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Wednesday, August 27, 2025

左内坂

左内坂@市ヶ谷




   左内坂 一朶の雲を 仰ぎ見て
   拳握った 夏の終わりに
  






Tuesday, November 28, 2023

銚子電鉄

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 東京へ行ったついでに銚子まで足を伸ばし銚子電鉄に乗ってきた。写真は銚子電鉄本社がある仲ノ町駅のホームで撮ったものである。指差し確認を行う駅員さんの真剣な表情に魅せられてしまったので、アップさせてもらった。

 ご存じの方も多いと思うが、銚子鉄道は1998年に親会社が債務超過で倒産し経営危機を迎える。2004年には当時の社長の業務上横領が発覚し補助金の支給が停止され、さらには国交省から業務改善命令が出され、何度も廃線の危機を迎えるがその度に苦難を乗り越えてきた。

 経営危機を救ったのは、1995年から始めたぬれ煎餅や、自虐的に「マズいです!経営状況が・・」をキャッチフレーズにした「まずい棒」などの食品販売らしいが、根底は彼のような一所懸命に頑張った社員たちのひたむきな努力だったのだろう。その社員たちの姿に地域住民や全国の鉄道ファンたちが心を動かされ、支援の手を差し伸べたのではないだろうか。二日間銚子電鉄に乗り、最後に彼の指差し確認を見てそう実感し、清々しい思いで駅を後にしたのだった。



Saturday, November 25, 2023

上京

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 木曜日から東京に来ている。私より数日前に女房が上京し、私は木曜日の朝の飛行機で東京に向かった。その日の夜、豊島園駅でとしまえん跡地にできたハリーポッターのスタジオを満喫した女房と娘二人、そして姪と落ち合った。 
 実に姪と会うのは10数年ぶりであった。いろんな事情があって姪とは会えていなかった。姪は私を見るなり涙ぐみ、私も目頭を熱くして再会を喜んだ。
 みんなでスターバックスでコーヒーを飲みながら、昔話に花を咲かせる。姪から近況を聞き、元気そうにしていたので安心した。
 
 幼い頃一緒に遊んだ娘たちが、今、大人になってそれぞれに上京し、東京で連絡を取り合い再会している。そのことが父親として叔父としてとても嬉しく思う。これからも従姉妹同士、東京で助け合って生きてほしいと切に願ったのだった。





Saturday, June 30, 2018

新橋カリカル

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 今週、出張で日曜から火曜まで東京にいた。
 久しぶりの東京はすでに夏の暑さ。人が多いからかもしれないが、博多より暑苦しく感じる。その暑さの中、キャリーケースを引きずりながら取引先を回る。立ち止まると汗が、ワイシャツの中を滴り落ちてくる。昼食をとる間もなく、地下鉄を乗り継ぎスケジュールを予定通りにこなしていく。その移動の間に遅い昼食をとったのが、新橋駅前ビルの老舗カレー屋”カリカル”である。
 カリカルは創業1958年とあるから、東京タワーの竣工と同じであり、人間でいえば今年還暦を迎える。60年間、新橋カレー界を牽引してきたのである。
 写真は私が食べたチキンカレーである。値段は820円。決して安くはないが、欧風のスパイシーなカレーで、私たちの世代が慣れ親しんだ、懐かしさを感じるカレーである。 一体今まで、何人の人がこのカレーを食べたのだろうか。この界隈のサラリーマンなら、一度はこの店に行ったことがあるのではないだろうか。新橋サラリーマン物語の一面を語る店である。
 一気に食べ終えて支払いを済ませ店を出る。改札を目指してまたキャリーケースを引きずっていく。カレーの辛さに刺激され、汗が噴き出てくる。ハンカチで額の汗を拭いながら次の取引先に向かったのだった。


 

Sunday, January 22, 2017

東京

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  10年前のことを思い出しながら
  この風景をしばらく眺めていた。
  今よりも少し若かったあの頃のことを
  思い出していた。








Monday, December 12, 2016

下北沢

最後に追加した項目-26




   下北沢で、娘と娘の彼氏と三人で飲んだ。
   金曜の夜、行きつけの小さなバーで。
   客は俺たち三人だけ。
   俺はウオッカを三杯。
   娘はジュース。
   そして、娘の彼氏はファジーネーブル 。
   娘の彼氏は、いいやつだった。
   俺より、多分いいやつだと思う。





Sunday, December 11, 2016

東京タワー

最後に追加した項目-34

 今年最後の出張で東京に行った。今年一年、お世話になった方々に年末の挨拶をし、夜は久しぶりに娘と会って、新橋のホテルに泊まった。
 翌朝、朝食を取ろうと部屋を出ると、廊下の突き当たりのガラス窓に、東京タワーがいきなり現れた。まだ眠気が残る中、澄みきった青い空にそびえ立つ東京タワーを、立ち止まってしばらく眺めた。

 東京タワーの完成は昭和33年。この地に半世紀以上立ち続けている。その存在は戦後復興の象徴として、今もあり続けている。
 東京スカイツリーができてからは、観光名所としての役割を譲りつつあるが、かけがえのない思い出は、私たちの心の中に消えることなく刻まれている。
  若い頃、従弟たちと六本木で飲んで見上げた東京タワー。会社の窓から残業を終えて見た東京タワー。転勤で東京を去る時に家族4人で登った東京タワー。東京タワーの近くで一時期働いていたこともあり、私も思い出は多い。

 2020年には東京オリンピックが開催される。東京、日本は、今あらたな時代を向かえようとしている。 その大きな流れの中に東京タワーは立っている。時代を俯瞰するように立ち続けている。
  久しぶりに見た東京タワーをスマートフォンで写真に納め、その場を後にした。





Saturday, October 01, 2016

高輪の喫茶店

最後に追加した項目-58

 今週、出張で東京に行った。東京出張の際、よく立ち寄る喫茶店がある。場所は品川高輪。大通り沿いのビルの1階にこじんまりとその店はある。
 店は七十過ぎのおばあさんが一人でされている。熊本出身の方で、結婚して間もない頃は、福岡にも住んでいたことがあるらしく、同じ九州出身と言うこともあって、いつしか店に立ち寄るようになった。

 朝10時過ぎ、出勤前の客も引いて一段落した頃、羽田から品川に着いた私は店のドアを開けた。「あら、今回は早かったのね。」とおばあさんがカウンターの中から私に声を掛けた。前回この店に来たのが6月終わりだったから、3ヶ月振りの訪問だった。
 コーヒーを飲みながら、おばあさんと話をしていたら、今回の震災で熊本の実家を取り壊すことになったと言われた。年に一度、熊本に帰っていたが、もう帰るところなくなったと、表の通りを眺めながらぽつりと言われた。
  この地に店を出して40年。以前は夫と従業員の三人でやられていたらしいが、夫に先立たれ、今は一人で細々とやられている。土日祝日は休みで、平日も病院に行く日は三時頃に店を閉めることもあるらしい。それでも、この界隈で働く常連たちは、毎日出勤前にここでコーヒーを飲み、新聞を読んで出勤する。
 高齢であるため身体のことが気に掛かるが、 「店を閉めようかとも思ったこともあるけど、開けていれば一日ひとつは良いことがあると思って続けているの。」とおばあさんは言う。「ほら、今日だってあなたが九州から来てくれたじゃない。」と私に優しく微笑んで言ってくれた。

 私も定年まであと5年。今の職務が変わらなければ、この店に半年に1回は立ち寄ることができるだろう。あまり無理はして欲しくはないが、できれば私が定年になるまで店を続けて欲しい。私も常連の一人として定年を向かえた時に、「出張は今日が最後になりました。お世話になりました。」と挨拶したいと思ったのだった。







Saturday, January 23, 2016

下北沢にて

最後に追加した項目-272




  いつまでも、その灯火を消すことなくその場所に、あり続けてほしいのです。






Sunday, December 06, 2015

伊香保にて

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 金曜日、東京出張の帰り、伊香保に行った。
 東京勤務の頃、半年に一度伊香保のホテルで開催される取引先の総会に出席するために訪れていたが、あれから10年、久しぶりの訪問となった。
 写真は石段街から北側に鎮座する中ノ岳、十二ヶ岳を撮ったものである。朝焼けに赤く染まる山々。10年前にもその雄大な景色に見惚れたことを思い出した。
 これらの山々を越え、さらに北へ進めばやがて上州は終わり越後に入る。残念ながら私は越後に足を踏み入れたことがない。 いつかあの山の向こうへ行ってみたいと、石段街に立って、未だ見ぬ風景に思いを馳せたのだった。




Monday, July 20, 2015

熱海

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 土曜日、東京出張のついでに熱海を訪れた。久しぶりの東京出張。三連休でそのまま帰るには勿体なかったから、行ったことがない熱海へ小旅行をしようと思い立った。
 東京駅から電車に乗って熱海に降り立つ。駅舎を出た時にまず熱海の地形に驚いた。私は勝手に海に向かってなだらかに広がる街を想像していたが、熱海の街は伊豆連山から相模湾に伸びる扇状地で平地はほとんど無く、山の斜面にへばりつくように広がっていた。
 駅前の商店街を散策しながら、宿がある渚町へとその丘陵を下りて行く。商店街は三連休のせいもあって、観光客で人がごった返していた。名物の干物を売るお土産に饅頭屋。相模湾の海鮮を食べさせる食堂にそば屋。そんなお店が商店街に数多くあった。
 商店街を出て湾曲する道を宿へと歩く。途中、雨に打たれながら、お土産で重くなったバックを抱えながら、坂道を下りる。宿に着く頃には、雨と汗でびっしょりになっていた。

 昭和11年生まれの民宿のおかみさんの話しによれば、熱海は昭和35年頃をピークに徐々に衰退の道を辿ったらしい。高度成長期には、東京の奥座敷として、大量の慰安旅行や修学旅行、そして新婚旅行客を受け入れ、熱海の街は隆盛を極める。
 やがて高度成長期も終盤に近づくと、人々は集団的な価値観から抜け出し、個人や家族の幸福を中心に置いた価値観へと変わって行くが、高度成長期の賑わいを取り戻そうと行政や旅館経営者たちは、衰退の本質を考えずに設備投資を行った。あたかもギャンブルで大勝した男がその感触を忘れられずに、やがて来ると信じる”勝ち”を夢見て、お金を注ぎ込むように。
 結局熱海にはテーマがなかった。テーマを作ることをしなかったのだろう。しかし、この地をかつて訪れ、そして思い出を持つ人々は、熱海の再興を願っているのである。幼い頃、母に手を取られ父に背負われこの街を訪れた人、集団就職で上京し慰安旅行で訪れた人々、そして新婚旅行で手をつなぎ将来のしあわせを信じながらこの街を歩いた人たちの思いが、この街には漂っている。

 熱海の街を二日間歩きながらそんなことを考えた。今、熱海の街がどこへ向かって進んでいるかを私は知らない。すでに熱海は目指すべき方向へ動き出しているのかもしれない。
 かつてここを訪れた人々のその大切な思い出のためにも、熱海は発展して欲しいと思いながら駅までの道を歩いた。






Tuesday, September 11, 2012

下北沢の夜

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  楽しかったあの頃の、夜の香りを今も探している。

  スズナリあたりの路地裏で。












Sunday, September 09, 2012

みん亭の支那そば

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 下北沢みん亭の支那そばはどこかなつかしく、やさしい味がしました。