Sunday, August 27, 2006

エビチリ

 近くの中華料理店に食事に行った。中華料理店で上の娘は決まってエビチリを注文する。フカヒレスープとエビチリとデザートはごま団子。これが娘の3点セットであり、いかなる時もこのセットを注文する。生意気である。フカヒレなんかは、自分で稼ぐようになってから食べろと言いたくなる。しかし美味そうに娘が平らげるのを見ると嬉しくなる。バカ親である。

Ching


 髭はまだ伸ばしたままなのか?


Saturday, August 26, 2006

うどん


 お昼にうどんを作った。ぶっかけうどんである。具はおくらとしそと水に晒したタマネギ。つゆも自分で作ってみた。自画自賛するようだがなかなか美味しかった。
 東京のうどんは不味い。東京の人には申し訳ないが、不味い。汁をそばつゆで作るからまずいのである。九州のそばがまずいのも同じ理由で、うどんつゆで作るからである。
 韓国に行った事は無いが、日本統治時代が長かった経緯から、韓国にも日本式のうどんがあるらしい。汁は関西風で具にはネギ、ワカメ、ニンジン、椎茸が入っていて結構美味しいらしい。
 ただ、韓国では日本流に丼を持ち上げて食事をすることは作法に反するらしく、立ち食いうどんであっても、カウンターに置いたまま啜らないといけないらしい。汁はレンゲで飲むのだろうか。でも最後の一滴までは飲み干せないんじゃないか。どうするのだろうか?
 確かめに行かなくては。



バイクのオジさん


 標識のバイクのオジさんはどこに向かっているのだろう。おそらく今日は休みで、馬券を買いに行っているんじゃないかなと思う。
 昨日遅くまで競馬新聞とにらめっこをして、バイクのオジさんは3から流そうという結論に至ったのだ。標識ではよく分らないがバイクのオジさんは口笛を吹いている。意気揚々と府中競馬場に向かっているのである。当たるといいね、バイクのオジさん。

シフォンケーキ


 家内がシフォンケーキを焼いていた。朝起きて食べようと、ホイップクリームを冷蔵庫から出してかけようとしたが、缶入りのスプレー式ホイップクリームは、シューシューと虚しく音を立てるだけで出てこなかった。頭にきてぶつくさ文句を言っていたら、娘に「ケチャップでもかけたら」と言われてしまった。
  妻が焼いたのはチョコレートシフォンらしいが、ちょっと失敗したみたいで、チョコマーブルの渦巻き模様が出ていなかった。この他に紅茶シフォンを焼くが、それもなかなかシンプルな味でおいしい。バナナが入ったのもよく焼くが、それはシフォンケーキではなくスポンジケーキらしい。違いが今ひとつわからないが、焼き方が違うらしい。
  何でもいいからどんどん焼いて欲しいものである。   


Thursday, August 24, 2006

カバン


 カバンを買ってもらった。自分の稼ぎで買ったのだから、買ってもらったと言うのはおかしいかもしれないが、財布は家内が握っているので、買ってもらったと言わざるをえない。ちょっと情けない。
 カバンは吉田カバンのPORTERである。私の買い物にしてはちょっと高かった。早速会社に持って行き部下に見せびらかし、上司に自慢した。部下は手に取って誉めてくれたが、上司は値段を聞いて呆れていた。27,000円を2,700円の間違いだろうと言ってのけた。物の価値が分からん奴である。
 ところで、カバンの大きさと欲求不満は比例するという話しを聞いたことがある。大きなカバンを持っている人程、たくさんの不満を抱えているらしい。今度電車に乗った時に、一番大きなカバンを持っている人を探してみよう。きっと人生面白くなさそうな顔をしているから。  


Sunday, August 20, 2006

 洗濯して干しておいたジーパンにアブラゼミがとまっていた。何もジーパンにとまらなくてもいいと思うのだが、ジーパンのちょっとゴワゴワした感じが良かったのだろうか。
 蝉の話しで、おじゃる丸の映画に「約束の夏」というのがある。いい話しなので紹介したい。
 ある夏の日、せみらと名乗る少年が突然おじゃる丸の前に現れる。おじゃる丸はせみらと徐々に仲良くなるが、ある日、おじゃる丸のプリンをせみらが食べたことに腹を立ててしまう。せみらはひたすら謝るが、おじゃる丸は許そうとしない。しかし翌日、おじゃる丸はせみらと仲直りしようと、せみらの分のプリンを持っていつもの場所に出かけるが、そこにはせみらの姿はなく、代わりにたくさんのセミの死骸が落ちていた。少年せみらは実はセミの化身だったのである。おじゃる丸はその事に気付き、意地悪したことを後悔し号泣するのである。
 何年か前に、何気なしに娘と見ていたのだが、不覚にも泣いてしまった。誰しも、もっと優しくしておけば良かったと後悔したことがあるはずである。ケンカした友達が転校になったりとか、似たような経験が私にはある。「約束の夏」は少年時代を思い出させる名作である。
 

Saturday, August 19, 2006

本を読む男

 最初にその男を見た時、私は古本屋だと思った。その男は下北沢南口前の路上に古い漫画本をずらりと並べ、その一冊を手に取って読み上げていた。年の頃は30才ぐらいだろう。髪はボサボサ、こわれかけたような眼鏡を掛け、頭にはタオルで鉢巻きをし、足はなんと地下足袋を履き、大きな声を出して漫画本を読み上げていた。
 昨日、行きつけのバーで飲んだ後、駅に向かっていたらまたこの男がいた。よく見ると、誰かに漫画本を読んであげているのである。この男は本を売るのが目的ではなく、本を読むのを商いとしているのである。ただ、その読み方が普通じゃない。何と説明すればいいだろうか、それはハムレットの台詞を聞いてるような、高貴さと狂気さが入り交じり、そして失礼かもしれないが滑稽なのである。
 並べられた漫画の中には、宮崎駿のアニメシリーズがあった。私は「となりのトトロ」をこの男に読んでもらいたかったが躊躇した。この男には申し訳ないが、聞き手が私ひとりでは私自身が恥ずかしいのである。今度行くときは誰かと一緒に行かなければならない。そして必ず「となりのトトロ」を読んでもらわなければ。    

Tuesday, August 15, 2006

屋台

 先日九州に帰った際、久しぶりに久留米の屋台で飲んだ。会社の先輩の友人がやっている屋台だが、久留米の屋台では珍しく、定番の焼き鳥やラーメンが無く、代わりにハンバーグやドライカレーなどの洋食がメニューにあった。あまりお腹は減っていなかったが、先輩に勧められハンバーグを食べてみた。店主は以前肉屋で働いていたらしく肉の見立てがうまいのだろう。出てきたハンバーグはジューシーでかなり美味しかった。
 初めて屋台に行ったのはいつだったろうか。高校2年の冬、ディスコに夢中になって通っていたが、ディスコ帰りに行ったのが初めてだったと思う。ちょっとだけ大人のふりをして暖簾をくぐり、財布を気にしながら焼き鳥を頬張った。
 屋台は冬が良い。今度は冬帰った時に寄ってみよう。白い息を吐きながら今度はチャンポンを食べてみよう。 

Sunday, August 13, 2006

夏休み

 夏休みも今日でとうとうおしまいです。最後の今日、暇人の同僚と二人で靖国神社にお参りに行きました。お参りを済ませ、お濠沿いをひたすら銀座を目指して歩き、銀座ライオンでビールを飲んで帰りました。ビールが大変美味しかったです。
 明日からまた仕事です。頑張って行かなければ・・・ 

Friday, August 11, 2006

命日


0509 101
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 8月10日、父が死んで1年が過ぎた。命日の昨日、朝から母とお寺に行ってお参りをした。1年あっと言う間であったが、あれからもう何年も経ったような気もする。
 先日、家内の父と会ったが、義父もこの暑さにげんなりしていた。今年になって入退院を繰り返している義父。私の父のことを生前は心配してくれていたが、義父自身のことも気がかりである。
 義父は戦後間もなく東京の大学に進学するため上京した。九州の田舎から当時東京の大学に進学するためには、学力もさることながら経済的にも相当恵まれていなければならなかっただろう。期待を一身に受け義父は故郷を後にし、佐世保から27時間寝台車に揺られ東京に着いた。
 東京に着くと義父は、有楽町の親戚の家を訪ねそこに下宿する。義父に有楽町のどの辺か尋ねたら、有楽町のガードをくぐって右手の路地を入ったところだった言っていたから、恐らく今の有楽町電気ビルの裏手あたりだろうと思う。日比谷公園が近いので、休みの日など義父は散歩したのだろう。そしてたまにはガード下の飲み屋で酒を飲むこともあったのだろうと思う。
 大学を卒業し義父は九州に戻ることになる。それから2年後、昭和32年にフランク永井の「有楽町で逢いましょう」がヒットする。義父は九州でその曲を、東京を懐かしみながら聴いたはずである。さまざまな思い出をその曲に重ね聴いたはずである。
 本題からそれたが、義父に有楽町を案内してあげたいと思っている。まだどこかに当時を偲ばせる風景があるはずである。ガート下で酒を飲みながら昔話を聞かせてもらいたいものである。
 

Wednesday, August 09, 2006

月夜


0509 173
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 姉の車を借りて家内たちを福岡の実家に送り届けた。姉は止む無く自転車で仕事に出かけていた。心配する年頃ではないが、帰りが遅かったのでちょっと表に出てみた。外は月明かりが辺り一面をきれいに照らしていた。月夜の晩である。あまりにきれいだったので、カメラを持ち出し姉が戻るまで写真を撮って時間を潰した。
 中原中也の詩に「月夜の浜辺」という詩がある。私はこの詩をまだ結婚する前に、中也ファンの家内から教えてもらった。実に繊細でロマンチックな詩である。

  「月夜の浜辺」  中原中也

  月夜の晩に、 ボタンが一つ
  波打ち際に、 落ちていた。

  それを拾って、 役立てようと
  僕は思ったわけでもないが
  なぜだかそれを捨てるに忍びず
  僕はそれを、 袂に入れた。

  月夜の晩に、 ボタンが一つ
  波打ち際に、 落ちていた。

  それを拾って、役立てようと
  僕は思ったわけでもないが
  月に向かってそれは抛れず
  波に向かってそれは抛れず
  僕はそれを、袂にいれた。

  月夜の晩に、拾ったボタンは
  指先に沁み、 心に沁みた。
  月夜の晩に、 拾ったボタンは
  どうしてそれが、 捨てられようか?

 そうこうしている内に姉は自転車に揺られながら帰ってきた。月夜の晩に私は何も拾わなかったが、写真を一枚撮ることができた。

Monday, August 07, 2006

八起のアイスキャンデー


yaoki
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 ひと足先に夏休みを取って九州に帰った。たまたま先週末福岡出張が重なったため、仕事を終えそのまま夏休みへ突入した。おかげで旅費が浮いた。実にラッキーである。
 昨日姉が八起のアイスキャンデーを大量に買ってきた。八起は鳥栖市民に愛され続けて実に70年のアイスキャンデー屋である。
 子供の頃、夏休みに従弟とよく買いに行った。小銭を握り締め自転車をひたすらこぎながら買いに行った。今でこそ種類も増えたようだが、私が子供の時分は、アズキ・チョコ・ミルク・たまごの4種類しかなかった。店に着くと、滝のように流れる汗を拭いながらアイスキャンデーにかぶりついたものである。
 入道雲と蝉時雨と八起のアイスキャンデー。鳥栖人の誰もが記憶にある夏の光景である。

Thursday, August 03, 2006

帰省

 昨日、家内と娘達が帰省した。家に帰ったら娘達からのメッセージがテーブルの上に置いてあった。上の娘は「九州に行ってまいります。」と書いていた。何だかそのメッセージに娘の決意が感じられる。私は出張でしょっちゅう帰っているが、家内達は1年ぶりの帰省である。あそこに行ってここも行ってと色々楽しみにしているようだ。
 東京に来て思ったことがある。日本地図をそれまでは九州中心に眺めていたが、東京に中心を置いて眺めると、実に九州は遠い。北海道よりも遠いのである。当たり前じゃないかと思うだろうが、そのことに気付いた時、ちょっとショックだった。九州からは東京よりむしろ韓国ソウルの方が近いのである。
 娘の気持ちとしては「行ってきます」では軽かったのだろう。 「行ってまいります」と姿勢を正さなければならなかったのだ。九州に帰ること、故郷に帰ることに小学生の娘でさえ特別な思いがあるのだろう。娘達よ行ってまいれ。真っ黒に日焼けして帰ってこい。