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     まるで少年と少女のように見えた。
     少年と少女のように、とても無垢に見えた。












イエラムサンタマリア

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     水曜日の夜、大阪から帰省した後輩と西中洲のバーで、沖縄伊江島のラム酒
     イエムラサンタマリアを飲む。行ったことも無い伊江島の豊潤が口の中に広がる。
     夏休みに行ってみようかな。












Tuesday, June 05, 2012

走る人

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     風景にハサミを入れていくように ただ真っすぐに駆け抜けていく君













Sunday, June 03, 2012

スコーン

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スコーン好きなのです。
今朝、スターバックスで食べました。
はちみつをちょっと掛けて。
あとで思いました。
紅茶にすればよかったと。
実はスターバックスに紅茶があるなんて知らなかったんです。
来週は絶対紅茶にします。













六月

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    六月に入った。久しぶりに大濠公園へ散歩に行ったら、紫陽花がきれいに咲いていた。紫陽花は咲いたが、今年の梅雨入りはいつだろうか?平年ならば6月5日頃らしいが、まだ梅雨入りしそうな気配はない。
    紫陽花と言えばシーボルトの話を思い出す。シーボルトは江戸後期にオランダ商館医として長崎出島に着任し、診療のかたわら鳴滝塾を開き、門人に医学・博物学を教授して蘭学発展に大きく貢献した。しかし、日本地図など禁制品を国外に持ち出そうとし敢えなく海外追放になる。帰国後、日本から持ち帰った紫陽花に、愛人だったお滝さんを偲んで「オタクサ」と学名をつけ、ヨーロッパに紹介したらしい。紫陽花が咲くのを見るたびにシーボルトは、お滝さんと長崎に思いを馳せていたのだろう。ロマンチックな話しではないか。
    そんなことを書いていたら無性に長崎に行きたくなった。雨のオランダ坂を歩いてみたくなったのだった。