Saturday, February 05, 2011

博多にわか



 今日、博多の町中まで行って、「博多にわか」を観た。「博多にわか」とは、お面をつけた男が博多弁で世相を即興で風刺する、漫才のようなものと理解していただきたい。原則としてオチは同音異義語で落とすようである。これだけではピンとこないだろうから、とあるサイトに載っていたにわかを紹介したい。 

 題:大学入試

 「アンタんところは、今年は大学受験じゃなかな。どことどこば受けるとな。」
 「国立だけじゃろうや。一向(一校)に知らんバイ。」
 「そらァ、一校じゃいかんバイ。すべり止めに二校は受けさせない。」
 「有難う。参考(三校)にしとこう。」

 このようなショートコントを一人あるいは二人の掛け合いで行う。脇では三味線の間の手が入り、5・6人の男衆(基本的には素人のようである)が入れ替わりに出て来て、こんな漫才を繰り返す。その洒落自体は爆笑を呼ぶものではないが、これを演じる男衆の、何とも言えぬとぼけた感じが良い。言葉で笑わされるのではなく、その雰囲気で笑わされてしまう。そこに、お笑いの本質があるような気がする。それに、今ではあまり聞く事もなくなった、正調博多弁も懐かしい。
 お題は社会風刺をテーマとしたものが多いようだが、いかに深刻な話題であっても、このとぼけたお面をつけて喋られると思わず笑ってしまう。逆を言えば「博多にわか」は、深刻な話題を敢えて笑い飛ばそうとしているような気がする。色々悩んだり悔やんだりすること自体、馬鹿馬鹿しいことではないかと、人生を達観あるいは俯瞰しているような感じを受ける。
 これは恐らく「博多にわか」の特性ではなく、博多人の、いや、九州人の思想的特質だろうと思う。観終わって、そんな事を思いながら中洲川端の駅まで歩いた。九州人はそんなお気楽な民族なのだと思ったのだった。



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2 comments:

walkstyle017 said...

博多にわか、面白そうです。
落ちをつくるのが苦手な私には、うまいなーと感心してしまいます。
深刻なことも笑い飛ばすというのは、大事な文化だと思いました。

bonkley said...

馬鹿馬鹿しくて、間抜けで、それがほのぼのとして良いです。笑い飛ばすと言うのは、生きてく上で必要なのかもしれませんね。