Sunday, December 06, 2015

富岡製糸場

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 伊香保へ行ったついでに、富岡製糸場を訪れた。私はあまり興味はなかったが、同行していた上司が行こうと言い出したので、行ってみることにした。
 私は興味がないと言うか、映画「あゝ野麦峠」の女工哀史の印象が強く、そんな悲しみがひしめくような場所へ行くのが、気が引けたのである。(あとで知ったが、小説の舞台となったのは富岡製糸場ではなく、長野県の民間の製糸場らしい。)
 そんな先入観から現地に着いて赤煉瓦の工場を見上げた時、諫早市にあった赤煉瓦造りの旧長崎刑務所を思い出した。しかし、館内に入り製糸場の説明書きを読むと、私の先入観はいくらか払拭された。

 明治5年、近代化を目指す日本は外貨獲得のために、フランスの技術を導入し製糸場を建設。富岡で日本初の工場が稼働し始め、士族の娘をはじめとする優秀な若い女性たちがその日本初の工場に集められた。
 彼女たちの1日の労働時間は8時間程度。七曜制が導入されて日曜は休み。年末年始と夏には10日ずつの休暇が与えられ、食費、寮費、医療費は製糸場持ちであったという。
 そんな当時としては恵まれた労働条件・環境の中で彼女たちは、国策を成功させるために大いに貢献した。やがて技術を習得した彼女たちは郷里へ帰り、その培った製糸技術を伝える役割も担った。 富岡製糸場は工場であると同時に、製糸技術の学校でもあった。

 写真は寄宿舎の横に咲いていたバラである。寄宿舎の南側には鏑川が流れ、その先には秩父の峰々が横たわっている。まだ年端の行かない彼女たちは、寄宿舎の窓からその風景を眺め、郷里に思いを馳せただろう。望郷の淋しさを託された使命感で打ち消しながら、この風景を眺めたのだろう。風に揺れるピンクのバラが彼女たちの残像のように思えたのだった。





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