Sunday, February 26, 2006

赤福


赤福
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 言わずと知れた伊勢名物「赤福」である。岐阜からの帰り、名古屋駅の売店で2箱購入した。そのうちの1箱を、昨日知人の家におみやげに持って行った。ご夫婦とも赤福をご存知ではなかったが、奥さんはあんこ物に目がないらしく、たちまち三個ほど美味しそうに平らげた。
 私が赤福を知ったのは、小学校の頃フジテレビ系で放送されていた、十朱幸代主演のドラマ「赤福のれん」を見てからである。毎回出てくる赤福餅が実に美味しそうで、大人になったら自分も伊勢参りに行って、思う存分食べたいと子供心に思ったものである。
 社会人になって、会社の人からおみやげに赤福をもらい、ようやく口にすることができたが、いまだに伊勢神宮には行ったことが無い。いつの日か行きたいものである。

Saturday, February 25, 2006

可児


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 出張で岐阜県は可児(カニ)市に行ってきた。得意先の手伝いに行っただけで、ゆっくりする暇は無かった。唯一撮った写真は駅舎の写真一枚だけである。
 可児と言えば明智光秀の生誕の地として有名である。光秀にさほど興味はないが、光秀が江戸時代初期に徳川家康のブレーンとして活躍した南光坊天海だという説にはちょっと興味をそそられる。真偽は疑わしいが、義経=ジンギスカン説など、日本人は悲劇のヒーローにこう言う異説を作りたがる。
 仕事を終えタクシーで可児駅に向かった。駅に着いたらちょうど多治見行きの電車が来たので飛び乗った。時刻は午後5時。ラーメンの一杯も食べずにこの地を去るのを、とてももったいなく感じながら帰路についたのであった。 

Wednesday, February 15, 2006

バレンタインデー


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 写真は娘がもらってきたチョコレートである。クラスの女の子からもらったらしい。しかも5個ももらってきていた。近頃は女の子同士でやるのだろうか。娘に聞いたら、「リサは男の子みたいだからあげる。」と言ってもらったらしい。ちなみに私は3個であった。男の私より多いのである。でもよく考えてみると、ホワイトデーに娘は5人の女の子にお返しをしないといけないことになる。それもちょっと変な話である。

Tuesday, February 14, 2006

出張


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 また出張で九州に帰った。このブログを見てくれている友人たちよ、連絡しなくて申し訳なかった。日曜の一泊だけだったので実家でゆっくりしていたのだ。また今度帰った時にゆっくり飲みに行こう。
 写真は羽田空港の中で撮ったポカリスエットの広告である。記事と関連はあまりないのだが、この1枚しか撮らなかったのでとりあえずアップした。
 日曜の朝5時に起床し、8時の便で羽田を起った。離陸後ひと眠りした後、退屈だったので眼下の景色を眺めていた。飛行機は周防灘を抜け九州に入ったようだ。天気は快晴。眼下に小島が見えた。小さな港から漁船が一隻沖に向かっていた。漁港の周りには集落があって、その上に学校が見えた。のどかな風景である。
 島の家々では遅めの朝食を終え、みんなでこたつに入ってテレビでも見ているのだろうか。少年はグローブを磨き、少女は人形の髪を解いている。親父は新聞を読み、お母さんはテレビに見入っている。眼下に見える民家を眺めながら、そんな家族団らんの光景を勝手に想像していた。自分が少年だった頃の日曜のひと時を重ねて思い出してみたのであった。

Sunday, February 05, 2006

みそ煮込うどん


みそ煮込みうどん
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 名古屋の展望を楽しんだ後、栄町のみそ煮込うどん屋に向かった。きしめんとどっちにするかちょっと迷ったが、ふたりともみそ煮込みうどんを食べたことがなかったので、きしめんはまた今度の機会にすることとした。
 ガイドマップに載っていたうどん屋を見つけ店内のテーブルに陣取った。待つ事10分、店員が土鍋を運んできた。写真の鍋の上に竹筒が写っているがこれは唐辛子入れである。長さ60センチは有にある。真ん中に栓があるのだがどうやってうどんに振りかけるか分からなかった。しょうがないので店員に尋ねたら、栓を抜いてうどんの上で振ってくださいと言われた。思わず笑ってしまった。薬味入れが何でこんなに大きくなくてはならないのか、誰がどう考えても小さい方が使いやすいはずである。若手社員のE君はそのバズーカ砲みたいな薬味入れを抱え、土鍋の上で振り回した。

 薬味をかけ終わると、土鍋のふたを取り皿にして食べ始めたがかなり麺が固い。明らかに半煮えである。一旦麺を土鍋に戻しふたをしたが、周りの人たちはおかまいなしに食べている。自分たちの麺だけが半煮えではないかと思ったが、向かいの女性が食べている麺も白く半煮えのようである。若手のE君もちょっと驚いていたが、これが流儀なんでしょうねと食べ始めた。しょうがなく私も食べ始めたが薬味入れといい麺の固さといい何とも納得がいかない。食べ終えて、名古屋人の不可解さを感じたみそ煮込うどんだった。

濃尾平野


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 大阪での仕事を終え今度は名古屋に向かった。名古屋支店に夕方入り、その日の夜は名古屋で一泊した。
 翌日、同行している若手社員と二人、栄町に行ってみた。名古屋テレビ塔に登り、濃尾平野を一望したがその広さにちょっと驚いた。我が郷里の筑紫平野とは比べ物にならない広さである。聞けば関東平野に次ぐ広さらしい。
 眼下に名古屋城が見えた。尾張徳川家の居城であった城である。この尾張の地は、織田信長・豊臣秀吉をはじめ優れた武将を数多く輩出したが、ついに名古屋が首都になることはなかった。破天荒な信長にしても遷都という発想は無かったのであろう。そんなことを考えながらしばらく濃尾平野を眺めていた。

船場


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 出張で大阪へ行った。新企画の説明のために心斎橋にある取引先に若手社員と二人で行く事になったのである。
 時間があったので、心斎橋の商店街を歩いてみた。この辺りが船場という地区なのだろう、商店街の入り口に”せんば”と書かれてあった。
 船場と言えばすぐ思いつくのは、昔吉本新喜劇にいた船場太郎という役者である。吉本の中では、二枚目的な役者だったが、岡八郎や花紀京などの強烈なキャラクターの影に隠れ、あまり目立たない存在だった。唯一覚えているギャグが自分の名前を「せん ばたろう です!!」というギャグで毎回このギャグを繰り返していた。
 子供の頃、みんな毎週土曜日にある吉本新喜劇を楽しみにしてしていた。学校が終わると一目散に帰ったものである。しかし、いつしか九州地区での放送は無くなり、新喜劇の役者達をテレビで見かけることもほとんど無くなった。
 そんなことを思い出しながら、商店街を若手社員とふたり歩いた。