Sunday, October 29, 2006

辞令

 急遽異動となった。11月から福岡勤務を命じられた。あらかじめ異動の話は聞かされていたが、まさか福岡になるとは思っていなかった。てっきり東京だと思っていた。ショックだった。
 娘たちに私から話をした。宿題をしていた上の娘が、鉛筆を握りしめたまま泣き出した。下の娘は家内に抱きついて泣いた。娘を抱きしめがなら家内が「私たちは福岡から来たの。だから福岡に帰らないといけないのよ。」と言って聞かせた。そう、私たちは帰らないといけないのだ。帰らないといけない時が来たのである。
 土曜日、下の娘を車に乗せ、六本木の事務所に行った。職場を一度見せておきたかった。ブルーハーツの「1001のバイオリン」をiPodで何度も聞きながら車を走らせた。♪ ヒマラヤほどの消しゴムひとつ〜ショッキングな詩である。何か巨大な物が迫っているような気がする。

   ♪誰かに金を貸した気がする
    そんなことはどうでもいいのだ
   
 本当にそんなことはもうどうでもよかった。車窓から見慣れた六本木の町並みが見える。娘に会社のあるビルを指差し教えた。
 まだ何かやり残したことがあるような気がする。それが何かは分からないが、必ず戻ってくる。必ず東京に戻ってこないといけない。
 だから今は帰ろう。帰らないといけない時がきたのである。


Tuesday, October 24, 2006

かたぐるま


 日曜日、町内のお祭りに出掛けた。曳山を追いかけて写真を撮っていたら、目の前に肩車をしている父子がいた。その光景に惹かれシャッターを押した。
 考えてみれば、私は父に肩車をしてもらった記憶が無い。母に背負われていた記憶はあるのだが、どう思い返しても父に肩車をしてもらった記憶が無いのである。恐らくそれは、父が病弱であったせいだろう。
 父は戦後兵隊から帰ってくると、栄養不足から肺を患い、長い間入院していた。だから、激しい運動をすることは出来なかった。相撲をとったこともないし、キャッチボールをした記憶もあまりない。我が子を肩車するのさえしんどかったのだろう。そして、それは、父親としてすごく辛いことだったろうと思う。
 先日、久しぶりに娘に”高い高い”をしてみた。何とか小2の娘はやれたのだが、小5の娘はさすがに中に放り投げることができなかった。娘は予想以上に重かったのである。娘の成長を嬉しく思う反面、自分の体力の衰えをどこかに感じた。もう、自分も若くない。ただ、それでも娘は嬉しそうに笑ってくれたのだった。
  


Sunday, October 15, 2006

二〇加煎餅

 あなたは、二〇加煎餅が眼鏡をかけたような顔をしてますね。

 そう言うあなたこそ、二〇加煎餅にそっくりですよ。

部長

 金曜日、会社の仲間で六本木通りのバーに飲みに行った。昼間、部長が、バーボンを飲みたいと言い出したので、スタッフを引き連れて行く事にしたのである。
 バーに入ると部長はI.W.Harperをダブルで頼んだ。我々も同じ物を注文し飲み始めた。最初はいつも通り馬鹿話しで盛り上がっていたが、徐々に話が会社の事業再編の事になっていった。
 部長が3杯目をおかわりしたあたりで突然泣き出した。実は事業再編に伴い、部長は関連会社に出向が決まっていたのである。いわゆるリストラである。部長は今までおくびにも見せなかったが、悔しさを堪えていたのだ。出向とは体の良い言い方だが、一旦出向してしまえばもう帰るところはない。会社の犠牲になり、片道だけの燃料を積んで出港しないといけないのである。
 「俺は行きたないんや、みんなと仕事したいんや」声を震わせ部長が叫んだ。皆、目のやり場に困った。返す言葉に詰まった。出向を免れた者が、どんな言葉をかけても慰めにはならない。私は黙って部長の膝に手を置いた。
 平凡なサラリーマン人生であるが、それなりにドラマはある。出会いもあれば別れもある。10月が終われば我が部は解散となり、部長は余所の会社に行ってしまう。そして、11月からはそれぞれのスタートを迎えることになるのである。
 最後に部長が涙を拭い、「カジュアルデーの日に遊びにくるから、その時はみんな集まってランチに行くぞ。服装はみんなベージュのスーツで合わせるぞ。そして夜は六本木金魚に繰り出すぞ!!」とみんなに言って店を後にした。
 部長との約束を守るため、ベージュのスーツを買いに行こう。似合わないかもしれないけど。部長がいつ戻って来てもいいように。

Monday, October 09, 2006

越中島公園

 三連休最後の日、隅田川のほとりを歩いた。右手に清澄橋、隅田川大橋、永代橋を眺め越中島公園まで歩いた。越中島公園のベンチに腰掛け、川の流れを眺めていた。ちょうど満潮と重なったみたいで、川面が歩道近くまで上がり、最後には歩道まで波が打ち寄せて来た。
 目の前に佃島の高層マンションが林立している。太陽がビルの間から顔を出しては、またビルの影に隠れて行く。
 こんなところに住めたらいい。到底叶わない話だから、川向こうの公園でこうやって眺めるしかないのだが、いつの日かあのマンションから、今度は逆に公園でビルを眺める人たちを、眺めてみたいと思ったのであった。 

Sunday, October 08, 2006

シャツ

 10年以上同じブランドのシャツを愛用している。米国のLands' Endというブランドのシャツである。海外通販がブームになった頃、カタログを米国から取り寄せて買い始めた。生地が良く、日本で同程度のシャツを買うよりは遥かに安く買える。それが海外通販の魅力でもあるが、以来毎年10枚程購入している。
 買い始めた当時はエアメイルでオーダーしていたが、やがてFAXを使うようになり、そして今はインターネットでオーダーしている。当初は品物が届くのに1ヶ月を要していたが、最近では1週間程で届く。時代の進化である。
 会社の常務に「君はいつもいいシャツを着ているね。」と先日誉められた。海外通販でアメリカから購入していると説明すると常務は感心していたが、そのこだわりを仕事にも生かしたらどうかと言われてしまった。仕事にもこだわりを持っているつもりなのだが・・・  

教会

 写真は下北沢にあるカトリック世田谷教会である。私用でこの辺りによく行くが、付近は道が複雑なため、いつもこの空高くそびえる十字架を目指して歩く。
 5年程前まで長崎に住んでいた。長崎はキリスト教伝来の地であり、国宝の大浦天主堂を始めたくさんの歴史ある教会がある。当時、会社の同僚で長崎の教会巡りを趣味としていた男がいたが、私も教会を見て回るのが好きで、営業の途中で教会を見つけては同僚と教え合ったものである。
 現在は長崎市に編入されたが、市北部に外海町という町がある。ここは隠れキリシタンの村として有名なところであり、この村の信者は長い間迫害に耐えながら信仰を続けて来た。ここに黒崎教会という素晴らしいカトリック教会がある。煉瓦作りのこの教会は遠藤周作のキリシタン文学の代表作「沈黙」の舞台にもなったところで、23年の歳月を費やし信者たちの手によってが1920年に完成した。一枚一枚の煉瓦を信者達が積み上げ、苦難の末に完成させたのである。
 教会の前は角力灘の青い海が広がる。教会から少しばかり北に行ったあたりに、「沈黙」の石碑があり、石碑には小説の一節を抜粋しこう刻まれている

 『人間がこんなに哀しいのに 主よ海があまりに碧いのです』

 断崖絶壁の海はどこまでも碧く、東シナ海へと広がって行く。この切り立った絶壁の道を歩き、信者たちは教会建設のため通ったのであろう。一歩一歩を踏みしめながら、来る日も来る日も通ったのであろう。

Sunday, October 01, 2006

31アイスクリーム

 31アイスを娘と買いに行った。ハロウィングッズのくじがあっているらしく、昨日から娘たちはチラシを前にどのグッズがいいか揉めていた。

 今から25年程前、恐らく九州では31アイスは福岡天神の新天町店だけだったのではないかと思うが、そのころ同級生で31アイスでバイトしていた男がいた。当時学校帰りによく行っては、その同級生にアイスをこっそり大盛りに盛ってもらっていた。
 その同級生も卒業するとコンピュータソフトの会社に就職したが、しばらくして風の便りで、また31アイスで働いている彼を見かけたという噂を耳にした。
 気になって31アイスに行ってみたら、噂通り彼は働いていた。成
績優秀な男であったが、会社に馴染めず就職して1年程で退職し、31アイスに店長として再就職したとのことだった。久しぶりに31アイスのユニフォームを着た彼はいきいきとしており、また大盛りにアイスを盛ってくれたのだった。

  肝心のアイスだが、家に帰ると娘たちが先に選び、私が残った中からポッピングシャワーを選んだ。さあ食べようとすると上の娘が突然怒りだした。私は期間限定のパンプキンプリンを試食しないといけなかったらしいのだ。何故、私がパンプキンプリンを試食しないといけないかよく分らないが、食べ物の恨みは恐ろしい。今度また買ってあげるからと言って、口の中でプチプチ言わせながら大好きなポッピングシャワーを食べたのであった。   

October

 今日から10月。9月最後の昨日は、土曜日であったが関連会社との打ち合わせのため出勤しなければならなかった。
 打ち合わせを終え、久しぶりに日比谷公園を歩いてみた。休日の日比谷公園は家族連れやカップル達でベンチは占領されており、ようやく空いているベンチを見つけ、同僚と腰掛けビールを1杯だけ飲んだ。
 自転車に乗った親子、犬を散歩させている夫婦、ジョギングをしている女性、公園で憩う人たちを眺めていると、それぞれがそれぞれに幸せそうに見えた。空を見上げると、鰯雲の中に赤い風船が吸い込まれそうに飛んでいた。ビールを飲みながらその飛んでいく風船をしばし眺め、自分自身もまたとても幸せな気がしたのであった。