海を見た帰り道、妻と娘達は僕のずっと先を歩いていた。
背中から大きな波音が聞こえたけど、おかまいなしに歩いていた。
そして僕はランチに迷う・・・
糸島のカキ小屋にカキを食べに行った。九州では主に有明海沿岸を中心に、水揚げしたばかりのカキをバーベキューのように炭火で焼いて食べさせる「カキ小屋」なるものがこの時期出没する。長崎に住んでいた頃はよく食べに行っていたが、福岡にもカキ小屋が出るとは知らなかった。会社の同僚から糸島に出ていることを聞きつけ、早速家族4人で行ってみた。
福岡市内の自宅から1時間、ようやく糸島の岐志という漁港にたどり着いた。ここのカキ小屋はどの店もビニールハウスになっており、10軒ほどのカキ小屋が漁港のすぐ側に並んで立っていた。
適当に店を選び、空いているテーブルに陣取り、さっそくカキを2キロ注文した。1キロが700円で、大きめのカキで12個程がカゴに入って運ばれてくる。ここのカキ小屋は親切に軍手とエプロンまで貸してくれた。
早速カキを焼き始める。カキから汁が出始め、貝が開いたら食べ時である。専用のナイフで口を開き、レモンを搾りまずは焼き汁を堪能する。焼き汁を飲み干したあと一気に中身を口の中に放り込む。醤油も何も要らない、レモンだけいい。涙が出るくらい美味い。豊潤なのである。
下の娘は貝類が苦手なのでイカとアジの干物を焼いて食べたが、他の3人は一心不乱にカキを食べ続け、最後はカキご飯にカキのみそ汁で締めくくった。お勘定だが、カキを3キロに、カキご飯1杯、カキのみそ汁2杯、イカの一夜干し1枚にアジの干物2枚、それにビール1本でしめて3,900円である。信じられない値段である。あまりの安さに申し訳ない気がした。
2月ももう終わりに近い。冬の風物詩「カキ小屋」でカキを満喫し、冬を食べ納めしたような気がしたのだった。
今日は久しぶりに休みを取って、妻とふたりで散歩しました。
食事をして、神社でお参りして、パンを買って、コーヒー飲んで
帰りました。
何と言う花か知らないけど、途中の土手に咲いていました。
陽だまりに楽しそうに咲いていました。
先週娘たちが作ったチョコレートである。色とりどりのチョコレートスプレーがキレイだ。誰にあげるのだろうと思っていたら、どうやら下の娘は学校の先生にあげたらしい。私ももちろんこのチョコをもらえるのだろうと思っていたら、出張から帰り1日遅れでもらったのはなんとコンビニのチョコだった。父親とはそんなものなのだ。
一杯のラーメンを紹介しよう。場所は品川大井町の東小路。一昨日出張で行った時に、行きつけの小料理屋のご主人に教えてもらい立ち寄った。屋号を永楽という。
大井町駅東口一帯は昭和の良き面影を残すたくさんの飲食店が軒を連ねている。焼鳥屋にスナック、小料理屋に大衆食堂。よくまあ今日まで残っていてくれたと、誉めてあげたくなるくらい哀愁を帯びた一帯である。そのタイムスリップしたような路地裏の一角に永楽はある。
永楽は開業昭和27年というから、もう半世紀以上営業している事になる。恐らくこの界隈の住人たちは、このラーメンにまつわる思い出を誰も皆持っているだろう。スープは醤油ベースで麺は平打ちの太麺。真っ黒な煮玉子にチャーシューと太目のもやし。焦がしネギが香ばしくアクセントを加え、その美味さを引き立たさせている。
食べ終わって、以前どこかでこれに似た味を食べたことがある気がした。そうだ、渋谷の喜楽である。スープといい麺といい喜楽を彷彿させる。屋号もどちらも「楽」の字が入る。どちらも老舗だが、あるいは同じ系譜を辿るのかもしれない。
美味いラーメンに出会した時ほど幸せを感じることはない。大げさだが美味いラーメンは、一杯のどんぶりの中に宇宙のような広がりを感じる。永楽のラーメンもそんな一杯だった。
マンションの近くにあるパン屋。名前がややこしくていまだに覚えきれていない。だから我が家では「そこのパン屋」と言っている。
そこのパン屋は朝7時が開店だ。休みの朝、まだ家族が寝静まっている頃、僕はそこのパン屋でパンを買って、それから大濠公園に向かう。池のほとりのベンチに腰掛け、水鳥たちを眺めながら焼きたてのパンにかぶりつく。
こうやって僕の週末は始まる。週末はパン屋襲撃から始まっていく。
娘たちにせがまれ近くにある商店街の百円ショップに行った。買い物を済ませ、帰りに酒の肴を買おうと商店街の路地裏にある魚屋をのぞいてみた。小さな魚屋である。いつもスーパーに行くときその魚屋の前を通って行くが、立ち寄ったことはなかった。マグロとタコの刺身が美味しそうだったので買って帰ろうとしたら、パックに入った芽かぶに目が止まった。店のおばちゃんが言うには、芽かぶは今が旬らしく、この時期を逃すと食べられないらしい。おばちゃんは私に、是非食べて欲しいと言うのである。よく見ると能古島産と書いてある。おばちゃんのその「是非食べて欲しい」という一言と、能古島産の文字に惹かれ買う事にした。
能古島は博多湾の中央に浮かぶ、周囲12km、人口800人の島である。西区の渡船場から10分程度で行け、福岡ではコスモスの名所としても有名でもある。子供の時分は父に連れられ海水浴に行ったりもしていた、私にとっては思い出の島である。
井上陽水の曲に「『能古島の片想い』という曲がある。波音が静かに聞こえてきそうな名曲である。ちょっと紹介したい。
能古島の片思い 井上陽水
つきせぬ波のざわめく声に
今夜は眠れそうにない
浜辺に降りて裸足になれば
とどかぬ波のもどかしさ
僕の声が君にとどいたら
ステキなのに
つめたい風は季節を僕に
耳打ちすると逃げてゆく
時折り砂はサラサラ泣いて
思わず僕ももらい泣き
僕の胸は君でいっぱいで
こわれそうだ
遠くに見える灯りは
南へ行く船の幸せかな
悲しいだけの今夜の気持
なにかをすればまぎれると
星屑なんか数えてみても
涙でそれも続かない
君が僕の中にいるかぎり
波の声で僕は眠れない
本当なんだ
芽かぶは生姜醤油でかき混ぜ食べた。ネバネバした中にコリコリとした食感が伝わっていく。焼酎を片手にこの曲を口ずさんでみた。「南に行く船の幸せかな〜」。幸せな土曜の夜が過ぎていった。
スパゲッティという言い方自体古めかしくなりつつあるが、パスタと言うにはいささか抵抗がある。私はスパゲッティが大好きである。
私が子供の頃、町にはスパゲッティを専門に食べさせる店はなかった。喫茶店のメニューにせいぜいナポリタンとミートソースの2種類があっただけである。ケチャップがべったり付いたナポリタンに、タバスコと粉チーズをかけて食べてるのがスパゲッティの正しい食べ方だと信じていた。
写真は昨日のお昼に私が作ったトマトソースのスパゲッティである。自分で言うのも何だが、スパゲッティにはちょっと自信がある。夏場はスパゲッティのためにわざわざ唐辛子とバジルをプランタンで育てたりしている。
スパゲッティに開眼したのは伊丹十三のエッセイを読んでからである。20年以上も前の事で、その本の内容もおぼろげにしか覚えていないが、正しい食べ方や調理方法が書いてあって、それからその調理方法を真似て作るようになった。以来20年研鑽を重ね、自分でもそこそこ自信が持てるようになったのである。
上の娘がまだ幼かった頃、私があまりにスパゲティばかり作るので、「パパは将来スパゲッティ屋さんになるんだよね」と言ったことがあった。私が「会社を辞めたらしようかな〜」と答えると、娘は「ママはきっと百円ショップをするんだよ」と言った。おかしくて笑っていたら、それ以来家内はあまり百円ショップに行かなくなったのだった。
出張を終え水曜日の夜遅く帰って来た。また来週も火曜から行かなければならない。おかげでマイルがたくさん溜まった。ANAのホームページで、溜まったマイルでどこまで行けるか見てみたが、エコノミーならアメリカまで行けるようである。そのうち東京出張と女房に偽ってニューヨークまで行ってみようかと、密かな野望を抱いている。
写真は定宿となりつつある品川のホテルから撮ったものである。毎回重いカメラを持参して行くのだが、やはり出張なので写真を撮りまくる余裕は無い。ほとんど、ホテルの部屋から窓に映る景色を撮っているだけなのだが、それでもカメラがないと不安になる。持っていない時に限って撮りたいシーンに出会うような気がするのだ。
東京は躍動しつづけている。またどこかで巨大なビルが建ち、またどこかに人が流れて行く。羽田に着陸する寸前、眼下に東京を一望する時、とてつもなく大きな渦に入って行くような緊張を感じる。そんな渦に入ったり出たりを繰り返している。東京で疲れ福岡で癒され、そんな日々を繰り返している。