Wednesday, December 31, 2014

一年




 昨日、旧友との忘年会に参加するため実家に帰っていたが、先程自宅に帰り着いた。ここ数年、福岡の自宅で新年を迎えている。あと少しすれば、年越しそばを食べて、紅白歌合戦を見て、そして除夜の鐘を撞きに行く、恒例の年越し行事を開始することになる。
 今、このブログを書きながら一年を振り返ろうとしている。今年は上の娘が東京の大学に進学するため、我が家を出て行った。私からすれば別れの年であるが、娘にとっては門出の年となった。
 家族との別れはあったが、旧友たちとの交友が深まった年であった。長崎本線沿いを少年時代のように連れ立って歩き汗を流した。来年はその続きを歩き、いつの日か長崎本線全区間を踏破しようと目標を立てた。他にも旅行などの話しも出てきて、友人たちとの活動が活発になりつつある。

 このブログを書き始めて10年が過ぎた。まだ幼かった娘たちも大学生と高校生になった。そろそろ、子育ては終わろうとしている。来年はこれからの自分の将来を考え、その方向性を模索したいと思っている。昨夜旧友たちと酒を飲みながら、若かった頃のようにまた、友と一緒に何かをしたいと思った。若かった頃あきらめた夢を、また友と追いかけてみたいと思ったのだった。


 一年間お付き合いいただきありがとうごさいました。来年もみなさんがほっこりできるような写真を撮れるよう頑張っていきますので、どうぞよろしくお願いします。
 良い年をお迎えください。





 

 

Saturday, December 27, 2014

クリスマスケーキ





 遅ればせながら、我が家の今年のクリスマスケーキ。
 ちょっと大人の味のケーキだった。
 50才を過ぎたあたりから残りの人生のことを考えるようになった。
 あと何回桜を見れるのだろうかとか、残された時間を意識するようになった。
 
 あと何回クリスマスケーキを食べられるのだろう。
 あと40回くらいは食べたいと思っているのだが...












Tuesday, December 23, 2014

ラム入りのコーヒー






 マスターがラム入れて飲んでいいよと言ったので、コーヒーにラムを入れた。
 顔がほんのり赤くなった。なんだかとてもしあわせな気がした。 









Sunday, December 21, 2014

冬空






   クリスマスプレゼントを買いに行った週末。
   どんよりした空を見上げた。
   ああ今年も終わるんだなと思ったのです。











Saturday, December 13, 2014

カモの夫婦






 なんだか語らいながら、歩いているように見えた。
 寄り添って支え合いながら、生きているように見えた。








西新カレー




 西新商店街(福岡市早良区)の路地裏に一軒のカレー屋がある。その名も「西新カレー」。カウンターだけの小さなお店で、7人も入れば満席となってしまう。
 東京の一流ホテルに勤めていたマスターが作るカレーは、なるほどホテル風の黒くてとろみのある欧風カレーである。昨今、本場インド風のスープ状のカレーが流行りつつあるようだが、私は好まない。昔ながらのとろみのあるルーでないといけない。私が好きなのはカレーではなく、カレーライスなのである。
 マスターの話しでは、そもそもカレーライスは明治時代にインドを植民地支配していたイギリスから、とろみをつけて西洋料理風にアレンジされ日本に入って来たらしい。その後、イギリスではカレーライスは途絶え、日本で独自の進化を遂げて普及。今ではとろみのあるカレーライスを食べるのは世界中探しても日本だけらしい。
 写真はカツカレー大盛り(690円)である。写真を撮らせてくれと言ったら、カレーの前にマスターが立った。その立ち方が凛としてダンディーであり、マスターがホテルマンであったことを窺わせる。
 西新カレーは、極東の片隅の路地裏にある、正統派ブリティッシュカレーの店である。






Sunday, December 07, 2014

ガード下






 たそがれ時のガード下では
 何かを少し思い出し
 だれもが少し優しくなれる。









雲呑麺



 出張の合間、四ッ谷の「支那そば屋こうや」で雲呑麺を食べた。私は”支那そば”と言う言葉に弱い。大袈裟かもしれないが、支那そばという言葉に近代日本の歴史が凝縮されているような、大陸に馳せた先人たちロマンを感じてしまうのである。
 九州ではあまり支那そばという言葉を聞かない。支那そばと言えば関東系の醤油あるいは白湯スープをイメージしてしまう。雲呑麺も九州ではあまり見かけないし、ワンタンと九州系豚骨スープとの相性は関東の醤油ラーメンより劣ると思っている。
 蘊蓄はこの辺にして、この店、見ていると受ける注文の8割は雲呑麺であった。私も他のお客さんに倣って雲呑麺を注文した。熱々のワンタンが5個ほど乗っており、その熱きワンタンのおかげでスープが冷めない。布団の中の湯たんぽ的存在になっているのである。ワンタンを一個頬張っては麺を啜り、次第に汗がにじんでくる。ようやく食べ終えた頃には、身体から湯気が立ちそうなくらい温まった。
 勘定を済ませ店を出ると、師走の風が足下から吹いて来る。しばらくそれが気持ち良くてコートを手に持ったまま、ほっこりとした気持ちで駅へと向かったのだった。






三丁目の夕日



 金曜日、出張で東京に行った。今度東京へ行く時には訪れてみたいと思っていた場所があった。今更であるが、先日映画「ALWAYS 三丁目の夕日」を観て、あの映画の舞台となった街を訪れてみたいと思っていたのである。
 あの舞台設定はどこだろう?私は三田辺りではないかと思っていたが、ネットで調べたら、虎ノ門三丁目から愛宕一丁目付近であることがわかった。
 土曜日、朝食を済ませてホテルを9時過ぎにチェックアウトし電車に乗った。どこで下車しようか迷ったが、新橋で下車してぐるっと芝公園まで歩き、それから虎ノ門三丁目〜愛宕1丁目付近を散策した。写真は正則高校付近で撮ったものである。
 当然のことながら舞台となった付近はビルが建ち並び、その当時の面影を見ることはほとんど出来ない。東京タワーもビルの影に隠れ、近くにありながらもなかなか姿を見せてくれない。それでも細い路地を入ると古びた民家がいくつか残っていて、当時の面影を見いだすことができる。フィクションであることは百も承知であるが、鈴木オートはこの辺りだったんじゃないだろうか、院長先生が狸に化かされたところはこの辺りじゃないだろうかと私の想像力をかき立たせてくれた。
 そうこうしていると愛宕神社にたどり着いた。何だか愛宕神社の神様に誘われてここまで来たような気がする。祭神に手を合わせ、私の短い「三丁目の夕日」ツアーは終わったのだった。



 
 





Sunday, November 30, 2014

かまバタ




 あるいは福岡のローカル料理かもしれない。カマボコをバターで炒め醤油を少したらすだけの料理だが、これが安くて結構いけるのである。昨日飲んだ中洲のおでん屋で、隣りに居合わせた出勤前の水商売風オネエさんが美味しそうに食べていたので、釣られて注文したのである。
 カマボコは紅白のものが良い。可愛らしくて、なんだかめでたい感じがする。熱々のかまバタを一切れ口に放り込むと、バターのこくと醤油の香ばしさが、かまぼこのプリプリした食感とともに口の中に広がって行く。その余韻が消えないうちにビールを流し込み、そしてまたかまバタを口に放り込む、
 そうやってかまバタを食べていると、となりの水商売風オネエさんの携帯が鳴った。どうやらお客さんのようである。店で食べるからと、食べかけのかまバタにラップをかけてもらい、皿を持っておでん屋を後にした。オネエさんを目で見送りながら、今度飲みに行くからねと、心でつぶやいたのだった。







霜月の夜






 お櫛田さんで昔の友と手を合わせる。
 中洲に繰り出す前の儀式のように。
 めぐり会いを縁(えにし)と言う。
 会うべき人に、人はめぐり会う。








Monday, November 24, 2014

石段







  そろそろあの石段が黄色に染まる頃。
  たどり着くと、木立に差し込む光に、いちょうが輝いていました。









Sunday, November 16, 2014

ココア




今年の初め、この店でココアを飲んだ。
あれから、春が来て、夏が過ぎ、秋を過ごし、そして今冬を迎えようとしている。
今日、ココアを飲んだ。
身体も心も、ココアで温まった。
ココアどーこーだ?
昔のCMを思い出した。
なんだか、ほっとした、






Sunday, November 09, 2014

マラソン






  応援してくれている人がいる。
  声には出さなくても、頑張れと心で言ってくれている人がいる。
  必ずいるのです。










Monday, November 03, 2014

相撲






 九州場所で巡業中のお相撲さんたちの、朝稽古を見に行った。
 国技を支えるお相撲さんたち。四股踏んで、鉄砲撃って、すり足をして
 恐らく、その稽古のやり方も延々と受け継がれて来たのだろう。

 しばらくすると、彼らの身体から汗が滴り落ち、湯気が立ち始め
 土俵に立つ彼らの姿が神々しく見えて来た。
 彼らの稽古に、僕はちょっと感動したのだった。







三連休






  三連休、後輩とロックンロールを聞いた。
  エレキギターがキューンキューン。
  ドラムがパカパカパカパカドン
  ベースがベンベケベンベンベン
  キープしたアーリータイムスのボトルナンバーは1152
  みんな煙草スパスパスパで目はしばしばしば
  後輩を見ると楽しそうに酒を飲んでいる。
  ロックンロール、いいよね。やっぱり、いいよね。









Sunday, October 26, 2014

手相



  昨日今日と近くの広場でイベントが行われた。イベントは半年に1回行われ、近隣の飲食店が屋台を出して自慢の一品を争う、分かりやすく言えば地元密着型のB級グルメコンテストである。
 会場にはグランプリを狙う焼きそば、ホットドック、カレーに焼き鳥などの屋台が軒を列ね、そして、フリーマーケットの店や骨董品などのお店も出店する。中央にはステージが作られ、生バンドの演奏やダンスなど披露され、毎回私はこのイベントを楽しみにしている。

 昨日、昼過ぎに会場へ行き、ひとりでハイボールを飲んでバンドの演奏を聴いていたら、ご近所のY子さんに出会した。Y子さんは不意に私に左手を差し出し、たった今、会場に店を出している手相師に見てもらったとのこと。「結構当たってたんですよ。」と言って、金色のカラーペンでなぞられた自分の手相をしげしげと見つめていた。
 それならば私もと、Y子さんと一緒に手相の店へ行った。手相師は年齢40才位の男性。占い師と言うよりも、風貌はミュージシャンのようである。手相師の前に座り両手を差し出すと、金色のカラーペンで私の左手の線をなぞりながら説明を始めた。
 まずは生命線をなぞりながら、健康には問題ないですねと手相師は言った。次は感情線に目を凝らしながら、とても心が広い方だと言う。ちょっと照れながら聞いていると、勘が鋭いがそれを役立てていない。お金にあまり興味はないようだが、それでもお金に困ることはない。そして、幼少期は複雑な環境で育ったようですねと言った。当たっているかどうかは微妙なところだが、手相師の説明を頷きながら聞いた。
 今度は右手を見ながら、左手と比較して行く。手相師の話しによれば、右手は過去の相のようである。右手はマスカケになっており、本来、頑固で引っ込み思案の性格だったが、それが左手の相へ変化して行ったのだと言う。
 手相師はまた左手に戻り運命線をなぞりながら、これからは自分のことに集中すべきですと言った。例えばあなたは飲み会に言っても、浮いている人はいないかと気遣い、飲み会自体を存分に楽しんでいないのだと言う。
 そして、私の左手を握りながら手相師は、この手相の欠点を言えば、もっとあなた自身がやりたいことを追求することですと言い切った。分かりやすく言えば、少年がプロ野球選手になることを目指し、そしてそれを目標にひたすら頑張る。やがて運気は上昇し努力が実ってプロ野球選手になる。そうすると人脈も広がり、お金も入って来るようになる。しあわせになるセオリーを手相師は少年とプロ野球を例に説明した。
 説明が終わると手相師はペンを置き、それにしても珍しい手相ですねと言った。私は私の手相のどこが珍しいのかさっぱり分からない。それでも、これから生きて行くヒントをもらったような気がした。

 それから生バンドの演奏が響く中、私とY子さんはステージ前のイスに座ってハイボールを飲みなが話し込んだ。二人で金色のカラーペンでなぞられた左手を差し出しながら、これからどう生きるべきかを、ああでもないこうでもないと話し込んだのだった。

















Saturday, October 18, 2014

うどん





 金曜の夜。小林君と二人でうどんを食べた。
 俺はえび天、小林君はきつねだ。

 こっちでズルズル、あっちでズルズル。
 ズルズル、ズルズル。ズルズル、ズルズル。
 あ〜、ズルズル。ふーふー、ズルズル。
 ズルズル、ズルズル。ズルズル、ズルズル。

 わずかに俺の方が早く食べ終えて、小林君を見た。
 小林君はまるで祈りを捧げるようにどんぶりを両手で抱え上げ
 最後の一滴を飲み干していた。
 そしてその最後の一滴を飲み干すと、静かにどんぶりをカウンターに置き
 ニコッと笑った。 

 金曜の夜、僕らはうどん屋でささやかに週末を迎えた。





 

Monday, October 13, 2014

スタンドバイミー

 
 三連休、郷里に帰り旧友たちと長崎本線沿いを歩いた。最近は飲み会だけの企画だったので、久しぶりにみんなで歩いてみようかと、友人のYが言い出したのである。
 色々とスケジュール調整に難航したが、それでも4人が集まった。朝5時に起きておにぎりを握り、水筒にお茶を入れて集合場所であるJR中原駅へと向かった。
 駅に到着するとすでにYは駅舎の前で私たちを待っていた。煙草を一本吸い終わると、線路沿いの道を次の吉野ケ里公園駅まで歩き始めた。右手には黄金色に輝く田んぼが一面に広がっている。時折、電車が私たちの左側を通過して行き、南からの風がぎっしりと実った稲穂を揺らす。歩き始めてから2時間。あっという間に目的地の吉野ケ里公園駅に到着した。
 その様子をフェイスブックにアップしたら、「スタンドバイミーみたいですね。」と近所の人がコメントをくれた。そのコメントを読んで、少年時代のことを思い出した。少しだけやんちゃだったあの頃を。今度はちょっと線路上を歩いてみようかと、思ったのだった。











Sunday, September 28, 2014

文化祭




  高校の娘の文化祭に家内と出掛けた。
  今年高校に入学した娘。その校舎に私は初めて入った。活気のある女子校で
 その活気が校舎の中まで満ち溢れているような感じがする。窓から外を眺めると
 福岡タワーと赤銅色に輝く福岡ドームの屋根が見える。悪くない景色である。
  一通り校舎の中を歩き、食堂でカレーライスを食べた。そして、きつねそばと
 娘おすすめの鶏の唐揚げも少し食べてみた。お腹いっぱいになって高校を後にした。
 娘と同じ景色を眺め、娘が日頃食べているものを口にし、少しだけ娘のことが理解
 できたような気がしたのだった。





Sunday, September 21, 2014

蚤の市にて






 蚤の市。売っている物よりも、買っている人に興味を覚える。
 みんな色んな物を手に取って、買って行くのです。







Sunday, September 07, 2014

9月






 木陰にて最期の蝉時雨を聞く。
 おそらく、今年最後の蝉時雨を。







Sunday, August 24, 2014

麦わら帽子








  夏の終わりの浜辺では、麦わら帽子がまぶしく光っていました。








Friday, August 15, 2014

飯田高原




 飯田高原までドライブした。写真は飯田高原にあるエルランチョグランデと言う乗馬場である。別に乗馬をするわけではないが、この乗馬場を過去何度も訪れた。
 初めて飯田高原を訪れたのは高校三年の夏だった。夏休み、友人三人で飯田高原のペンションに泊まることにしたのである。豊後中村駅からバスにのり、長者原で降りて、ペンションのオーナーが迎えに来てくれるのをドライブインで待った。
 その年は記録的な冷夏で、飯田高原は霧のような雨が降り続けていた。九重山から降りて来る登山客で、ドライブインは賑わっていた。おみやげコーナーを物色しながら、私たちはオーナーが来るのを待った。店内では芹洋子の坊がづる讃歌が流れていた。少し悲しげなメロディーが、何度も何度も繰り返しかかっていたのを覚えている。
 翌日、小雨が降る中、私たち三人は自転車に乗ってこの乗馬場を訪れた。ウエスタン調の店内を見て回り、当時付き合っていた女性にここでカウベルをお土産に買った。そしてまた、雨の中を自転車に乗ってペンションに帰った。

 あれから34年が経った。そして今年、あの年の夏と同じように九州は雨が降り続いている。私はこの記事を書きながら34年前の夏を思い出している。マンションのベランダから雨を眺めながら、高原を自転車で彷徨う自分を探している。











Sunday, August 10, 2014

Sunday, August 03, 2014

ベビーハム




 写真はマルハニチロ㈱のベビーハムを炒めたものである。博多のとある居酒屋でメニューにあったので注文してみた。
 ベビーハムは魚肉を原料としたソーセージで、今年生誕60年を迎えるロングセラー商品である。私はてっきり全国区の商品と思っていたが、マルハニチロのHPによると、福岡から広島地方にかけて販売されているようである。
 私が生まれ育った地方では、私がまだ幼かった頃、ソーセージと言えば魚肉ソーセージのことであり、ベーコンと言えば鯨の赤いベーコンであった。ベビーハムは本物を知らない、本物を買えない庶民のために、当時マルハが代替物として世に送り出した商品であり、高度成長期における食生活に、大きく貢献した商品と言っても過言はないと、私は思っている。

 いつしか私たちは豊かになり、本物のハム・ソーセージが食卓に登場するようになった。食べ慣れた魚肉ソーセージとはまったく異なる本物の味に、私たちは驚き魅了された。御歳暮にハムの詰め合わせをもらうと、少年だった私は飛び跳ねて喜んだのだった。
 しかし時は更に進み、私たちは今こうやってベビーハムを美味しく食べている。子供の頃を思い出して、ベビーハムを頬張りビールを飲んでいる。このハム一切れに慎ましく生きていた昭和を思い出しながら、お世話になりましたと感謝しながら食べているのである。







 

Saturday, August 02, 2014

花火大会





 
 恐らくこの瞬間、数十万の人が同じ空を見上げてうっとりしている。
 ビール片手にうっとりしているのです。
 







Sunday, July 27, 2014

暑中お見舞い





  暑中お見舞い申し上げます。


 暑中お見舞いと入力したつもりが、焼酎見舞いと変換されてしまいました。(三回も)
 どうやら私の身体は焼酎の水割りを欲しがっているようです。
 写真は津屋崎海水浴場(福岡県福津市)で昨日撮ったものです。
 炎天下、砂浜をてくてく歩いていると、一軒のかき氷屋に出会しました。
 ほとんど誰もいない砂浜でぽつんと店を出していたかき氷屋に、なんだかとても哀愁を
 感じたのでした。
 
 これからますます暑さが厳しくなりますが、どうぞご自愛ください。





                              平成二十六年 盛夏

                                     盆暮

Monday, July 21, 2014

能古島




 二十年ぶりぐらいに能古島へ行った。能古島は周囲12キロメートル、博多湾にあって福岡市西区に所属する島である。春には菜の花、秋にはコスモスが咲き乱れ、福岡市民憩いの場所として親しまれている。また、作家の檀一雄が晩年を送った島としても知られており、「火宅の人」はこの島で書き上げられ、氏の遺作となった。
 写真は島の海水浴場から福岡タワー付近を撮ったものだが、こうして博多湾を望むと福岡の発展ぶりが見て取れる。正面に見える百道地区は、横浜みなとみらいを思い起こさせるようなウオーターフロント地区に変貌を遂げている。
 久しぶりに訪れた能古の島で、若者たちとバーベキューや海水浴を楽しみ、夏の到来に心躍らせたのであった。







Sunday, July 13, 2014

山笠







  うれしくて、うれしくて。ただ、うれしくて。
 







Sunday, July 06, 2014

七月




 七月になった。昨日、郷里に帰り友人たちと飲んだ。写真は帰りに鳥栖駅で撮った七夕の飾りである。女学生が立ち止まり見上げる姿が可愛くて、一枚撮らせてもらった。
 昨日、実家に帰る途中で山に登ったが、山道の途中で、竹を切り出す親子連れを何人か見かけた。子供が大きくなると、七夕の飾りをすることもなくなったが、そんな光景を見ると、夏が来たことを実感する。
 私の郷里では、7才の夏に七夕を祝うしきたりがあった。庭に笹飾りをこしらえ、床の間にはお祝いの品やスイカが並べられ、お祝いに来る親類縁者を料理でもてなす。スイカが大好物だった私は、床の間にたくさん並んだスイカを見て興奮したのを記憶している。

 恐らく今日、昔ながらにお祝いをする家庭もあるだろう。親類が集まり、間も無く宴が始まる頃だろう。子供が成長した今、そんな子供の行事がとてもなつかしく、そして羨ましく思えるのだった。










Sunday, June 29, 2014

ローストビーフ







 6月25日
 ローストビーフを食べながら一人乾杯した。
 これからの自分に乾杯した。 










Tuesday, June 17, 2014

あじさい






 あじさいを眺めるなら朝が良いと思う。
 まだ日が照らないうちが、一番みずみずしくてきれいだと思うのです。
 今度の土曜日も早起きして、お城のあじさいを見に行こうと思います。















運動会






 高校生の娘の運動会は体育館で行われた。
 観客席から見物したが、どれが娘かさっぱり分からない。
 みんなちゃんと分かるのかな?
 他所の子を間違って応援したりして...
 でも、結構楽しめたので、来年も行ってみようかな。











Saturday, June 14, 2014

東京





 下北沢の行きつけのバーを娘と二人で訪れた。
 昔と同じラムを飲み、居合わせた昔の常連と話しをする。
 8年前にタイムスリップしたような、そんな気がして横をみると
 大きくなった娘がいて、私を驚かせる。

 そろそろお前たちに、色んな物を引き継ぐ時代が来たようだ。
 この店もそのひとつ。今度はお前一人で行ってみてくれ。
 夜更けまで飲んで、語り明かしてみるといい。
 片寄せ合って、みんなで窓から見える月を眺めて。
 誰かの不幸はみんなで分かち合い、誰かのしあわせはみんなで祝福し
 生きてて良かったと思える夜を、居合わせたみんなで乾杯して欲しい。








 



 

Sunday, June 01, 2014

襖絵




 知り合いの画家のRさんが、お寺の襖絵を描いているので、ちょっと覗きに行ってきた。場所は博多区上呉服町、山笠は東流を担ぐ由緒ある博多の町である。
 本堂に上がると、ご本尊の左右の脇間の襖にRさんが絵を描いていた。写真の襖はご本尊向かって右側の脇間の襖である。左からさくら、蓮と、季節が春から夏へ移り、そして、ご本尊右側の襖へ秋、冬とつながって行く。秋冬の襖は製作中であったが、完成すれば計8枚の襖に、凝縮された日本の四季が絵巻物のように描かれることになる。それはまるで、極楽浄土のような静かな美しさを感じる。
 恐らくこの襖絵は100年以上ここにあり続けるであろう。お詣りに訪れる人々を魅了し、あるいは安らぎを与え、きらびやかなご本尊とともにこの空間にあり続けるであろう。
 襖絵の前にあぐらをかいてその写真を撮りながら、不謹慎であるがここで酒を飲みたいと思った。お膳にお銚子と少しの肴。襖絵を眺めながら、静かに酒を酌み交わす。月あかりがわずかに本堂の縁側を照らし、蛙の鳴き声が遠くから聞こえてくる。さぞかし酒が美味しいだろうと、襖絵を眺めながら空想したのだった。





Monday, May 26, 2014

散歩道







 夕暮れ前、斜めに差し込む強い日射しが、蓮の葉脈までも眩しく浮き上がらせる。
 午後五時、ビールを1杯だけ飲んで、日曜は終わりを告げた。







Sunday, May 18, 2014

風船売り







  こどもの真剣な眼差しが、好きなんです。








蚤の市




 蚤の市に行って来た。割と近くで開催されるので、毎回のように行っている。毎回のように行ってはいるが、今もって買ったことがない。何か掘り出し物はないかと見るのだが、特に欲しいと思う物もなく、あっても高価だったりして買いそびれている。そもそも、食べ物以外は執着心が希薄なのかもしれない。
 福岡の蚤の市は年二回、春と秋に開催されている。春はゴールデンウィークが終わった今時分に開催される。護国神社の杜の中、新緑に初夏の日射しを浴びながら、おだやかに、和気あいあいな感じで開かれる。何も買わなくても、その雰囲気を味わうだけでも楽しめる。

 今日は二日目。今日も特に予定がないので、この後行ってみようかと思う。何かひとつぐらい掘り出し物を見つけて、みんなに自慢したい。実を言うと、フードコーナーのフランクフルトがかなり美味しくて、もう一度食べたいのである。






Sunday, May 11, 2014

母の日に



 母の日、実家へ帰った。
 毎年この日だけは実家に帰り、親孝行のようなものをしている。土曜日、ドライブに連れ出し一緒に食事をして、そして今日、庭木の剪定をして先ほど福岡の自宅へ帰り着いた。写真は郷里のJR鳥栖駅で先程撮ったものである。
 父が死んでからは、庭木の剪定をするのが私の役目となりつつある。毎年、母の日とお盆に、朝からお昼頃まで掛かって剪定をする。小さな庭だがそれでも結構体力を使う。死んだ親父が見たら笑うかもしれないが、自分では毎年少しずつ上達しているような気がしている。
 切り終えて汗を拭いながら庭を眺め、ああ、今年も親孝行したと、ひとり満足するのであった。






Monday, May 05, 2014

どんたく







   やがて向こうから見えてくるパレードを、みんなで待っていた。
   遠くに目を凝らして、待っていた。








Sunday, May 04, 2014

ゴールデンウイーク






   さんさんと きらきらと まぶしくて

   ゴールデンウイーク  









Tuesday, April 29, 2014

蓮華草






  手に取るな やはり野に置け 蓮華草


                     瓢水










焼きビーフン



 私の中で三大炒麺と言えば、やきそば、皿うどん(太麺)、そして焼きビーフンになる。これ以外に炒麺で何があるのかと聞かれると、少なくとも博多では焼きうどん、焼きチャンポン、焼きラーメンが挙げられる。
 三大炒麺の中でどれが一番好きかと言われると甲乙つけ難いが、やきそばや皿うどんでは胃に重たすぎる時、そんな時はちょっとライトな焼きビーフンがうってつけである。先週日曜日、近くの港のお祭りに行った帰り、ちょっと小腹が空いたので近所の中華屋で食べて帰った。
 そう言えば、東京に居た時、中華屋で焼きビーフンのメニューをあまり見かけなかったような気がする。福岡の中華屋だったら必ずと言っていいほどメニューに焼きビーフンはあるが、関東地区に展開する中華レストラン「バーミヤン」や関西地区中華の覇者「餃子の王将」でさえ焼きビーフンはない。
 これは私の推測だが、日本の中華街のほとんどは広東系だが、長崎中華街のみは福建系らしい。ビーフンの発祥を調べると福建省付近のようであり、だから長崎から広がった九州の福建系中華屋にはビーフン料理があるのではなかろうか。逆に言えば、メニューを広げて、もしそこにビーフン料理があったならば、その店は福建系と言えるのではないか。
 もし、あなたが中華屋で焼きビーフンのメニューを見かけたら想像して欲しい。その店の創業者は長崎中華街で修行をした人、あるいは長崎福建系の流派に連なる人だと言うことを。焼きビーフンを食べながら、そんな日本における中華の系譜をたどるのも、ちょっと面白いと思う。









港のバザー






  半年に一回開かれる近くの港のバザーが結構楽しい。
  ご近所さんや港の有名人たちがいっぱい居て
  日曜日、初夏を香りの中で、和気あいあいとしていたのです。










Sunday, April 27, 2014

鳥栖駅ホームのうどん



 鳥栖駅ホームのうどんは鳥栖人のソウルフードである。山を下りて帰る途中に、鳥栖で途中下車して食べた。
 うどんに乗っている肉はかしわを甘辛く煮たものであり、これがなくては鳥栖駅のうどんではない。普通の肉うどんほどくどくはなく、出汁の味を邪魔することはない。
 北部九州の食文化でかしわは欠かせない。がめ煮(筑前煮)にかしわ飯、そして雑煮の出汁にもかしわを使う。かしわという言い方も西日本だけではなかろうか。
 発車まで10分。一気にうどんを啜り上げて電車に乗り込む。車窓に広がる郷里の風景を眺めながら、帰路についたのだった。







鷹取山



 土曜日、久留米市田主丸の鷹取山に登った。以前から、田主丸に屏風のごとくそびえる耳納連山が、気になっていた。標高802m、鷹取山はその耳納連山の中にある。
 JR田主丸駅に到着する。駅からその連山を見上げる。まるで、南から筑後への侵入を阻むように、その連山は屹立している。
 駅前の住宅街を抜け、川沿いに進むと葡萄畑が見えて来た。田主丸地区は葡萄の栽培が盛んであり、ワイナリーもある。葡萄畑が終わると森へ入って行く。
 森は新緑がまぶしく、遠くからキツツキが木を叩く音が聞こえてくる。いたるとこに清流が流れ、豊かな森へ入ったことを実感する。
 その豊かな森を抜け、ようやく山頂に到着する。駅から3時間、久しぶりの登山に、私は疲れ果てていた。朝、自分で握ったおにぎりを頬張りながら、筑後の町を俯瞰する。心地良い風が平野から吹き上げて来る。しばらくその風に吹かれていた。






Sunday, April 20, 2014

各駅停車







  各駅停車の電車の中にも、春の風が吹いていました。







富松うなぎ




 富松うなぎは久留米市南部の筑後川沿いにあるうなぎ屋である。土曜日、散歩がてらに西鉄電車に乗って行ってみた。
 天神から特急電車に乗って約40分、大善寺駅で下車する。田んぼの中の道をてくてくと歩いて約30分、もうすぐ筑後川に突き当たる頃、富松うなぎの看板が見えて来た。
 看板を見上げて前回来たのはいつだったか思い起こしてみる。恐らく結婚して間もない頃、女房と二人で来たのが最後だから、約20年ほど前になる。日曜日の午後、久留米から筑後川沿いに車を走らせて来た記憶がある。
 さらに記憶を遡る。姉に初めて連れて来てもらった時のことを思い出す。何の用事だったか忘れたが、佐賀県庁に姉たちと行った帰りに、富松に行ってうなぎを食べた記憶がある。県庁では昭和天皇平癒の記帳が行われていた。昭和の終わりの記憶である。
 うな丼をひとり食べながら、そんな昔の記憶を辿った。当時のことを思い出していたら、あっと言う間にうな丼を平らげていた。何だかうな丼が勿体なかった気がしたのだった。
 



 



Sunday, April 13, 2014

目玉焼き

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    会社の行く末を案じながら、とあるバーで部下と二人飲んでいた。
    そんな重たい空気の中、アスパラのソテーが目玉焼き付きで運ばれてきた。
   しばらく二人で目玉焼きを見つめ、「目玉焼きはお前が食べろ。」と部下に譲る。
   うれしそうに「いただきます!」と部下が言う。
   目玉焼きを見ていると、何故か会社の将来は大丈夫そうに思えてきたのだった。








鯉のぼり




 土曜日、百道をひとり歩いた。中央図書館で映画を観て、サザエさん通りと言われる福岡タワーへと続く歩道を歩き、浜まで出てみた。
 浜へ出ると鯉のぼりがはためいていた。今年初めて見る鯉のぼり。もうそんな時節かと季節の移ろいを実感する。あと三週間程で五月になる。五月になれば私もまたひとつ齢を重ねる。早いものである。
 福岡タワーをバックにしながら、泳ぎ続ける鯉のぼりを、しばらく見上げていた。

 






Saturday, April 05, 2014

ハイボール






  ご近所さんの頬杖つく姿が可愛いくて
  ハイボール二杯飲みました。  






四月



 四月になった。私の回りでも、さまざまなことが始まり、あるいは変化し、動き出した。些細なことを取り上げれば、朝の地下鉄の時刻が変わり、ホームに並ぶ顔ぶれも多少入れ替わり、ああ四月なのだと実感するのである。

 
  年年歳歳花相似たり
  歳歳年年人同じからず


 さくらを見てふとこの漢詩を思い出す。そんな、季節である。







Sunday, March 23, 2014

巣立ち






  おまえが生きたいように生きることを許すよ。
  しあわせにさえなってくれるなら。  







Sunday, March 16, 2014

三月




 更新を怠っていた。その理由は娘の上京である。刻々と近づくその日に、私はおどおどしていた。先ほど荷物を出し終えてパソコンの前に座り、ようやくブログを更新している。

 あと数日すれば娘は福岡を去る。18年間一緒に過ごして来た生活も、ひとまず終わりになる。あらたな道を娘は今、歩き始めようとしている。






Saturday, February 22, 2014

菜の花






  菜の花を見たくて筑後川まで行ってみた。
  電車に揺られ、うとうとしながら行ってみた。
  春は今、筑後川辺りまで来ています。










Sunday, February 16, 2014

小春日和






 暖かな日曜日。梅の香りに包まれていました。








焼きそば




 写真は福岡市中央区笹丘にある基峰と言うラーメン屋の焼きそばである。この店はもちろんラーメンが売りなのだが、焼きそばもなかなかのものである。ベーシックなソース味で、麺に絡んだソースが甘くまろやかで美味しい。
 そう言えば、最近近所で麺評論家みたいなことを言われ出した。フェイスブックで麺類ばかりアップしているからだろう。そう言われると嫌でも美味しい麺を見つけ出してアップせざるを得ない。なので休みになると、あちこち歩き回っては、麺類ばかり食べている。
 来週はどこでどんな麺を食べようか。義務感にかられながらも、フォロワーのために博多の街を美味しい麺を探して徘徊する、今日この頃である。
 
 





Tuesday, February 11, 2014







  そう言えば、オカマの梅ちゃんは元気にしてるだろうか?
  舞鶴城の梅林の中で、ふと梅ちゃんのことを思い出した。
  そろそろ、店に顔を出そうか。









Saturday, February 08, 2014

ひなたぼっこ







  束の間の晴れ間に、日光浴するゆりかもめ。
  明日も寒いらしいよ。








ストーヴ







  そこには、あたたかいコーヒーがあります。











Friday, February 07, 2014

新宿DUGにて






 ウエールズから来た青年たちは、ロボットレストランに行くと言って立ち上がった。
    ロボットレストランって何だ?
    ミシェル・ペトルチアーニのピアノが流れる中、僕らは彼らを見送った。










Sunday, February 02, 2014

富士山のチョコ






 東京土産に買って来た富士山のチョコが可愛くて
 日曜の夕方、近所の喫茶店でマスターと居合わせた
 常連さんと、しばし見とれていたのです。









零戦






 ようやく僕らは色んなことを、正しく理解できるようになってきたのかもしれない。

 






中央線




 娘の大学進学が決まり、金曜から一人、娘のアパートを探しに東京へ行った。金曜日に物件の選定が終わると、土曜日、娘が通うことになる大学付近を歩いてみた。
 堀端の歩道を中央線を眼下に見ながら駅まで歩く。土手は桜並木のようであり、対岸には貸しボート屋が見える。喧噪から抜け出した穏やかな風景である。娘はこの景色を見ながら四年間この道を通うのかと思うと、なんだか少しうらやましく思えた。

 娘は他界した義父と同じ大学を選んだ。それはお祖父ちゃんとの約束だからと言って、娘は譲らなかった。その願いが叶って、娘はその大学に無事合格することができた。
 娘は四月からこの道を歩く。恐らく義父も歩いたであろうこの道を。桜舞い散る中、傍らに今は亡き義父がいて、娘と語らいながら歩く風景を想像しながら駅まで歩いた。







Saturday, January 25, 2014

今津干潟








  きらきら きらきら しておりました。











小鍋立て




 昨日、仕事を終えて同僚と居酒屋で鍋をつついた。写真がそれであるが、鰯のつみれ鍋である。鰯のつみれに豆腐、油揚げ、長ネギにごぼうが入っており、冷えきった身体を温めてくれた。
 博多はもつ鍋のイメージが強いが、私が幼かった頃、もつ鍋はまだ普及していなかった。今でも年配の方の中には、もつ鍋を食べたことがない人は多い。大勢で賑やかに食べるにはもつ鍋も良いが、一人あるいは少人数でつつくにはもつ鍋は似合わない。池波正太郎の言うところの”小鍋立て”では具材は二品か三品、質素であることが粋なのである。

 薄暗い灯りの下にぐつぐつと小さな土鍋が音を立てている。それを眺めながら酒を舐めるように飲んでいる。さまざまなことを考えながら、黙って鍋を見つめている。煮えたのを見計らって静かに箸を入れ、やがて口の中に広がる美味しさに、ささやかな幸せを感じる。大袈裟かもしれないが、生きてて良かった、自分の人生も満更ではなかったと思わせてくれる。小鍋立てとは、そんな生きていることを実感させてくれる料理ではなかろうか。









Sunday, January 19, 2014

長浜海岸







       松林を抜けて海岸に出る。
       見渡す限り海岸には誰もいない。
       赤い椅子が一脚。
       誰かがさっきまで座っていたかのように
       浜に打ち上げられていた。










Saturday, January 18, 2014

招き猫







 セブンイレブンの店の前、まるで招き猫のようにじっと動かず座っていた。
 暖かな光の中、しあわせそうに座っていた。








Sunday, January 12, 2014

地下道







人通りもまばらな地下道では、寒さを逃れた人達が静かに歩いていました。










Saturday, January 11, 2014

ココア




 三連休の初日、博多の十日恵美須へお詣りに行って、ぶらぶらと町中を散歩した。今日の福岡の最高気温は7°。晴れてはいるものの気温は上がらず、足下からしんしんと寒さが這い上がってきて肩まで冷やした。
 散々歩くが一向に身体は温まらない。寒さと疲れに歩くのを止め、天神から地下鉄に乗って六本松の行きつけのSaredo Coffeeで暖を取ることにする。いつもならコーヒーを頼むところだが、どうにもコーヒーでは暖まりそうな気がせずココアを注文した。

 私がまだ小学生だった頃、冬、学校から帰るとココアをよく飲んだ。カップに森永のココアパウダーと砂糖を入れ、ストーブの薬缶からお湯を注ぎ、炬燵に入ってペースト状に練り上げてココアを作った。今にして思えば面倒だが、美味しいココアを飲むための手間を、少年であった私は惜しまなかった。
 そう言えば、初めて喫茶店で注文したのもココアだった。中学一年生の冬休み、友人と久留米の映画館にジョーズを観に行った帰り、恐る恐る少年三人で入った喫茶店でココアを飲んで、少しだけ大人になったような気がした。恐らくココアには誰もがそんなあどけない思い出を持っているだろう。

 今、中学三年生の娘が夜遅くまで受験勉強をしている。頑張っている娘に私は時々ココアを入れてあげる。もしかすると娘のココアの思い出に私が登場するかもしれない。いや絶対父が入れたココアの味を娘は忘れないだろうと、馬鹿な父親は思うのだった。





Saturday, January 04, 2014

謹賀新年




 みなさん、明けましておめでとうございます。
 旧年中はご愛顧を賜り、厚く御礼申し上げます。

 明けて正月四日。九連休の休みも明日までとなった。曜日の感覚はとうになくなり、毎日、食べては飲んでの生活が昨日まで続いた。これでは社会復帰に支障を来しかねないと、今日は朝から姪浜(福岡市西区)までの約八キロの海岸線を二時間かけて歩いた。
 写真は姪浜漁港に停泊していた漁船の大漁旗である。正月らしい光景に思わず出会し、シャッターを押した。ちなみに向こうに見える観覧車は、マリノアシティ(アウトレットモール)の観覧車である。
 
 今年の抱負はと考えてみたが、今年は娘二人が大学、高校とそれぞれ進学するため、そのことで前半は色々大変だろうと覚悟している。特に上の娘は東京に上京することが決まっており、その引っ越し等で大忙しになるだろう。
 しかし、一段落したら、私も娘にかこつけて上京し、こっそり東京散策を楽しみたいと思っている。その際は東京の風景と美味しい物を紹介したいと思っているので、期待せずにお待ちいただきたい。


 では、本年もどうぞよろしくお願いします。