今朝の福岡は冷え込んだ。天気予報によると、正月は雪がちらつくかもしれないとのことである。ようやく冬らしくなって来た。
6時に起きて自転車で大濠公園を1周した。今朝の大濠公園は寒さのせいか、いつもより人気が少なかった。引越して来てから、休日の大濠公園散策がすっかり日課となってしまった。ベンチに腰掛け、朝焼けが映る湖面を眺めると、精神が浄化されていくような静かな気持ちになれる。
2007年も明日で終わる。この記事を書き終えたあと大掃除をし、夕方には佐賀の実家に帰る。従ってこの記事が本年最後となる。1年間お付き合いいただきありがとうございました。来年はさらに頑張って写真を撮って、何かメッセージを伝えていきたいと思う。2008年も"BONKLE食堂"にお立ち寄りください。暖かいコーヒーの代わりに、暖かい写真を用意してお待ちしております。
Sunday, December 30, 2007
2007年そして2008年
Sunday, December 23, 2007
Saturday, December 22, 2007
品川
眼下に大井埠頭が見える。立ち並ぶ貨物用のリフトが、まるで巨大な鳥のように見える。朝もやの中でその巨大な鳥たちが、埠頭の番人のように立っている。
それはなんだか頼もしく見えた。まるで東京を守ってくれているように見えた。
しばし、そんな風景を眺め僕はホテルを後にした。
Sunday, December 16, 2007
足音
妻が妙な事を言い出した。夜中に誰かの足音がすると言うのである。それを妻はマンションに一人きりの時、2回ほど聞いたらしい。
私も、家内たちが実家に泊まりに行って、マンションに一人だった時が何度かあったが、もちろん足音なんか聞かなかった。臆病者の前に幽霊は現れないと聞いた事があるが、もしかしたら気丈な妻だから聞こえたのかもしれない。
私は転勤族だから何度も引越しをしてきた。その都度住む家を私が決めたが、未だかつて引越して災難に見舞われたような経験は無い。それぞれの家でそれぞれに楽しく暮らしてきた。だから家選びには自信を持っている。
念のために近所の人に聞いてみたが、案の定そんな噂は聞いた事が無いと言う。恐らく気のせいではないかと言われた。
そう言えば結婚したての頃、妻は同じような事を言っていた。その時は子供の足音が聞こえると言っていた。それから15年経って、今度は女性の足音がすると言っている。私は妻に、あの頃の子供の幽霊が、大きくなったんじゃないかと冗談を言った。
でも、もしかしたら妻が言う通り、誰かが部屋の中を歩いているのかもしれない。もしそうだとしても悪いやつではないだろう。その幽霊も我が家みたいに明るい家が好きなのだ。もしかしたら、ソファで娘達の隣りに座って、一緒にテレビを見ながらケラケラと笑っているのかもしれない。誰も笑ってくれない私の駄洒落に、くすくすと笑ってくれているのかもしれない
Sunday, December 09, 2007
Saturday, December 01, 2007
朝のリレー

12月を迎えた。休みの今日、朝6時に起き、自転車に乗って大濠界隈を写真を撮って回った。大濠公園ではジョギングをする人や散歩をする人たちが、静かに一日の始まりを迎えていた。
谷川俊太郎の詩に「朝のリレー」という有名な詩がある。公園のベンチに腰掛け、昇る朝日を眺めていたらこの詩を思い出した。
朝のリレー 谷川俊太郎
カムチャッカの若者が
キリンの夢を見てるとき
メキシコの娘は
朝もやの中でバスを待っている
ニューヨークの少女が
ほほえみながら
寝返りをうつとき
ローマの少年は
柱頭を染める朝日にウインクする
この地球では
いつもどこかで朝がはじまっている
ぼくらは朝をリレーするのだ
経度から経度へと
そうしていわば交替で地球を守る
眠る前のひととき耳をすますと
どこか遠くで目覚まし時計のベルが鳴っている
それはあなたの送った朝を
誰かがしっかりと受け止めた証拠なのだ
福岡の朝が始まった。バトンが回ってきたのである。私たちが地球を守る番が来たのだ。
Sunday, November 25, 2007
筑後うどん
一軒のうどん屋が天神外れの路地裏にある。恐らく何かの目的がない限り、この路地裏に迷い込むことはないだろう。店名を「麺工房なか」と言う。
その存在に気づいたのは1ヶ月程前の事だった。以来何度か足を運んだが、今までうどんにありつけなかった。何故かと言うと、この店は日祝休みで11時から15時までしか開いていない。実に平日4時間でこの店は勝負しているのである。
昨日、ようやく暖簾を潜ることができた。事前のリサーチでこの店の売りが”ぶっかけうどん”であることが分かっていたので、”ぶっかけごぼう天”を注文した。写真がその”ぶっかけごぼう天”である。
ぶっかけは麺を茹で置きせずに、打ち立てを一から茹でるため時間がかかる。注文して10分弱、ようやくどんぶりが目の前に置かれた。タレは甘めの九州の醤油だが、麺は細くって平べったい。一般的な博多うどんではなく、どちらかと言えば稲庭うどんに似ている。しかしそのノドゴシは稲庭うどんよりモチモチとしていて腰がある。
一気に食べ終え、店主にこれはどこのうどんか尋ねた。聞けば店主は久留米で修行したらしく、元を辿れば鳥栖の”みの屋”の一門になるらしい。そう言えばみの屋の麺に似ている。子供の頃からみの屋ではよく食べたが、筑後地方ではみの屋がひとつの流派を確立し、多くの門下生を九州一円に送り出しているのである。
東京にいた時、ラーメンよりうどんに困った。九州人の口に合ううどん屋が無かったのである。できればみの屋の門下生たちよ、関東まで進出し筑後うどんを普及して欲しいものである。
Saturday, November 24, 2007
Friday, November 23, 2007
Sunday, November 18, 2007
Sunday, November 11, 2007
Saturday, November 10, 2007
雲のじゅうたん
また東京出張だった。昨日、一週間の出張を終え帰ってきた。夜の便で帰るつもりだったが、福岡のスタッフと飲みたくて、昼過ぎに仕事を終わらせ予定より早く帰ることにした。
写真は帰りの飛行機で撮ったものである。「雲のじゅうたん」、そんな言葉がぴったりの風景である。そう言えば昔、NHKの朝の連続テレビ小説で同名のドラマがあった。浅茅陽子が扮する昭和初期の女性飛行士が奮闘成長していく話だった。そのドラマを思い出しながら、しばしこの風景に見とれていた。どこまでも続く綿菓子のような雲に見とれていた。
Sunday, November 04, 2007
Yakiniku
食べ物の好き嫌いはほとんどないのだが、好んで食べない物がいくつかある。その代表的なのが焼き肉である。
ステーキ、トンカツなどは大好物なのだが、焼き肉には興味がない。何故だか自分でも説明がつかないが、私の身体は焼き肉を欲さない。
ところが女房や娘たちは焼き肉が大好きである。今日は家族で久しぶりに焼き肉を食べに行くことになった。場所は自宅から地下鉄でひと駅、空港線赤坂駅の近くにある焼き肉屋なのだが、遠目にはそれが焼き肉屋とは分からない。カフェか美容室のような店構えで店名を『HACHI HACHI』という。
ここは無煙ロースターを使っておらず、各テーブルに七輪が置いてある。七輪の上には煙突があって、無数の煙突が天井に張り巡らされている。
焼き肉にあまり興味がないから、何の期待もしていなかったのだが、出てきた肉を見て驚いた。きれいに差しが入った和牛なのだ。恐らく佐賀牛ではないかと思う。佐賀牛の上カルビが480円、あり得ない値段である。娘たちは寡黙になってひたすら食べた。上の娘は恐らく私の3倍くらい食べたと思う。最後に私は冷麺、娘はクッパで締めくくった。
本当に美味しかった。店員の感じも良いし、値段も安く、そして何よりもおしゃれで清潔である。焼き肉屋は私が知らない間に進化していたのであった。
Saturday, October 27, 2007
六本木七丁目
1週間の出張を終え昨夜帰って来た。さすがに1週間のホテル住まいは疲れる。連日遅くまでの残業、そして久しぶりの面々との再会。最後はボロ雑巾のようにくたびれて福岡空港に降り立った。
1週間、六本木に泊まった。今の東京の事務所は品川なのだが、以前事務所があった六本木がどうしても恋しい。水曜日の夜に以前よく行っていた店に顔を出した。店内には客は誰も居ず、ママが一人ぽつんとソファーに座っていた。
とうに流れた思っていたボトルをママが引っ張り出して来た。ほとんど空に近かったが取っていてくれたようでる。また来ることを信じて残していたとママが言ってくれた。
六本木七丁目付近は東京ミッドタウンが完成し、街の雰囲気も少し変わりつつあった。つい最近まで「防衛庁跡地まで」と言ってタクシーに乗っていたが、その呼び名さえ死語になりつつあるような気がする。以前からこの街で生きて来た人や、この界隈のjazzyな感じを愛する人たちは、この街の行く末に不安を抱いている。ママと話していて、そんな深い苦悩を感じた。
1時を過ぎてようやく重い腰を上げた。ママが近道を教えるからと言って、新しく出来た国立新美術館あたりまで道案内してくれた。黒川記章が設計した巨大な波打つような建物の前で私は少し立ちすくみ、そしてまたホテルまでの道をゆっくりと歩き始めた。
街は歴史を守りながらも、さらに新しい水を加えなければその輝きを保てない。六本木7丁目が大好きである。その宝石箱のような輝きをいつまでも失わないで欲しい。
Saturday, October 20, 2007
お休み
今日から出張で東京に行きます。帰りは26日金曜の夜です。従って明日日曜日の更新はありません。勝手ながらお休みとさせていただきます。
ようやく福岡も秋めいてきました。長かった夏の火照りが、今頃になってやっと取れようとしています。
明日は久しぶりに東京の街をカメラをぶら下げて歩こうと思います。東京の秋をいっぱいカメラに収めて帰ってきたいと思います。
それでは行ってきます。
Sunday, October 14, 2007
Monday, October 08, 2007
ピンクリボン
ピンクにライトアップされた福岡タワー。乳がん撲滅を推進する「ピンクリボン運動」の一環らしく、昨年から実施されているらしい。残念なことなのだが、この運動の認知度はまだ低い。見上げている人々の大半はこの運動を知らないだろう
同様にこの時期、東京タワーやレインボーブリッジも数年前よりピンクのライトアップを行っているらしい。昨年まで東京タワーの近くで仕事をしていたが一向に記憶が無い。東京タワーはもともとが赤を基調としているので、気付かなかったのかもしれない。
福岡タワーと東京タワー。ライトアップの軍配は福岡に上がるだろう。福岡の街に優しく淡く光を放っていた。
Sunday, October 07, 2007
西の浜
4年振りに家族で唐津に行った。4年前まで私たちが住んでいた町である。西の浜まで行って砂浜に娘と立ってみた。自転車に乗ってよく娘達と遊びに来た浜だ。
娘はしばらく海を見つめた後、砂に何か書き始めた。それを私は離れて見ていた。あの頃と同じように娘は楽しそうに砂に何か書いている。あの頃と違うのは娘が随分大きくなったことと、私がちょっと老けたこと。それが少し寂しく思えたのだった。
Thursday, October 04, 2007
Saturday, September 29, 2007
カラオケ
他部署に異動となったスタッフの送別会でカラオケに行った。カラオケは嫌いではない、いやむしろ好きな方なのだが、こう言った社内のイベントの時しか最近は行くことがない。
最近の子は歌が上手い。私らの世代より数段歌唱力があるし、リズム感も進化しているような気がする。彼等あるいは彼女らとカラオケに行くとき、選曲に頭を悩ます。意識して最近の曲ばかり歌うのも、ちょっと無理しているような気がするので、新旧織り交ぜさらっと歌うよう心がけている。
昨日はスピッツの「チェリー」とケツメイシの「さくら」を歌った。「チェリー」は無難に歌えたのだが、「さくら」の方はラップのところが悲しいかなオジさんには歌えない。止むなく、若手社員にその部分を歌わせた。
来年の桜の時期までには完璧に歌えるように練習しておこう。誰の手助けも受けずに歌えるように。
♪花びら舞い散る 記憶舞い戻る...
Monday, September 24, 2007
長浜魚市場
朝から自転車に乗って長浜の魚市場に出掛けた。長浜は福岡市中央区天神から歩いて10分位の所にある。東京で例えるなら、長浜は築地であり天神が銀座という位置関係になる。また今や全国区となりつつある”長浜ラーメン”は、この市場界隈の屋台が発祥である。
市場のビルの1階にある食堂で朝食を取ることにした。どの店に入ろうか迷ったが、とある店の前にあった”うにかんぱち丼900円”の看板に惹かれ暖簾を潜る。テーブルに腰掛け待つ事5分、おばさんがにこやかに”うにかんぱち丼”を運んで来た。写真がその”うにかんぱち丼”である。これに赤出しのみそ汁と小鉢がついて900円。安いではないか。
まずは板からウニを取ってごはんに乗っける。それから小皿に注がれたゴマ入りの刺身醤油にわさびを溶かし、かんぱちにぶっかける。準備完了、丼の奥のウニを見つめながら、手前のカンパチから一枚一枚攻めて行く。冷たくてプリプリしたカンパチと、暖かいご飯が口の中で融合して行く。思わず顔がほころぶ。カンパチも卵焼きも食べ終わった。いよいよウニを口に入れる。甘くほろ苦いウニが小宇宙に広がっていく。一瞬箸を持つ手が止まり、遠くを見つめる。至福の一時である。
あっと言う間に食べ終った。気付いたら隣りのテーブルで魚の仲買人らしきオヤジが、焼酎の水割りにレモンを入れて美味しそうに飲んでいた。僕は麦茶で辛抱し煙草を1本吸って店を出た。文句無し”うにかんぱち丼”。美味しかったです。
Sunday, September 23, 2007
Saturday, September 22, 2007
博多港
三連休の初日、朝からひとり自転車に乗って博多港に行った。写真は博多港の街灯であるが、よく見ると街灯の先が船の形をしていて可愛らしい。
博多港は戦後、引揚援護港の指定を受け、中国東北部や朝鮮半島から139万人の引揚者を迎え、また、韓国や中国の50万の人々を見送った歴史を持つ。港内の記念碑にそう書かれていた。祖国に思いを馳せたたくさんの人々が、この桟橋に降り立ち、あるいはこの港を後にしたのである。
母が小学生の時、クラスに韓国人の女の子の友達がいたらしい。戦争が終わり、その子の一家は韓国に帰ることになった。彼女は教室でアリランを歌い、みんなにお別れしたらしい。彼女も恐らくこの港から故郷を目指したのであろう。しかし、彼女を乗せた船が、祖国にたどり着くことはなかった。祖国を目の前に転覆し沈没したらしいのである。
お盆に実家に帰ったとき、みんなで昔の話をしていたら、母がそんな話を聞かせてくれた。悲しい話である。アリランを教室で歌う少女、それを黙って聞いている母たち。その光景がまるで私もその場に居合わせたかのように、ありありと脳裏に浮かぶ。
最後に彼女は船のデッキに立ち、どんな思いで博多の街を見たのだろうか。せめて魂だけは海を渡り、祖国に帰り着いたと信じたい。
Saturday, September 15, 2007
馬の置き物
マンション購入のお祝いに会社の人から馬の置物をいただいた。馬は振り子になっており、揺らすと首としっぽが上下する。なかなか可愛らしくて良い。吉田拓郎の「馬」を口ずさみながら、何度も揺らしてみては飽きずに眺めたのだった。
♪馬が走ってく、馬が走ってく
でっかい鼻の穴おっぴろげて 馬が走ってく・・・
Sunday, September 09, 2007
Sunday, September 02, 2007
キャラメル・マキアート
「大の男が…」と笑われるかもしれないが、キャラメルマキアートやカフェラテなど、スチームミルクが入ったコーヒーが大好きだ。
今日はマンションの近くにある小さなカフェに、キャラメルマキアートを飲みに行こうと娘たちを誘ったのだが誰にも相手にされず、しょうがなくひとりで飲みに行って来た。
脱サラして店を始めた店主が丁寧にいれてくれたキャラメルマキアート。美味しかったです。
Sunday, August 26, 2007
かもめ食堂

娘にせがまれレンタルビデオ屋に行った。
考えてみれば最近ほとんど映画を観なくなった。映画が嫌いなのではない。むしろ好きなのだが、金にものを言わせて作ったような映画に興味を持てず、いつしか映画館から足が遠のいてしまった。
レンタルビデオ屋に入って娘と一緒に探していたら1本のビデオが目に止まった。題名は「かもめ食堂」。娘が見たがっていたビデオに加えて、私も借りてみることにした。
舞台はヘルシンキ。街角に日本人が営む「かもめ食堂」という小さな食堂があって、その食堂が繁盛して行くまでの人間模様を描いた物であるが、なんともほのぼのとしていて心地よい。こんな食堂が近くにあれば毎日行きたくなるだろう。
自分の街に美味しい食堂があることはすごく幸せなことである。家賃が5千円高くとも、美味しい食堂の近くに住むべきだと私は思う。実に単純なのだが、映画を見終わって思わずヘルシンキに行ってみたくなった。ヘルシンキのことなど何も知らないが、あの街角に行けば、あの食堂があって、小林聡美のような美人が美味しいコーヒーとシナモンロールを食べさせてくれる。想像してみるだけですごく幸せな気持ちがするのだった。
(写真は「かもめ食堂」と何も関係ありませんが、この灯りのようにしみじみとした感じの映画でした。)
Sunday, August 19, 2007
Thursday, August 16, 2007
久住(あるいは九重)
4年振りに久住に行った。束の間の夏休み、母と姉たちとで九酔渓から長者原・飯田高原あたりをドライブした。
久住は”九重”とも書く。一般的には火山群や周辺地域全体を指す場合に「九重山」や「九重連山」を用い、その主峰である単独の山を指す場合に「久住山」を用いるらしい。しかし、私は”久住”の字面の方が好きだ。久しく住む、本当に久しく住みたくなるところである。
最初に久住を訪れたのは高校3年の夏だった。当時国鉄に乗って豊後中村まで行き、そこから長者原行きのバスに乗り、バス停までペンションのおじさんに迎えに来てもらった。
その年は記録的な冷夏だった。友達と自転車に乗って峠まで行ったが、帰りに雨に見舞われ、びしょ濡れになってペンションに戻った。ペンションのおじさんが気の毒がって、夕食に豊後牛の焼肉とビールを、高校生の私たちにご馳走してくれたのを覚えている。
あれから30年近くが経ったが、久住の風景はその頃と基本的には何も変わっていない。草原はどこまでも続き、草原の草を撫でるように風が吹いている。太古の昔から何も変わっていないのである。
また秋に行こう。今度は草原の上に煌めく星を眺めに。悠久に輝き続ける星を眺めに。
Tuesday, August 14, 2007
Saturday, August 11, 2007
色鉛筆とスケッチブック
下の娘の誕生日に、色鉛筆とスケッチブックを買ってあげた。
プレゼントの本命はどうせ家内が買ってあげてる筈だから、私はいつもそれを邪魔しない程度の物しか買わない。昨日、会社帰りに天神で買って帰った。
舶来の色鉛筆にスケッチブック。実は私が欲しかったのである。
ブロックのおもちゃ
Sunday, August 05, 2007
夕陽
ようやく引越しが終わった。金曜日から三連休を取って、うんざりするほどの段ボール箱を運んだ。
結婚して15年。その間5回引越しをし、ようやく終の住処にたどり着いた。
運び終わってベランダから夕陽を眺めた。ビルの谷間に夕陽が沈んで行く。秋空のように雲が高く見える。これからこの夕陽を眺めながら歳を取って行くのだろう。この大きな箱に暮らす人たちと、同じ夕陽を眺めながら。
Wednesday, August 01, 2007
Sunday, July 29, 2007
アロハシャツ
古着屋でアロハシャツを買った。似合いもしないのにアロハシャツが大好きなのである。
私がアロハシャツを着た姿を見て家内は言う。香港映画に出てくるチンピラみたいだと。言い得て妙である。確かにその姿はどこか胡散臭さい。
でもやっぱりアロハシャツが好きである。風通しの良いアロハシャツが大好きなのである。
Saturday, July 28, 2007
プレゼント
下北沢の行きつけのバーに、久しぶり顔をだしたら、ママから誕生プレゼントを貰った。私の誕生日は5月なのだが、4月以降顔を出していなかったので、2ヶ月遅れの誕生プレゼントとなったのである。
ガラスの瓶に、キーホルダーのような金具がついたマスコットがたくさん入っている。何だかよく分らないが可愛らしい。福岡に帰って女子社員に見せびらかして、そして女房子供にも見せびらかした。
みんな不思議そうな顔をして瓶の中を覗き込み、そして私の顔を見つめる。不思議な男が不思議な物をもらって来たと言いた気に。
Sunday, July 22, 2007
志賀島
今週は月曜が祭日だったため、1週間があっと言う間に終った。
水曜日、朝から会社が借りている倉庫に行って資料の整理を行った。各部が人を出して古い資料の整理を行っており、その日は私の他に総務部の若手社員も倉庫に来ていた。
エアコンの無い倉庫は蒸し風呂状態で、ジーパン・Tシャツに着替え作業を行ったが、あっと言う間に汗だくになってしまった。
我が部の資料は思ったよりも少なく、2時過ぎには整理を終えることができた。総務部の分を手伝ってやろうとしたら、若手のY君が「海を見に行きませんか?」と言い出した。
Yは日頃勤勉な男である。それに私の高校の後輩でもある。たまには息抜きも必要だろうと、「誰にも言うなよ」と念を押し、Y君とA子を連れ車で志賀島に向かった。
かれこれ20年振りの志賀島だった。海ノ中道から橋を渡り、島を右回りに廻り、国民休暇村の辺りで車を停めて浜に下りた。
3人で砂浜に立ち海を眺めた。私の横でY君とA子がまぶしそうに海を見つめている。彼等ぐらいの頃、何度も志賀島に来た。当時ドライブと言えば志賀島だった。その頃の事が思い出され、彼等の若さが羨ましく思えた。
最後に海の家でかき氷を食べて帰った。帰りの車の中で今度はみんなでバーベキューをしようと話が盛り上がった。渋滞の車の中で3人の笑い声が響いた。こんな日もあっていい。たまにはこんな日も必要なのである。
Monday, July 16, 2007
海の日
今日は海の日。夕方ひとり自転車に乗って百道浜まで行ってみた。
浜辺では早々と海水浴を楽しむ家族連れや、ビーチバレーに興じる若者たちで賑わっていた。ビーチバレーはブームなのだろうか、砂浜に何面もコートが作られ、たくさんの人で盛り上がりを見せている。
そんな光景を横目で見ながら浜をさらに進んだ。やがて浜は室見川に突き当たり終わりになる。その突き当たりに自転車を止め、海に注ぐ川を眺めていた。
水面に夕陽が乱反射している。吹く風が何とも気持ちよい。もう梅雨明けも間近だろう。海の家で買ったスミノロフを飲みながら、今度は娘と来ようかなとか思いながら、ひとり海の日を楽しんだのだった。
追い山
昨日、博多祇園山笠のフィナーレである”追い山”を観に行った。
真夜中、仲間と中州に集結し、行きつけのライブハウスで飲んで追い山の時が来るのを待った。さすがに1時を過ぎると客もまばらで、最後は私たちの貸し切り状態に近かった。
3時を過ぎマスターに行ってらっしゃいと見送られ、ようやく表に出た。雨が上がっているのを期待していたが、まだ小雨が降り続いていた。
櫛田神社の参道付近に傘を差して開始を待つことにした。追い山開始は4時59分である。2時間近く傘を差して待ったが、開始時間が近まるにつれ、かえって雨脚は強まった。傘を差しているので頭は濡れないが、背中は後ろの人の傘から流れ落ちる雨水でびしょ濡れである。結局、写真もろくすっぽ撮らないまま見物を途中で断念し帰った。
びしょ濡れで家に帰り着き写真を整理したが、案の定上手く撮れていない。全体的に暗いし、カメラが雨に濡れないよう撮ったので手ぶれも多い。
そんな中で一枚が目に止まった。それがこの一枚である。追い山開始を待つ父と幼い娘。父親の締め込みにねじり鉢巻姿が何とも男らしい。父親本来の強さや威厳をこの男性に感じる。
しばらくこの写真を眺め考えた。わが娘たちは私のことを父親としてどう思っているのだろうか。
この父親のように強くあらねばならないと、自分の撮った写真に教えられた気がしたのだった。
Wednesday, July 11, 2007
Sunday, July 08, 2007
冷や奴
家から歩いて3分のところにスーパーがある。会社の帰りや、散歩の途中によく立ち寄る。大したものは買わない。カットスイカやぶどうなどの安価な果物がほとんどである。
昨日もスイカを買いに行った。レジで前の女性が豆腐を買っているのを見たら、私も無性に豆腐が食べたくなった。一旦レジを済ませたが我慢しきれず、豆腐コーナーに行き「男前豆腐」という、ちょっと大きめの豆腐を買った。
私の豆腐の好みは、堅い木綿豆腐だ。堅ければ堅い程いい。今日、その「男前豆腐」を冷や奴にして酒を飲んだ。小葱をたっぷり切って、さらにおくらを乗せて食べた。期待していた通り「男前豆腐」は堅くて濃厚な大豆の味がした。
夏は素麺と冷や奴。それにデザートはスイカ。これだけでいい。毎日これだけでいい。
七夕
降り続いた雨もようやく上がった。
久しぶりの土日連休。今日は午前中、上の娘が進学を希望する女子中学の見学会に、私と娘と二人で行って来た。
学校側の説明によれば、1日7時間授業で土曜日休みは隔週。公立より3年間で1,200時間程授業が多いとの事。私が行く身なら勘弁してくれと言いたいが、行くのは娘。びしびし鍛えて欲しいと思うのである。
夜になって、下の娘が今日は七夕だと言い出した。7月7日、そう言えばそうである。
そうこうしていると、下の娘が折り紙を短冊状に切って家族に配りだした。願い事を書けというのである。酔っぱらって書かずにいると、娘が早く書けと催促してきた。面倒臭かったので「5キロやせますように」と書いといてくれと頼んだ。
夜中、酔いも覚めてのどが渇いたので、麦茶を飲もうと起き上がると、部屋の中の観葉植物に先ほどの短冊が結んであった。「テストで100点取れますように」とか「わんちゃんが飼えますように」とか小学生らしい願い事が書いてあった。私が娘にお願いした短冊はと探すと、「長生きせーや! けんじ」と書いた短冊が結んであった。
寝静まった部屋の中で、ひとり受けて笑ってしまったのだった。
Sunday, July 01, 2007
M君
とうとうマンションを決めた。先週の木曜日、契約書に印鑑を押した。以前紹介した、龍の通り道にあるマンションである。
それを買うにはいくつかの問題があった。もちろん経済的な問題もあったのだが、その他にも解決しなければいけない問題があった。
一旦はそのマンションを買う事をあきらめ、別の物件でマイホーム計画は進みつつあった。
それをひっくり返してくれたのは担当の営業マンだった。営業マンのM君、彼が担当でなかったら、恐らくもうひとつの物件に決まっていただろう。
M君は先週の日曜日、突然我が家に来た。他の不動産会社に転職することになったというのだ。最後に一杯奢ろうと、近くのバーに連れて行って二人でビールを飲んだ。M君は今まで無理に勧めようとはしなかった。不思議な男である。気に入った人にしか勧めないのだと言う。だから私に買って欲しいのだと言うのである。
家に帰って妻と話した。でも、彼女は首を縦に振らない。それはそれで仕方ないと思っていた。そこで生活するのは、仕事に明け暮れる私より、むしろ彼女の方なのだから。
「お前の好きにすればいい。だけど断るなら、彼に会って断りを言ってくれ」私はそう家内に言った。そして家内は彼に会って、私が予想していた通り買う事を決めて帰って来たのである。
マンションのエントランスを出ると1軒のバーがある。写真はそのバーの入り口にある木彫りの梟である。下北沢の行きつけの店の前にも梟がいた。どうやら梟に縁があるらしい。引越しが済んだらM君夫妻を我が家に招待して、そしてこの梟のバーで飲もうと思っている。夜が白々と明けるくらいまで彼と飲もうと思っている。
Sunday, June 24, 2007
Sunday, June 17, 2007
デスクの上の緑
事務所にある唯一の緑。何かのおまけでもらったらしく、スタッフの女性が机の上に並べ、毎日ペットボトルのミネラルウォーターを与えては栽培している。休憩時間にみんなで覗き込んで。その成長を楽しむのが日課となりつつある。
一番奥に見える長く芽が出たものはコスモス。今秋には花を咲かせてくれるのだろうか。大きく成長したらこの写真を見せてあげなければ。君はこんなに小さかったのだよと。そして君のママは毎日ミネラルウォーターを与え続けたこの女性だよと教えてあげなければ。
Sunday, June 10, 2007
龍の通る道
最近、週末になるとマンションを見て回っている。そろそろ終の住処を見つけなければならない。近隣の新築マンションのモデルルームを見学しては、ああでもないこうでもないと女房と言い合っている。なかなか理想的な物に出会さない。そもそも、理想自体が虫が良過ぎるのかもしれない。
自宅近くにとある新築マンションがあって、そこに何度も足を運んだ。あまりに行くものだから営業のお兄ちゃんと仲良くなって、今日はそのお兄ちゃんを誘って家内と三人で昼飯を食べに行った。
食事をしながら、あれこれまたマンションの話を彼から聞いた。すると彼が、このマンションは風水学上も良いのだと言い始めた。
お兄ちゃんの話では、先日、とある客が風水師を連れて見学に来て、マンションの家相を観たらしいのである。マイホームはサラリーマンにとって一生一度の買い物である。占いなどあまり気にする方ではないが、その客の気持ちが分からないでもない。興味深く聞いていると、風水師はマンション前の道を指差し、龍が通る道だと言ったらしい。
龍の通り道。風水学上で気の流れる道を指し、その流れを妨げてはならないとされている。気の流れを良くする事によって、一家は繁栄し富みに恵まれるらしい。中国大陸には大きな三つの龍脈があって、そのひとつが香港のザ・レパルスベイという高層ビルに突き当たるため、わざわざ建物の一部を空洞にしたことは有名な話である。
その風水師の話によれば、福岡の龍は荒津山(西公園)に舞い降り、一直線に参道を通り大濠公園の池へと向かうらしい。だから参道沿いに建つこのマンションは、大変縁起が良いらいしいのである。
食事を終え、ひとりで西公園へ向かった。光雲神社の石段に腰掛け、暫し参道を眺めた。ここを龍が通っているのである。夜明け前にそのマンションのベランダに立てば、参道を行く龍が見れるような気がした。一瞬突風が吹き、参道の木々が大きく揺れたかと思うと、銀色に輝く龍が音も立てずに一気に通り抜けて行く。そんなことを空想していると、無性にそのマンションが欲しくなったのだった。