Saturday, December 23, 2006

ストラップ


 携帯を買い直した。2年前に買った携帯はデザイン的にも骨董品のようになっていた。
 先週自宅に帰ったとき、娘たちに新しい携帯を見せびらかしていたら、下の娘がストラップは付けないのかと私に聞いた。私が買った携帯ショップにはストラップは置いていなかったし、会社の近くで何処にストラップが売ってあるかも知らないので、そのまま付けずにいたのである。
 娘たちにいらないストラップがあるならくれないかと言った。下の娘がストラップではなく、キイホルダーを部屋からたくさん持ってきてテーブルの上に並べて見せた。 残念だがキイホルダーでは携帯に付けることはできない。
 そうこうしていると上の娘が、白い紐に数珠のような物を通し持ってきた。よく見ると玉に私の名前が書いてある。ちょっとばかり紐が太く携帯に通すのに苦労したが、何とか付けることができた。いつも私に悪態ばかりついているが、やさしいところもあるのである。嬉しくてそのストラップをあちこちで自慢したのだった。

春吉橋


 金曜の夜、会社の仲間と飲んだ。1軒2軒とはしごして回り、気づいた時には終電の時刻を過ぎていた。しょうが無くサウナに泊まり、夜を明かした。5時半ごろ天神のサウナを出て、博多駅までの道をひとり歩いた。
 博多の夜明けは遅い。外はまだ真っ暗で、夜が明ける気配は一向にない。中州あたりでは、屋台の片付けの最中で、今しがたまで繰り広げられていた饗宴の余韻がそこらじゅうに残っていた。
 そう言えば昨夜から大した物も食べていない。1軒だけ開いていたラーメン屋を見つけ暖簾をくぐった。
 店内には常連客の男、それにお勤め帰りと思われる水商売風の女性がいた。店主の妻はタバコをくわえ、通りを眺めながら、常連客に正月休みがいつまでか話していた。水商売風の女性はバックからマニキュアを取り出し、左手の小指から塗り始めた。自分の指を塗り終わると、今度は店主の妻の手を取り塗り出した。客のそれぞれが、決して上出来だとはいえない人生に、ささやかな喜びを見つけ生きているような気がした。
  紅生姜が入ったラーメンをゆっくりと食べ、ようやくおなかも落ち着いた。勘定を済ませ表に出ようとしたら、水商売風の女性が不意に顔を上げ、「おやすみなさい」と私に微笑みながら言った。驚いたが私も「おやすみ」と返し表に出た。
 春吉橋を渡り、博多の街の優しさを感じながら、駅へとまたひとり歩いた。夜が白々と明け始めていた。

Sunday, December 17, 2006

クリスマスプレゼント

 週末、東京にいた。3週間振りに家族の待つ自宅に帰った。
 もうすぐクリスマス。娘たちにはお歳暮を買いに行くからと留守番をさせ、家内と二人トイザラスにクリスマスプレゼントを買いに行った。
 ゲームコーナーで娘たちが欲しがっているソフトを探した。妹の欲しがっているソフトはすぐ見つかったが、姉の言っていたソフトが無かった。
 しょうがなく家内が携帯から娘に電話した。「今、サンタさんのところにお願いに来てるんだけど、××のソフトが無いみたい。他のじゃダメ?」。上の娘は小学校5年生。親には言わないが、サンタが実在しないことは知っているはずだ。だが、娘が表面上サンタを信じていると装っている限り、家内もそれに合わせなければならない。
 「じゃあ○○のソフトをサンタにお願いして」。娘も大変である。家内の下手な芝居に付き合わなければいけない。家内と娘のやり取りを聞いていて可笑しくなった。
 家に帰り着き娘達に、サンタにちゃんとお願いしたことを伝えると、下の娘が「サンタさんは何才まで来てくれるの?」と私に質問した。私は苦し紛れに、「サンたすサンで6年生までらしいよ」と言ったら、指を折って、「じゃあ、あと5回来てくれるんだね!」と安心したような顔をしたのだった。   

Sunday, December 10, 2006

今村天主堂

 福岡県大刀洗町にある今村天主堂を見に行った。この教会は日本の教会建築のパイオニアである鉄川与助氏の手によるもので、氏の最高傑作とも言われている。
 鉄川与助氏は、明治12年に長崎五島の大工棟梁の家に生まれる。氏は小学校の高等科を卒業すると家業の手伝いをしながら腕を磨いていった。大学で西洋建築を学んだわけでもなく、来日していた神父に教えを乞い、ほとんど独学で教会建築を設計から施工まで習得していったのである。氏が手がけた教会は長崎を中心に50以上あると言われており、有名な長崎の浦上天主堂も彼の作品である。
 この天主堂は私の実家から車で20分ぐらいのところにある。昔からこの付近をよく通ってはいたが教会に立ち寄ったのは初めてであった。双塔の天主堂が筑紫平野の真ん中に、静かにひっそりと建っている。何ら変哲もない農村の集落に、普通ならば神社があるべきところに、ひっそりと天主堂が建っているのである。
 この地は長崎や天草のキリシタン集落からは遠く孤立しており、信者たちはキリスト教が解禁になるまでの二百数十年もの間、他の土地にキリシタンがいることを知らずに信仰を守り続けたらしい。
 天主堂を仰ぎ、教会のレンガ一個一個に鉄川与助氏の情熱と、信者たちの信仰の深さを感じたのだった。

 写真は私が住む町にあるJR鳥栖駅のホームで撮ったものである。
 JR鳥栖駅は明治22年に開設された鹿児島本線と長崎本線が分岐する駅であり、九州の交通の要所となっている。
 現在私は博多まで通勤しているが、いつもはここから2駅程博多よりの駅を使っている。昨日は鳥栖駅近くのバーで飲むため、博多から快速に乗って鳥栖で降りた。
 駅というものは東京より地方の方が情緒がある。駅舎の近代化が遅れているのが一番の理由だと思うが、それだけではないような気がする。勝手な想像だが、故郷を後にした人々の情念が駅舎に染み込んでいるような、そんな侘しさが生み出す情緒を地方の駅には感じる。
 この駅から出征していった兵士たち。集団就職で故郷を後にした人たち。夢を追い求めこの町を出て行った若者。人生に行き詰まり町を出て行った人々。そんな様々な人たちの思いがホームに染み込んでいるような気がするのである。飲み終えて、そんなことを考えながら電車が来るまで写真を撮ったのだった。  

Sunday, December 03, 2006

銀杏


  気づいたらもう11月は終わっていました。

Saturday, December 02, 2006

マフラー


 マフラーを買った。今日はこれを巻いて、ポケットに手を突っ込んで飲みに行こう。

 来年3月まで実家に居候の身が続く。姉が旅行中なので、私が母の買い物に付き合った。車で5分ばかりのところにあるスーパーに2人で行って、食料品を買い込んだ。
 母はゆっくりとカートを押しながら、私にカレー粉を取って来いだの、豆腐を取って来いだの指図して進んで行く。たまには親孝行しないといけない。ちょこまかちょこまか店内を走り回り、言われた物を取ってきてはカゴに入れた。
 一通り買ってレジに並んだら母が、「お菓子を買ってあげようか」と言った。一体私がいくつだと思っているのだろうか。40過ぎの息子にお菓子はないだろう。呆れたが、これが母親なのだろう。いつまでも子供だと思っているのだ。
 遠い昔、入院していた姉の見舞いに行く途中、ケーキ屋でプリンを買ってもらった時のことを思い出した。