Monday, October 10, 2016

玉名ラーメン

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 友人と玉名の山に登り、玉名ラーメンを食べて帰った。玉名ラーメンを食べるのは実に23年ぶりのことだった。
 玉名ラーメンの歴史は、昭和27年、白濁とんこつスープを開発した久留米の中華そば屋「三九」の店主四ヶ所氏が玉名へ進出したところから始まる。店は瞬く間に評判となり、玉名にうまいラーメンがあると噂を聞きつけ、熊本市内からも客が押し寄せたと言う。その中に、後に「こむらさき」「味千ラーメン」「松葉軒」を開店し、熊本ラーメンの礎を築く若き三人の店主たちもいたらしい。
 その後、玉名「三九」は昭和31年に閉店となり佐賀へ移転することになるが、当時住み込みで働いていた十代の従業員が味を引き継ぎ、閉店の翌年、玉名に「天琴」を開店させる。さらに、その「天琴」の従業員が「大輪」を開店させ、その味は玉名ラーメンとして確立されて行く。

 一方、佐賀に移転した「三九」から、従業員が「一休軒」を開店させ、その味に惚れ込んだ男が修行をし、「一休軒鍋島店」(現在の「もとむら」)を開店させる。こうやって久留米ラーメンは、四ヶ所氏の弟子たちによって九州一円に普及して行ったのである。
 残念ながら佐賀の「三九」は平成25年に火災で閉店を余儀なくさせられ、そして四ヶ所氏も今年7月その88才の生涯に幕を下ろした。もし、四ヶ所氏がいなければ、現在のような久留米ラーメンの普及はなかったかもしれない。

 今日、チェーン店を広げ事業としてラーメン屋を展開していく有名店が多いが、そんな中で、師匠から弟子へ、そしてまたその弟子へと四ヶ所氏のラーメンは受け継がれて行った。氏の弟子たちが伝道師となって、九州一円に久留米ラーメンを普及して行ったのである。
 住み込みで叩き込まれ、修行してようやく一人前になって九州各地に散って行った男たちが作る魂の一杯に、強くロマンを感じるのだった。




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