Wednesday, May 31, 2006

博多

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 日帰り出張で福岡に行った。朝6時に家を出て先ほど家に帰り着いた。昨年から出張が多く、おかげでだいぶ マイルが貯まった。
 写真は博多駅前の黒田節の銅像である。携帯電話のカメラで撮ったので画像が悪いが勘弁していただきたい。
 高校の頃から就職し転勤になるまで15年程博多に通った。高校に入学したばかりの頃はまだ路面電車が走っていた。確か電停がこの黒田節の銅像近くにあったと記憶している。高校生だった当時は電車賃ももったいなかったので、天神に行くのに博多駅から歩いて行っていた。
 その路面電車も昭和54年2月に廃止になり、やがて地下鉄が登場した。チューリップの曲で「夕陽を追いかけて」と言う曲がある。この曲を聴くと当時を思い出す。

 ♪ しばらくぶりの故郷は 大きな町に姿を変えていた
   体をゆすって走っていた 路面電車は今はもういない〜

路面電車が姿を消し、博多の街は福岡という都市に変わっていった。

Saturday, May 27, 2006

今宵も下北沢で

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 以前紹介したスズナリ近くのバーに、9時頃から陣取り終電まで飲んでいた。
 入れ違いで客がひとり出て行ってから、12時頃まで客は私ひとりだった。給料日後なのに客の入りが悪いとオーナーが嘆いていた。表の通りを行き交う若者の声が時折店内にも聞こえたが、ドアの開く音にはつながらなかった。
 ようやく12時過ぎに本日3人目の客が入ってきた。そろそろ終電なので、その客にバトンタッチし帰ることにした。
 一週間の締めくくりは下北沢で。来週もまた来よう、とりあえずそれまで頑張ろう。そう思いながら満員の終電に乗り込んだ。

Wednesday, May 24, 2006

丸芳露

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 またも出張で九州に行った。今回は日田と佐賀の取引先を廻って慌ただしく帰ってきた。 
 佐賀の土産に丸芳露を買って帰った。郷土自慢ではないが佐賀は銘菓が多い。福岡も最近は色々出てきたが、昔からあるのは二○加せんぺいとひよこぐらいしかない。それに比べ佐賀は、丸芳露の他に小城羊羹・佐賀錦・松露饅頭など全国的に名の通ったお菓子があり、どれもしっかりとした伝統の味を感じさせる。
 昔の話だが、私の実家はタバコ屋であるが、以前はお菓子などの食料品も販売していた。ある日、客が煙草のマルボロを買いにきて、母が間違ってお菓子の丸芳露を出したらしい。「おばちゃん、そいじゃなかバイ」客は呆れた顔して母に言ったらしいが、 まだ洋モクを扱っていなかった時分で母はマルボロを知らなかった。「ややこしか名前の煙草やね」と母が言っていたのをいつも丸芳露を見ると思い出すのである。

Friday, May 19, 2006

誕生日

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 今日44才の誕生日を迎えた。実家の母がお祝いに西瓜を送ってきてくれた。母に電話し44才になったと言ったら、もうそんなになるのかと驚いていた。
 母が44才の時、自分は幾つだったろうかと数えてみたら、なんと17才にもなっていた。友達とバイクに乗って遊び回っていた頃、母は今の自分と同じ歳だったのである。煙草吸ってパチンコしていた頃、ディスコに通い始めた頃、警察に補導された頃、母は今の自分と同じ歳だったのである。何だか申し訳ない気がした。

Sunday, May 14, 2006

母の日

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 風邪をこじらせ夜中に熱が出た。おかげで今日は一日ほとんど寝ていた。
 昼前にようやく起きてリビングに行くと、母の日のプレゼントに娘が昨日こっそり買ってきていた花がテーブルに置かれていた。 ベルフラワーという花らしい。花言葉は「感謝・誠実・饒舌」。多少は感謝しているのだろうか、そんな風には見えないけど。

Saturday, May 13, 2006

GWは遠く

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 GWが終わって一週間が過ぎた。この一週間、梅雨みたいにしとしとと雨が降り続いた。楽しかったGWは、もう遥か昔のことのように感じられる。気温が上がらない日が続いたせいか、不覚にも風邪を引いてしまった。のどがちょっと腫れているようで痛い。
 今週は木曜日に同僚と飲んだ。下北沢スズナリ近くの小さなBARで飲んだのだが、色々話しているうちにオーナーの女性が福岡出身であることがわかり、ローカルな話で盛り上がった。オーナーは若く見えたが、わたしより3つ若いだけだった。
 店の中はオーナーと私と同僚の3人。福岡出身のミュージシャンの話をしていたら、オーナーが最近海援隊のCDを買ったのでと掛けてくれた。でも、私は海援隊のCDを買ったという女性を聞いたことが無い。ファッション的にも、彼女はどちらかと言ったらロック系のイメージである。
 まず「母に捧げるバラード」が掛かり、2曲目に「思えば遠くへ来たもんだ」が流れた。東京に来て15年の彼女、誰もいない店内で時折海援隊を聴いているのであろう。

♪思えば遠くへ来たもんだ ここまでひとりで来たけれど
  思えば遠くへ来たもんだ この先どこまでゆくのやら〜

 気がつけば時刻は11時を回っていた。話は尽きないがそろそろ引き上げることにした。「また来てくださいね」とオーナーが言った。言われなくても行きます。楽しい夜だった。

Friday, May 05, 2006

海軍カレー

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 引き続き横須賀ネタなのだが、カレーライス発祥の地は横須賀らしい。日露戦争後、帝国海軍横須賀鎮守府が、英国海軍のカレー味シチューを模範に、小麦粉でとろみ付けし誕生した物とのことである。別名を”海軍カレー”と言って、今日のカレーライスのルーツになるらしく、現在も海上自衛隊では毎週金曜日にすべての部署でカレーライスを食べるらしい。
 当時のレシピを忠実に再現したという、”元祖海軍カレー”なるものを某レストランで食べた。何てことはない、ガキの頃、公民館で集会の時に食べていた粉っぽいカレーである。当時はこれでも十分に美味しかったのだろうが、今日ではちょっと物足りなさを感じてしまう。具材の肉もビーフじゃなくてポークである。
 しかし、よく考えてみれば、本来この物足りないカレーで十分美味しいのであって、飽食となった今日の我々の味覚の方がおかしいのかもしれない。過剰に濃厚さを求めてしまっているのではないか。そんな気がしないでもない。
 どうでもいいけど、食べ終わると頼みもしないのに牛乳が出された。これも海軍式なのだろうか。

横須賀

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 横須賀に行った。横須賀に行くまで知らなかったが、戦艦三笠は東郷平八郎の銅像と共に横須賀にあったのだ。写真はその戦艦三笠である。
 明治31年、日本政府はロシア帝国の極東南下を阻むため、莫大な費用を捻出し戦艦三笠をイギリスの造船会社に発注した。完成すると明治38年連合艦隊の旗艦となり、ロシアのバルチック艦隊に挑んだ。日本海海戦である。司令長官は東郷平八郎、作戦参謀は海軍史上最高の頭脳と言われた秋山真之である。この海戦に勝っていなかったら、今日の日本はなかっただろう。まさに国家の存亡を賭けた海戦だった。
 艦内に入ってみた。船首に立って海を眺めた。このデッキに東郷が立ち、秋山が立ったのである。時折風が強く吹いた。『本日天気晴朗ナレドモ浪高シ』、秋山が打った電文と同じように、晴天の中を風に波が煽られていた。

Thursday, May 04, 2006

ゴールデンウィーク

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 家族で表参道に行った。表参道一帯は最近オープンした「表参道ヒルズ」に向かう人たちでごった返していた。写真は裏原宿で撮ったブティックの看板である。別にこの店で買い物した訳ではないのだが、この顔が気になったので撮っただけである。
 また昔の話で恐縮なのだが、私が子供の頃はゴールデンウィークといえば”博多どんたく”だった。実家が商売をしていたので、家族全員で出かけることはほとんど無かったが、この日だけは家族揃ってどんたく見物に出かけたものである。
 当時はまだ天神地下街もなく、 川端通り商店街が賑わいを見せていた。市電がまだ走っていた頃で、花電車を見るのがどんたくの楽しみだった。最後に父とどんたくを見たのは、1975年大濠公園で福岡博があった年だと記憶している。私が川端通りでビックジョンのジーパンを買ってもらい、姉が「Let's it be」のLPを買ってもらった。その年以降、家族でどんたくを見に行くことはなかった。
 あれから30年が過ぎ、今は私が子供を連れて出かけている。しかし、あと5年もすれば娘達も友達と出かけることになるのだろう。でも、たまには一緒に出掛けて欲しいものである。寿司でも奢るから。