Thursday, December 31, 2015

大晦日

最後に追加した項目-140

 郷里で旧友たちとの恒例の忘年会を終え、先程自宅に戻った。写真は鳥栖に昔からある喫茶店で撮ったものである。列車を待つ少しの時間、この喫茶店で軽い食事を取った。
 この喫茶店を訪れるのは実に35年振りぐらいであった。奥行きのある店内を見渡し、昔、この店に来た時のことを思い出してみる。誰と来たのだろうか?友人のYだったろうか?などど遠い記憶を思い起こしながらサンドイッチを食べた。
 客が引けて私だけになるとマスターが「帰省ですか?」と話しかけてきた。昨日帰省し、今からまた福岡に帰るところだと言うと、「うちの息子はもう三年帰って来ていない。」と笑いながら言った。
 それから、あれこれ家族のことなどを話していると、棚に飾られた女性の写真をマスターは指差し「妻が5年前に先立ち、今はひとりでこの店をやっています。」と言った。5年前、商店街組合の旅行先で心筋梗塞で急死されたとのこと。それまで元気に店へ立たれていたらしく、訃報の電話を受けた時に、電話先の相手が何を言っているか理解できなかったらしい。

 心地良くジャズが店内に流れている。長いカウンターにひとり座り、コーヒーをお代わりしてマスターと話した。妻に先立たれ、もうそろそろこの店も終わりにしようかとか思っているとマスターが言った。
「でも、いい時代に店をすることができて、しあわせでした。」
最後にマスターはそう話しを締めくくり、私も席を立った。
「よいお年をお迎えください。」
「また来ます。マスターも、よいお年を。」
そう言って店を出た。外はいつの間にか雨が降り出していた。昨夜友人たちと千鳥足で歩いた通りを、小走りに駅へ向かった。


 みなさん、一年間お付き合いいただきありがとうございました。
 今年は少し怠けて、記事の数が少なかったことを反省しています。
 一年を振り返ると、公私ともにあらたなスタートを切った年でした。
来年はどんな年になるのだろうか?
来年の今頃も笑っていれるように、がんばりたいと思います。

では、よいお年をお迎えください。




 


Wednesday, December 23, 2015

クリスマスソング

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 女子高生の歌うクリスマスソング。
 明るくて、溌剌として。
 良いもんです。




Sunday, December 13, 2015

師走

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 今朝、散髪に行った。
 床屋の親父が「 も〜、いくつ寝るとお正月?」と
 歌いながら浮かれ気分で私に聞いて来た。
 そんなに嬉しいのだろうか?
 いくつになっても、正月は嬉しいのだろう。

 天神は買い物客でごった返している。
 先週、ボーナスが出たところが多いのだろう。
 ボーナスがない私は、ちょっとさびしい気もするが
 紙袋を下げてニコニコしながら歩いている家族連れを見ると、ちょっと嬉しい。 
 お父さん、お疲れさまでした。


  毎日のように喪中挨拶の葉書が届く。
 そろそろ、年賀状の用意をしなければいけない。
 「クリスマスケーキの予約をしてきたから、24日に取りに行ってね」と女房が言う。
 なんでその店を選んだのかと心の中でつぶやく。
 「エビありがとう!」と実家の母から電話があって
 今年の御歳暮がエビだったことを知る。
 流行語大賞の流行語を聞いて、そんな言葉が流行ったか?と今年も首を傾げる。
 
 そうやって、今年も終わろうとしている。
 平和に終わろうとしている。





Monday, December 07, 2015

川崎屋食堂にて

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 富岡製糸場を後にして駅に向かう。そろそろお昼時である。キャリーケースをごろごろと引きずり、飲食店を物色しながら上州富岡駅を目指す。上司が途中、ここはどうかと言う店があったが、私が却下する。私は駅を降りた時から、お昼は駅前の川崎食堂と決めていた。
 ようやく駅前に着く。表のショーウインドを見てカツ丼に決める。店内に入ると壁に富岡名物のヒレ肉のカツ丼だと張り紙がある。やはりカツ丼で間違いないのである。ビールを飲みながら待つこと10分。出て来たのが写真のカツ丼である。
 普通、カツ丼と言えば卵とじになっているが、富岡名物のカツ丼は、醤油味の少し甘めのタレで軽く煮たカツが、ご飯の上に乗っかっている。サクサクとしたカツは、タレの甘さも程よく、全体的にさっぱりとしてて食べやすい。こんなカツ丼もあるんだと感心しながら、カツ一口につきご飯三口くらいのペースで、ゆっくりと食べ進める。 
 横のテーブルでは若いカップルが、幸せそうに語らいながら食べている。男はオムライス、女はカツカレー。家庭的なカツカレーが実に美味しそうに見える。後から入って来た家族連れの客は、みんなでメニューを覗き込みながら、何にするかうれしそうに悩んでいる。
 そんなほのぼのとした空気の中でカツ丼を食べ進める。土曜日の昼下がり、川崎屋食堂ではささやかな幸せが店内に充満していた。





Sunday, December 06, 2015

富岡製糸場

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 伊香保へ行ったついでに、富岡製糸場を訪れた。私はあまり興味はなかったが、同行していた上司が行こうと言い出したので、行ってみることにした。
 私は興味がないと言うか、映画「あゝ野麦峠」の女工哀史の印象が強く、そんな悲しみがひしめくような場所へ行くのが、気が引けたのである。(あとで知ったが、小説の舞台となったのは富岡製糸場ではなく、長野県の民間の製糸場らしい。)
 そんな先入観から現地に着いて赤煉瓦の工場を見上げた時、諫早市にあった赤煉瓦造りの旧長崎刑務所を思い出した。しかし、館内に入り製糸場の説明書きを読むと、私の先入観はいくらか払拭された。

 明治5年、近代化を目指す日本は外貨獲得のために、フランスの技術を導入し製糸場を建設。富岡で日本初の工場が稼働し始め、士族の娘をはじめとする優秀な若い女性たちがその日本初の工場に集められた。
 彼女たちの1日の労働時間は8時間程度。七曜制が導入されて日曜は休み。年末年始と夏には10日ずつの休暇が与えられ、食費、寮費、医療費は製糸場持ちであったという。
 そんな当時としては恵まれた労働条件・環境の中で彼女たちは、国策を成功させるために大いに貢献した。やがて技術を習得した彼女たちは郷里へ帰り、その培った製糸技術を伝える役割も担った。 富岡製糸場は工場であると同時に、製糸技術の学校でもあった。

 写真は寄宿舎の横に咲いていたバラである。寄宿舎の南側には鏑川が流れ、その先には秩父の峰々が横たわっている。まだ年端の行かない彼女たちは、寄宿舎の窓からその風景を眺め、郷里に思いを馳せただろう。望郷の淋しさを託された使命感で打ち消しながら、この風景を眺めたのだろう。風に揺れるピンクのバラが彼女たちの残像のように思えたのだった。





伊香保にて

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 金曜日、東京出張の帰り、伊香保に行った。
 東京勤務の頃、半年に一度伊香保のホテルで開催される取引先の総会に出席するために訪れていたが、あれから10年、久しぶりの訪問となった。
 写真は石段街から北側に鎮座する中ノ岳、十二ヶ岳を撮ったものである。朝焼けに赤く染まる山々。10年前にもその雄大な景色に見惚れたことを思い出した。
 これらの山々を越え、さらに北へ進めばやがて上州は終わり越後に入る。残念ながら私は越後に足を踏み入れたことがない。 いつかあの山の向こうへ行ってみたいと、石段街に立って、未だ見ぬ風景に思いを馳せたのだった。




Sunday, November 29, 2015

山荘の夜

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 二週間前、一夜を過ごした久住の山荘の余韻に、今も浸っている。当日は初冠雪コンサートが行われ、居合わせた登山客たちは皆、木造の建物に優しく響き渡る弦楽器の音色にうっとりした。最後には「坊がつる讃歌」をみんなで合唱し、 名残惜しさを引きづりながら、それぞれの部屋に戻って行った。
 あれから毎日のように、スマートフォンで牧ノ戸登山口のライブカメラを見ては、懐かしんでいる。通勤途中の地下鉄の中で見て、会社の食堂で弁当を食べながら見て懐かしんでいる。

 数日前から久住は白い雪景色に変わった。その雪の中をリュックを背負った登山客が行き来している。いつの日か雪の久住に登ってみたいと、暖かくしたマンションの一室でコーヒーを飲みながらその雪景色を眺めては、にんまりしている。楽しかった山荘での夜を思い出しながら、にんまりしているのである。





Tuesday, November 17, 2015

坊がつる

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 11月14日、久住に登った。前回の久住登山から3ヶ月半、この日のために準備をしてきたが、当日は雨に見舞われた。縦走の予定を変更し、ひと山だけ登って山荘に向かった。
 山荘で一夜を明かし、翌朝、山荘の前に広がる坊がづる湿原の中を歩き、山を降りた。写真がその坊がつる湿原である。久住の山々に囲まれた広大な窪地に、湿原が広がっている。昨日雨を降らせた雲は東に流れ、その隙間に顔をのぞかせた青空から朝日が差し込み、ススキの穂を黄金色に輝かせている。それは実に素晴らしい晩秋の風景であった。
 その黄金色に輝くススキの海を私たちは歩いた。一夜の山荘での楽しい思い出をリュックに詰め込み、間もなく冬を迎える湿原の中を。ミヤマキリシマが赤く広がる初夏に再訪を約束しながら、私たちは坊がつるを後にした。



 

Sunday, November 01, 2015

愛車

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 昨日、長年乗ったマイカーを手放した。写真は先週日曜日、最後の洗車を行い、自宅近くの港で撮った物である。今までの感謝を込めて、妻と二人で隅々まできれいに拭き上げた。
 この車を購入した時、上の娘は5才だった。この車と一緒に転勤を繰り返し、転勤先であちこちドライブを楽しんだ。神奈川にいた頃は、ディズニーランドに行ったり、長野に行ったり。箱根や鎌倉・湘南と、毎週のように出掛けていた。
 あれから15年、上の娘が大学生となって家を出ると、家族でドライブすることもなくなり、車もほとんど乗らなくなった。そろそろ手放す時期だと思った。
 車は自動車販売会社を営む友人に引き取ってもらうことにした。昨日、その会社に行き友人にキーを渡し、書類に印鑑を押した。引き取ってもらうにあたって私は、友人に二つのお願いをした。 友人は中古車の海外販売も行っている。国内ではスクラップ同然の私の車だが、海外ではまだ活躍の場があると思い、できれば海外へこの車を売却して欲しいとお願いした。そして、可能であれば、新しいオーナーと写る車の写真を欲しいとお願いした。それが、私ができるこの車へのせめてもの恩返しだと思った。
 友人は即座に了解し、海外販売のオペレーターを呼び指示を出した。オペレーターの女性も、こころよく私の願いを引き受けてくれた。うまくいけば、アフリカの大地で新しいファミリーに迎えられた、この車の写真を見ることができるかもしれない。

 手続きを済ませ、最後にボンネットを3回撫でて駅に向かった。長い間ありがとう。君も我が家の一員だったと心でつぶやき、駅に向かった。





Sunday, October 25, 2015

ぶんりゅう

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  那の津埠頭にあるラーメン屋ぶんりゅう。
  この一杯が美しくて、たまらない。







Saturday, October 24, 2015

三喜屋酒店

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 三喜屋酒店は博多駅東にある酒屋であり、常連たちは愛着を込めてミキハウスと言う。通常の酒屋と異なるのは、角打ち(立ち飲み)が主の酒屋であることであり、恐らく販売よりも圧倒的に角打ちの売り上げが多いだろう。
 決して広くない店内にはU字の長いカウンターがあって、そのカウンターにサラリーマンたちが鈴なりになって酒を飲んでいる。満員でやむなく店の前でビールケースをテーブル代わりにして飲むことも多々ある。
 角打ちをさせる酒屋は他にもたくさんあるが、決定的な違いはキープが出来ると言う点であり、常連客の多くは焼酎の一升瓶を目の前に置いて酒を飲んでいる。一升瓶にはマジックで名前が書かれており、そして巾着が一升瓶の首からぶら下がっている。その巾着には小銭が入っており、仲間と連れ立って来るサラリーマンたちは、飲んだ量に見合うお金をその巾着に入れて、次回キープのために備えるのである。
 この店の大将は今年78才、店は開業して今年50年を迎える。跡取りはなく、奥さんとパートのおばちゃんの計3人で店を切り盛りしており、ごった返す店内を大将たちが忙しく駆け回っている。
 写真は丸天と揚げピーナッツである。私はいつもこの二品を酒のあてにする。この店の流儀で、丸天などの練り物には一味唐辛子を掛けて食べる。乾き物の他に〆鯖、冷や奴、アジのみりん干し、それに缶詰などがある。どんなに飲んでもひとり1,500円を超えることはない。
 最近気になるのは奥さんの体調のことである。今年の春から体調不良で長期に休まれることが多くなって来た。高齢になられたご夫婦が、いつしか店を閉められる日が来ることを、常連たちは覚悟している。ご夫婦の健康を気遣いつつ、その日がずっと先であって欲しいと常連たちは思いながら、今日も酒を飲んでいるのである。





Sunday, October 18, 2015

港のお祭り

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 春・秋と年二回開催されている近所のお祭りが、昨日から開催され行って来た。このお祭りが始まったのは恐らく三年ほど前だったと思うが、この界隈に住む人たちは結構このお祭りを楽しみにしている。
 近所の飲食店が屋台を出し、リーズナブルな値段で料理を出す。その料理を肴に酒を飲み、ステージで繰り広げられる歌やダンスを楽しむ。回を重ねるごとにお祭りの規模は大きくなり、今回は打ち上げ花火まで登場した。
 家族で来ている人。会社の同僚と来ている人たち。友人やカップルで来ている若者。ひとりで来ているご老人。この界隈に住む様々な人たちが、それぞれにお祭りを楽しんでいる。この界隈に住む人々が、みんな笑顔で酒を飲んでいるのである。





 



Monday, October 12, 2015

三軒茶屋

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 先週出張で東京に行き、久しぶりに三軒茶屋を訪れた。写真はキャロットタワーから撮った三軒茶屋の町並みである。眼下を東急世田谷線が西に延び、西太子堂駅のホームが見える。そして、更にその先の若林駅に電車が止まっているのが確認できる。
 東京にいた頃、ひとり世田谷線に乗って沿線を散策したことが何度かある。小田急線の豪徳寺から世田谷線山下駅に乗り換え、松陰神社前で下車して神社にお詣りをし、三軒茶屋で酒を飲んで... 私にとっては思い出の沿線であり、世田谷線は大好きな路線である。
 さらに風景の西に目をやり、昔住んでいた辺りを探してみる。さすがに遠く霞んで見えない。訪問先との約束の時間まで、昔のことを思い出しながら、その風景を眺めていた。






Sunday, October 04, 2015

運動会

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 今日は地域の運動会が行われた。特に参加はしていないのだが、案内が来ていたので写真だけ撮りにひとりで出掛けてみた。
 娘たちの学校の運動会は欠かさず行っていたが、地域の運動会が行われていることを私は今年になるまで知らなかった。それは地域社会に貢献していない証拠であり、ちょっと恥ずかしい気がした。
 そんな後ろめたさを感じながら写真を撮った。見たことのある近所の方が、ファインダーの向こうにいる。来年は参加させてもらおうか。参加するためには誰に言えばいいのだろうかと考えながらシャッターを押す。できれば写真係として参加させて欲しいなと思ったのだった。





Sunday, September 27, 2015

長崎本線

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 昨日、JR佐賀駅から肥前山口駅までの約17kmを友人たちとウオーキングした。昨年始めた長崎本線ウオーキングの続きである。
 長崎本線は鳥栖駅から長崎駅まで路線距離125.3km。昨日までで中原駅〜肥前山口駅間の31.1km、全区間のおよそ4分の1を踏破したことになる。全区間を歩き終えるには、年2回ウオーキングを行い、年間30kmを歩いたとして、あと3年の歳月を要することになる。
 昨日は、彼岸を過ぎたが日差しはまだ強く、日陰を探しながら沿線を歩いた。行き交う列車に手を振りながら、佐賀平野の中を黙々と歩き続けた。ようやく目的地の肥前山口駅に着いた時には、駅の階段も歩きたくないほどの疲労に達していた。
 歩き終えて温泉に入り、疲れを癒して鳥栖に戻った。帰りの列車の中、私たちが歩いた景色を車窓に探してみる。立ち寄ったひとつひとつの駅が愛おしく思える。車窓に広がる景色の中に、私たちが列車に手を振る姿があるような気がした。





Tuesday, September 22, 2015

又兵衛のニラとじ

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 写真は久留米にある餃子専門店又兵衛のニラの卵とじである。ニラの卵とじ(通称ニラとじ)はそれぞれの店で作り方が異なるようである。ある店ではニラの割合が多めでニラ主体の料理になっていたり、ある店では卵がそぼろ状になっていたりするが、私の中では卵がふんわりとした又兵衛のニラとじが本当のニラとじであり、ニラとじはニラ料理ではなく、卵料理なのである。
 久しぶりに妻と訪れた又兵衛で、カウンターに出された黄色く輝くニラとじの美しさに見とれながら箸を入れ、餃子が焼き上がるのを待ったのだった。





彼岸花

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 シルバーウイークの初日、妻と浮羽の棚田までウオーキングに出掛けた。妻と外出するのは久しぶりだった。ひとりで行こうと思っていたのだが、妻が珍しく興味を示し、二人して列車に揺られ浮羽まで出掛けた。
 ウオーキングはJRの主催によるもので、この日は天候にも恵まれ、二両しかない久大線の列車は参加者でごった返した。片道6kmの道のり、山里の景色を眺めながら山間の棚田へと進んで行く。1時間半かけてようやくゴール地点に到達すると、棚田の畦には赤い彼岸花が、一枚一枚田んぼを囲むように列をなして咲いていた。
 その棚田で取れた新米のおにぎりを頬張りながら、棚田の風景をしばらく眺める。棚田はおよそ400年前に切り開かれたと言うから、江戸時代の初めである。それからその農家の子孫はこの田を耕し守り続けた。今も守り続けるその農家の方々に、頭の下がる思いである。
 ひとりの日本人として、日本文化の継承に功労されている農家の方々に、深く感謝したい。これからもずっとこの風景を後世のために、残して欲しいと思うのだった。
 





Sunday, September 13, 2015

浜松町にて

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 羽田へ向かう途中、浜松町の中華料理屋で少し早い夕食を取った。時刻は4時過ぎ、まだ夕食時には早い店内には、私の他に三十半ばの女性客がひとりだけいた。
 メニューを一通り見て、ビール1本と皿うどんを頼んだ。ビールをゆっくり飲むには、麺の伸びを気にせずに食べられる皿うどんが、ちょうどいいのである。
 ビールを飲みながら皿うどんの出来上がりを待つ。女性客のテーブルには私よりひと足先にチャーシュウ麺が運ばれて来た。店員も三十半ばの男性。女性客は常連のようで、麺を箸で持ち上げながらその店員に話しかけた。明日行われるこの辺りのお祭りの話しに始まり、店員の郷里のお祭りの話し。そして女性客の仕事の話になり、今度のシルバーウイークの話しへと広がって行く。女性客は更に鶏の唐揚げを注文し話しを続けた。ちょっと間を置いて運ばれて来た皿うどんをゆっくり食べながら、私はその話しに耳を傾けた。
 浜松町の路地裏の小さな中華食堂で、そんなやり取りを聞きながら、この男女がいつしか距離を縮め、やがては結ばれることを勝手に想像した。二人が休日に映画を観に行って、食事に行ってお酒を飲んで。そんなことを想像しながら皿うどんを食べ終え店を後にした。








新宿三丁目

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 新宿三丁目のどん底で知人たちと飲んだ。三丁目で飲むのは実に7年振りだった。
 十年以上前のことだが、一時期、新宿で働いたことがある。金曜日の夜、よくこの辺りを徘徊した。歌舞伎町の喧噪から少し離れた、火照りが引いた三丁目の雰囲気が好きだった。
 知人たちに遅れてどん底に入ると、すでにジャックダニエルの封が切られ、盛り上がっていた。私より一回り上の大先輩たち、この店に来るのは実に40年ぶりだとか言って懐かしがっていた。
 酔いが回ると店員たちに酒を振る舞うのが知人の癖である。料理を運んでくる店員たちを呼び止めては、一杯飲ませる。あっという間にボトルは空になった。
 次に行くぞと店を出ると、すぐ近くにあった知人の行きつけのバーに飛び込んだ。知人はここでもジャックダニエルを出させると、居合わせたお客さんにまで振る舞い始めた。
 金曜日の夜、居合わせた者たちがその夜を祝福するように、小さなバーの箱の中で酒を交わし、三丁目の夜は更けて行った。



Sunday, September 06, 2015

9月

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 あっという間に夏は終わり、9月になった。
 東京から帰省していた娘を見送りに、昨日、福岡空港に行った。写真はデッキで娘を見送る妻と、妹たちである。姉が乗った飛行機が離陸するのを、妻はビデオに撮り、妹は見上げ、叔母は手を振り、そして私はカメラのシャッターを押す。
 姉の背中を追い続けて来た妹も、いつしか大人になった。一人の女として姉に声援を送っているように、私には思えた。
 お前もいつかいなくなるだろう。姉のように羽ばたいて行くのだろう。そんなこと思いながら、シャッターを押した。






Tuesday, August 18, 2015

夏休み

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 先週の土曜日からちょっと遅い夏休みを取った。墓参りを終えると特に何をするでもなく、誰もいないマンションを掃除したり、近くをうろうろ散歩したりして終わった。明日からまた普段の生活に戻るが、暑さは当分衰えそうにない。
 お盆を過ぎると夏も終わりである。大人たちはまたいつもの生活に戻り、子供たちは残り少なくなった夏休みに焦り出す。日暮れは少しずつ早くなり、ミンミンゼミは役目を終え、ツクツクボウシが最後の大合唱を奏で始める。
 こうやって夏は終わって行く。思い出だけを残して過ぎ去って行く。遥か彼方、入道雲の向こうへ行ってしまうのである。





Thursday, August 06, 2015

久住

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 8月1日、久住に登った。
 私にとっては、この夏一番のイベントである。友人たちとスケジュールを調整し合ってようやく実現した。
 今年、九州地方の梅雨明けは遅かった。登山の数日前に梅雨明けを迎え、本格的な夏が到来した。週間天気予報を毎朝確認し、週末を心待ちにした。膝の痛みが少し気になっていたが、なんとかひどくならずに当日を迎えた。

 山道に入ると草原が夏のまぶしい日射しを受け、青々と輝いていた。時折、風が吹きその青い牧草を撫でる。そんな中を大勢の人たちが山頂を目指していた。私たちと同じようにこの日を楽しみにしていたのだろう。皆、うきうきしたような表情で山頂を目指して歩いていた。
 登山口から約3時間、ようやく山頂に到達した。雲が峰に当たり私たちを包み込むように流れていく、見ず知らずの者たちがその雲の中でひと時を同じにした。狭い山頂の場所を譲り合い弁当を広げる。おにぎりを口に頬張りながら、ひと時同じ達成感を味わいながら、私たちは雲の中にいた。








Monday, July 20, 2015

熱海

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 土曜日、東京出張のついでに熱海を訪れた。久しぶりの東京出張。三連休でそのまま帰るには勿体なかったから、行ったことがない熱海へ小旅行をしようと思い立った。
 東京駅から電車に乗って熱海に降り立つ。駅舎を出た時にまず熱海の地形に驚いた。私は勝手に海に向かってなだらかに広がる街を想像していたが、熱海の街は伊豆連山から相模湾に伸びる扇状地で平地はほとんど無く、山の斜面にへばりつくように広がっていた。
 駅前の商店街を散策しながら、宿がある渚町へとその丘陵を下りて行く。商店街は三連休のせいもあって、観光客で人がごった返していた。名物の干物を売るお土産に饅頭屋。相模湾の海鮮を食べさせる食堂にそば屋。そんなお店が商店街に数多くあった。
 商店街を出て湾曲する道を宿へと歩く。途中、雨に打たれながら、お土産で重くなったバックを抱えながら、坂道を下りる。宿に着く頃には、雨と汗でびっしょりになっていた。

 昭和11年生まれの民宿のおかみさんの話しによれば、熱海は昭和35年頃をピークに徐々に衰退の道を辿ったらしい。高度成長期には、東京の奥座敷として、大量の慰安旅行や修学旅行、そして新婚旅行客を受け入れ、熱海の街は隆盛を極める。
 やがて高度成長期も終盤に近づくと、人々は集団的な価値観から抜け出し、個人や家族の幸福を中心に置いた価値観へと変わって行くが、高度成長期の賑わいを取り戻そうと行政や旅館経営者たちは、衰退の本質を考えずに設備投資を行った。あたかもギャンブルで大勝した男がその感触を忘れられずに、やがて来ると信じる”勝ち”を夢見て、お金を注ぎ込むように。
 結局熱海にはテーマがなかった。テーマを作ることをしなかったのだろう。しかし、この地をかつて訪れ、そして思い出を持つ人々は、熱海の再興を願っているのである。幼い頃、母に手を取られ父に背負われこの街を訪れた人、集団就職で上京し慰安旅行で訪れた人々、そして新婚旅行で手をつなぎ将来のしあわせを信じながらこの街を歩いた人たちの思いが、この街には漂っている。

 熱海の街を二日間歩きながらそんなことを考えた。今、熱海の街がどこへ向かって進んでいるかを私は知らない。すでに熱海は目指すべき方向へ動き出しているのかもしれない。
 かつてここを訪れた人々のその大切な思い出のためにも、熱海は発展して欲しいと思いながら駅までの道を歩いた。






Sunday, July 12, 2015

皿うどん

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 昨日、友人の父親が亡くなり、その弔問のため鳥栖に行き、同級生が家族で営む中華料理店で昼食を取った。何にするか迷ったが、一緒にいた友達は麻婆定食、私は皿うどんの細麺を頼んだ。
 皿うどんには細麺と太麺がある。本場長崎で皿うどんとだけ言ったら、細麺の方を指す場合が多い。好みが別れるところであるが、私は細麺の方が好きである。
 そもそも皿うどんは汁気の多いちゃんぽんを配達しやすくするために考案されたものらしく、具材はちゃんぽんと同じでキャベツに豚肉、イカやカマボコなどであり、炒めた具材に白湯スープを注ぎ込む。皿うどんの場合は味付けに砂糖が入り、水溶き片栗粉を入れてあんかけにする。
 細麺の麺は細いほど美味い。細いほど餡に麺が馴染みやすく、食べ始めはパリパリとして、やがて熱々の餡が麺を蒸ししんなりとさせて行く。その麺の変化を楽しみながら食べるのである。

 目の前に皿うどんが運ばれて来た。少し麺をしんなりさせたいので腕を組んで皿うどんを眺めていたら、女性の店員が「どうかされましたか?」と聞いて来た。「いや、ちょっと麺をしんなりさせたいので時間を置いてるだけです。」と私が答えると、おかしかったみたいで厨房に戻り他の店員に笑いながら説明していた。その笑い声を聞きながら、私は長崎の流儀に従いソースを掛けて、少ししんなりとなった皿うどんに箸を入れたのだった。









 

Sunday, July 05, 2015

七月

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 七月になった。七月に入ると博多の町は山笠一色になった。
 写真は商店街の飾り山の前で写真を撮る人々を写したものである。
 
 山笠関係の友人から今年は出てみないかと誘いを受けた。
 ちょっと迷ったが、丁重にお断りした。私も今年で53才、体力に自信がないのだ。
 今年も観客に徹して、写真を撮りたいと思う。
 人事異動で部署も変わった。3年ぶりの異動である。
 心機一転、気持ちをリセットして頑張ろうと思う。

 さまざまな物が動き出している。夏のせいかもしれないがそんな気がする。
 博多の町中を流れ行く山笠のようにエネルギッシュに今、動き出そうとしている。




Sunday, June 21, 2015

野菊

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  風に吹かれて揺れていて
  遠くが霞んで見えました。







香椎線

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  ひと駅前で降りた中学生たちの喧噪が車内に残る。
  次は宇美駅、間もなく終点です。







Saturday, June 13, 2015

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  土曜日、早朝から起きて港の広場に行く。
  ベンチに座り、缶コーヒーを飲みながら、ただただ目の前を通り過ぎる
  人たちを眺めてみる。
  散歩する人、造船所に出勤する人。そして私はベンチでぼーっとしてる人。






Saturday, June 06, 2015

ホーム

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  夏色をした列車がホームに入って来て
  少女たちを乗せて行きました。










あじさい

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  古刹の奥のその谷は、背丈ほど伸びたあじさいの
  色とりどりに飾られて、入道雲が湧き立っていた。










Sunday, May 31, 2015

うどんと高菜のおにぎり

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 日曜の朝、うどん屋で朝食を食べた。
 ごぼう天うどんと高菜のおにぎりである。

 高菜のおにぎりを食べると、子供の頃の田植えを思い出す。
 まだ田植機が世の中に普及する前のことである。
 親戚一同が集まり、雨の中、一枚一枚田を植えて行く。
 お昼は決まって高菜のおにぎりだった。
 納屋の軒先に用意されたテーブルに高菜のおにぎりがずらりと並ぶ。
 床几に座ってみんなで高菜のおにぎりを頬張った。
 降りしきる雨を見ながら、無心になって食べた。

 梅雨がそろそろ始まろうとしている。
 田植えがそろそろ始まろうとしている。
 高菜のおにぎりを食べながら昔のことを思い出した。









造船所

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 朝六時に起きて近くの造船所に行った。
 別に早朝に行く必要はないのだけれど、急に船を見たくなった。
 この船は明後日、進水式を迎える。
 進水式には行けないので、せめて最後にと写真を撮った。
 丘に上がっている船は、舳先が神社に迫りとてつもなく大きく見えた。
 なんだかうれしくて、何度も何度もシャッターを押した。










Saturday, May 30, 2015

ジャック・ダニエルズ

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 初めてジャックの封を切ったのは26才の時だった。
 今は無き文化街のラジカルと言う店で。
 友と夜更けまで飲んだ。

 結婚祝いにもらった酒もジャックだった。
 クラプトンのテープと一緒に。
 こいつを飲みながらクラプトンを聞けと。
 人生はブルースだとメッセージが添えられていた。
 
 








Sunday, May 24, 2015

運動会

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 小学校の運動会に行って来た。
 今はもう、小学生の子供はいないけど。
 昔を思い出して、行って来た。
 







ボサノバ

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  月夜の晩にボサノバを聞いた。
  港の奥のバーで、昔の仲間と。
  心地良いひとときをありがとう。








Sunday, May 17, 2015

蚤の市

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  初夏。護国神社の杜には麦わら帽子が似合います。
  とても似合います。







Wednesday, May 13, 2015

松林

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   松林の先に、世界へとつながる入り口があって
   ちょっと向こう側の世界に行ってきました。







Friday, May 08, 2015

キッチングローリ

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 キッチングローリは会社近くにある洋食屋さんである。私はこの店にかれこれ30年近く通っている。基本的には弁当持参なのだが、弁当がない日によくこの店へお昼を食べに行く。
 店は創業40年を超える。現在、親父さんと奥さんと息子さんの三人で切り盛りされているが、私が行き始めた頃は親父さんと奥さんのご夫婦二人だった。それが、十数年ぶりに転勤で福岡へ戻ったら、息子さんが加わり厨房は親子三人になっていた。
 店は博多駅前の路地裏にある。恐らく、住民以外にその路地を通る人は少ないだろう。ビジネス街と住宅街の境にひっそりとあり、それはまるで謙虚なご夫婦の性格を表しているようである。
 日替りランチは650円のグローリランチと500円のスペシャルランチの二種類がある。写真はそのグローリランチだが、これにスープが付いている。30年前からほとんど値上げされておらず、その安さに申し訳なさを感じる。
 いつの日か親父さんが息子にバトンを渡す日が来るだろう。いつの日か息子さんがお嫁さんと厨房に立つ日が来ることを、私は願っている。できれば、私が定年を迎えるまでにその日が来ることを。そして、これからもずっとキッチングローリが博多の街の洋食屋としてあり続けることを、この店の数多いファンの一人として願っているのである。







Wednesday, May 06, 2015

新緑






  その門をくぐると初夏がありました。


  







小鹿田焼





  小鹿田焼は日田の山あいで三百年くらい前から焼かれている。
  先祖代々その技法を継承し、今も変わらず焼かれている。
  川の流れにゴットンと音を立て、唐臼は陶土を挽く。
  ゴットンゴットン、三百年前からこの音は村に鳴り響いている。
  祖父ちゃんが死んだ夜も、父ちゃんが生まれた朝も鳴り響いていたのである。






ステーキ



 散歩の途中、赤坂(福岡)の立食いステーキの店でステーキを食べた。写真がそのステーキだが、サガリ300gで1,200円とかなり手頃で味も悪くない。
 子供の頃、牛肉が食卓に上がることはほとんどなかった。肉と言えばかしわか豚であった。それでも年に数回、すきやきの時に牛肉が我が家の食卓にも登場したが、きょうぎに包まれた牛肉が赤々としてまぶしく見えたものだった。
 さらにステーキについて回想すれば、私の中では寿司をはるかに凌駕する位置にあり、トムとジェリーに出てくるバーベキューのステーキを、私はいつも羨望の眼差しで見ていた。当時ステーキは少年の憧れの食べ物であり、ステーキがアメリカへの憧れを一層強いものにした。私の中でステーキはアメリカの象徴であった。
 



Sunday, May 03, 2015

人形小路



 後輩が帰省した時、二人で必ず中洲人形小路のライブバーに行く。私と後輩との間では、それが彼を迎える儀式のようになっている。昨夜も二人、天神で焼き鳥を食べ後、この店に向かった。
 この店では店のメンバーによる演奏が行われ、客も歌うことができる。テーブルごとににマイクが廻って来て、誰かが歌えば居合わせた他の客が歓声を送る。店内はひとつになってどんどん盛り上がって行くのである。後輩はいつもその光景をうれしそうに眺めている。博多に帰って来たことを彼はこの店でいつも実感しているようである。

 昨夜も入店してしばらくすると演奏が始まり、やがてマイクが私たちに廻って来た。 後輩はとなりのテーブルの若者たちを誘ってステージに立ち、Choo Choo TRAIN を彼らと一緒に歌い始めた。みんなが手拍子をする。やがてみんな総立ちになって歓声を送る。そうこうしていると奥のテーブルの女性もステージ上がって歌い始めた。最後は全員がひとつになってChoo Choo TRAIN を歌った。後輩と私の儀式は盛り上がって終わったのだった。





Wednesday, April 29, 2015

とらやのラーメン



 とらやは鳥栖にあるラーメン屋である。創業60年と言うから、現存する鳥栖のラーメン屋では、一二を競う老舗のラーメン屋ではなかろうか。先週、実家に帰った際に、久しぶりに立ち寄った。
 味は古典的な久留米ラーメンである。頑にしょっぱく、そして濃厚な豚骨スープである。紅生姜は最初からトッピングされており、その塩辛さを中和させてくれる。
 時折、無性に久留米ラーメンを食べたくなることがある。博多長浜風ではない、濃厚な久留米ラーメンを。残念ながら郷里の鳥栖では、昔ながらのラーメンを食べさせてくれる店が少なくなって来た。とんこつ臭いラーメン屋が姿を消しつつある。とらやは、その数少ない正統派久留米ラーメンの味を引き継ぐ店である。少年時代の記憶が蘇る店である。






大濠公園の猫






  ちょっと太々しくて、間抜けな感じがいい。







Sunday, April 26, 2015

カモメ広場

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  ゴールデンウイーク前のカモメ広場は、初夏の陽気に包まれていて
  みんな楽しそうに、うれしそうにしていた。








Sunday, April 05, 2015

四月




  
  花曇りの週末。あっという間にさくらは散ってしまった。
  今年のさくらはいかがでしたか?







Sunday, March 29, 2015

さくら






  わざわざ遠回りしてさくらの小径を歩いて
  立ち止まって、見上げて、引き返して喜んでいる。







Saturday, March 21, 2015

おはぎ



 今日は彼岸の中日。墓参りに実家へ帰り、母親が作ったおはぎを食べた。
 春に食べるのはぼた餅で秋に食べるのがおはぎと言うらしいが、九州では季節に関係なく、おはぎと言うのが一般的のようである。さらに言えば、おはぎはつぶ餡でぼた餅はこし餡のイメージがある。例えて言うならば、伊勢の赤福がようなものが私の中ではぼた餅なのである。
 どうでも良いが墓参りは口実であり、実はおはぎを食べるのが帰省の目的である。おはぎを食べながら、ようやく春が来たことを実感したのだった。





Sunday, March 15, 2015

菜の花




 土曜日、友人たちとウオーキングを行った。JR吉野ヶ里駅から佐賀駅までの区間約15キロを線路に沿って歩いた。昨年企画した、長崎本線全ての区間を定年までに踏破しようと言う、友人たちとのイベントの続きである。
 佐賀平野が広がる風景の中、菜の花があちこちに咲き乱れ、春の日射しがその黄色の花びらをまぶしく照らしていた。時折、列車がその佐賀平野の中を通り過ぎて行く。列車が通る時、手を振ることを私たちはルールとしていた。一台の貨物列車が通った時、その列車は私たちが手を振ったお返しに、汽笛を鳴らしてくれた。
 そんなのどかな風景の中を私たちはひたすら歩いた。菜の花が春風に揺れる野辺を歩いた。






Sunday, March 08, 2015

早春







  まぶしく光が湖面を反射していた。
  もうその辺まで、春は来ています。









雛祭り








  我が家の第20回雛祭りは終わりました。












Sunday, March 01, 2015

仲間







  いい夜だった。
  楽しいひと時を、ありがとう。









三月




 三月になった。昨日、天神の警固神社に立ち寄ったら、境内の河津桜が花開いていた。この桜を見ると一年前、娘が上京した時のことを思い出す。娘の家電品を買いそろえるために天神の家電店を廻った際に、この桜が咲いていた。その時、この早咲きの桜を見上げながら、娘が家を出て行くことを実感して、呆然としたのだった。そんな思い出がこの桜にある。私にとっては、ちょっと切ない桜なのである。









 

Saturday, February 21, 2015

SAKA BAR






 久しぶりの大阪出張。
 無事仕事を終えて、なんばのSAKA BARでごほうびにウイスキーを一杯。
 常連のご老人たちがカウンターの端っこで談笑している。
 塩エンドウ豆をつまみながらその話しにそっと耳を傾け、俺もあんな風に
 年を取りたいと思った。









Sunday, February 15, 2015

Sunday, February 08, 2015

ガトーショコラ





 「マスター、あれある?女房がこの間食べてたやつ。黒いケーキみたいな
  生クリームが添えてあるやつ。何て言うんだっけ?あれ。」
 「ガトーショコラね。」








ななつ星



 ななつ星は九州旅客鉄道(JR九州)が運行する豪華寝台列車である。「ななつ星」のネーミングは九州七県を表現しているらしく、博多駅を出発して九州内を巡行して行く。
 気になる料金だが3泊4日のコースで50万円とかなり高額である。見慣れた九州の景色に50万円を払うことは考えにくく、多分、関東関西の中高年の富裕層や外国からのお金持ち観光客をターゲットにしていると思われる。庶民には高嶺の花であり、恐らく乗車する機会には巡り逢わないだろう。
 シャッターを押しながら、会社が定年退職の記念にチケットをプレゼントしてくれないかと思ったのだった。





Sunday, February 01, 2015

ラーメンおいげん






 おいげんのラーメンは、冷えた身体を温かくしてくれた。
 ラーメンは、冬の季語であってもいいかもしれない。








二月






  スタートは梅から。
  春のリレーは、菜の花、さくらと続いて行く。









Saturday, January 31, 2015

鳥栖駅





  先週の土曜日、友と別れてこのホームに立った。
  32年前、このホームで見送ってくれた友と別れて
  ひとりホームに立った。











Sunday, January 18, 2015

一九ラーメン



 写真は福岡市南区の一九ラーメン大橋店のラーメンである。一九ラーメンは福岡市を中心に8店舗存在するが、ここ大橋店が本店のようである。
 スープは甘くまろやかで、なつかしを感じさせる味わいである。昨今、過激に味がエスカレートしていく博多ラーメン界の中で、変わらぬ古き良き一杯であり、今後も残り続ける一杯だと思う。
 私は年に一度ほどこの店を訪れているが、以前からどこかの味に似ていると思っていた。昨日も食べ終えてやはりどこかの味に似ていると考えていたら、ふとそれがどこだか思い出すことができた。それは長崎の一休軒である。
 長崎一休軒はすでに閉店となっているようだが、その発祥は佐賀の一休軒らしい。私は佐賀の一休軒を食べたことはないが、一九ラーメンのスープは長崎一休軒に似ている。そこまで考えた時、屋号の類似にはたと気付いた。一休と一九、あくまでこれは私の推測でありその域を出ないが、遠い昔、師弟関係があったのかもしれない。
 その空想によりラーメンへの思いは更に募る。一杯のスープの系譜を辿り、激動の昭和の中で世に広まったラーメンに、深くロマンを感じるのである。





廃線の痕跡




 土曜日、旧国鉄時代の筑肥線跡を歩いてみた。現在JR筑肥線は、福岡市営地下鉄の運行開始により、姪浜駅から唐津駅までとなっているが、1983年の運行開始以前は博多駅から筑前簑島・筑前高宮・小笹・鳥飼・西新を経て姪浜へと続いていた。
 私が高校時代、糸島方面から来ていた友人も、鹿児島本線を利用していた私たちと同じように博多駅のホームに立ち、帰りの列車を待った。天神で遊んで帰る時など彼らは、西鉄大牟田線の平尾駅で下車し、筑前高宮で筑肥線に乗り換えて帰っていた。
 その廃線となった区間を歩いてみようと思い立った。写真は博多駅から南に線路沿いを歩いて、当時筑肥線が分岐していた辺りである。この辺りから、筑肥線は鹿児島本線と分かれ西へ向かっていた。当時路線があったところは公園の緑道となり、更には車道となって西へと延びている。その緑道をひとり歩いた。遠い昔、同級生の友人たちが見ていた車窓に広がる風景を、想像しながら。
 やがて緑道も終わりに近づく頃、筑前蓑島駅のホーム跡に遭遇した。駅名標のレプリカとともにホームの一部が残されていたのである。その駅名標の前で写真を撮り、そしてそのホームに立ってみた。およそ30年前まで、この辺りの人々はこのホームに立ち、博多へと向かう列車を待ったのである。そのホームに立ち、辺りを見渡して見る。今では民家がぎっしりと建ち並んでいるが、当時はまだのどかな風景だったことだろう。
 それから辺りを見回し、誰もいないことを確認して、駅員の指差し確認の真似をしてみた。右手の人差し指で指差しながら、「右よし、左よし」と小声でつぶやく。どんよりした冬空の下、ひとりホーム跡に立ってうれしそうに指差し確認をしている自分が、なんだか滑稽で愛おしく思える。それで満足してホームを降り、私はさらに緑道を西へと歩いた。








Sunday, January 04, 2015

華風福寿飯店




 正月三日、今年一杯目の麺を食べた。2015年記念すべき一杯目となったのは華風福寿飯店(福岡市中央区)のちゃんぽんである。神社へ参拝に行く途中に久しぶりに立ち寄った、
 私は以前長崎に6年ほど住んでいた。6年間、本場長崎でちゃんぽんを食べまくった経験から言えば、ここ華風のちゃんぽんは正統派で本物のちゃんぽんである。スープはクリーミーで甘くまろやか。一杯啜るごとに幸せな気分に包まれて行く。私の中では福岡一であり、ここのちゃんぽんに勝る一杯があれば教えて欲しいくらいである。
 かなりの量があったが一気に食べ終え、ジャスミンティーで口の中をきれいにすすぎ、店を後にする。久しぶりに訪れたが、今年一杯目に相応しいちゃんぽんであった。
 





Saturday, January 03, 2015

謹賀新年





 みなさん、明けましておめでとうございます。
 旧年中はご愛顧を賜り、厚く御礼申し上げます。


 福岡地方は大晦日から荒れ模様の天気となった。時折みぞれ混じりの雪が降り、突風が吹き荒れた。そんな中、昨日は近くの神社に一人お詣りに行った。我が家から地下鉄で三つ目の駅。年末から食べ過ぎているので、歩いて神社まで行くことにした。
 神社に着くと思ったほど参拝客がいない。一昨年お詣りしたときは30分ほど並んで待ったが、すんなりと参拝を済ませることができた。お詣りを済ませて売店を覗くと、ダルマ付きのおみくじが売られてあった。おみくじにはあまり興味はないが、ダルマが欲しくて買うことにした。
 ダルマおみくじをバックに入れ、雪の中を駅に向かった。まだシャッターが閉まっている店の軒先で雪を避けつつ駅に向かう。ようやく家に帰り着いてダルマにマジックで目を入れ、それからおみくじを開いた。大吉である。まんざら悪い気はしない。そしておみくじには一首の歌が書き記されていた。

 桃桜 花とりどりに 咲き出でて
 風長閑なる 庭の面哉

 誰が詠んだか知らないが、明るくそしておだやかな正月らしい歌である。しかし、歌の解説には、この一年華々しくなるが、謙虚に慎ましく生きろよと、そのようなことが書かれてあった。今まで、あまり華々しい人生を歩いて来てはいないが、もし、そんなことがあれば、この歌の教えを思い出したいと思う。思い出す必要が出てくることを期待したいと思うのであった。


 本年も一年、どうぞよろしくお願いいたします。