Sunday, July 16, 2006

軍艦島の話し

 今週は多忙だった。月・火と福岡出張、東京に戻って徹夜の資料作り。昨日も出勤し、ようやく一区切りついた。
 仕事を終え同僚と新宿ゴールデン街に飲みに行った。前日3時間程しか寝ていなかったのでかなり疲れていたが、身体の疲れとは裏腹に、ひとつの仕事を終えた喜びで気持ちは高揚していた。写真はゴールデン街付近、エアコンの室外機が面白かったので撮ったものである。
 ゴールデン街のとある店で、若い女性客二人と隣り合わせになり世間話をしていた。私たちが九州出身と分かると、二人のうちひとりが長崎に先日行ってきたと言って長崎の話しになった。
 博多の話や長崎の話が続いて申し訳ないが、この女性が長崎に何をしに行ったか、非常に興味深いので話したい。この女性歳は24歳、生れも育ちも千葉と、長崎とは縁もゆかりもないのだが、彼女は長崎に ”軍艦島” を見に行きそして島に上陸したらしいのだ。
 軍艦島、長崎市の南部にある島で正式な島名は端島という。炭坑があった島で、コンクリート造の炭坑住宅が狭い島内に林立しており、海上から見たそのシルエットが戦艦に似ていることから、軍艦島と呼ばれている。実際、戦時中には米軍潜水艦が本物の軍艦と勘違いして魚雷を撃ち込んだというエピソードもある。1960年、最盛期には5千人を超える人たちがこの島で暮らし、人口密度は東京特別区部の9倍以上に達した。炭鉱施設のほか、住宅・学校・店舗・病院・寺院・映画館・理髪店などもあり、島内において完結した都市機能を有していた島であった。(wikipedia記事より)
 日本のすべての炭坑の運命がそうであったように、長崎端島炭坑も石油化の波に押され1974年に閉山。翌年には無人島となり、島ごと廃墟となってしまった。
 私も初めてこの軍艦島を見た時、何とも言えないノスタルジックな気持ちになった。高度成長期、この島でも人々のささやかな営みがあったのである。海上に見えるコンクリートの住宅ビル群の部屋ひとつひとつに明かりが灯り、その明かりの下に家族の団らんがあったのである。
 軍艦島はビルの倒壊の恐れがあるので一般人は上陸できないと聞いていた。また長崎でも上陸したと言う人を聞いたことがない。彼女がどうやって軍艦島に出会ったか、詳しくは聞かなかった。ただ、彼女の中の何かに軍艦島は触れたのだろう。そして彼女は必然的に軍艦島に上陸したのである。荒廃した島で彼女は何を見たのだろうか。何を思ったのだろうか。 

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