Sunday, September 24, 2006

ミッキーのコップ


 ミルクセーキを作ったら、必ずこのコップで飲む。

 私はグリーン、妻はオレンジ。上の娘がブルーで
下のがイエロー。

 たくさん入ってカラフルで、なかなかみんな気に入っている。


梟のバー

 最近、その店に良く行く。店名を覚えていないのだが、場所は下北沢の南口から庚申塚に向かって、途中の路地を右に入った辺り。私は元来道を説明するのが下手だから私の説明ではほとんど分からないと思うが、大体その辺である。
 入り口に写真の梟のライトが置いてある。薄暗い店内にはウイスキーなどのアルコールに関する書物がずらりと並べてあり、マスターの勉強熱心さがうかがえる。
 席に着くと、まずデミカップにコンソメスープかポタージュスープが出される。スープの入った鍋は直火に当てず、湯煎されているところに店主のこだわりが感じられる。まずはスープを1杯、気分がゆっくりと落ち着いていく。
 そして1杯目を注文する。何でもいいのだがカクテルを注文するといい。それはマスターのシェカーを振る姿が素晴らしいからである。何と形容したらいいのだろう。剣道の達人が素振りをしているような、無駄の無い動作に素早い動きで店内に緊張感が立ちこめ、客は会話を中断し見入ってしまう。見事である。この間はみんなに拍手喝采を浴び、マスターは恥ずかしそうにしていた。
 無駄な物は一切無いし手抜きも一切無い。バーテンダーとしてのマスターは会話ですら無駄と考える。「いらっしゃいませ」「もう1杯いかがですか」そして最後には「いつもありがとうございます。またお越しください。」と言ってドアを開け見送ってくれる。マスターと交わす言葉はこの程度である。
 賑やかなバーも良いが、本来のバーはこうでなければいけない。ゆっくりと時間が過ぎて行き、時が経つのを忘れてしまう。おかげでいつも終電に乗り遅れてしまい、重い腰を上げドアを開けると、いつも梟が見送ってくれるのである。    

 

Saturday, September 23, 2006

秋空


 ずっと、このままでいてくれないかな・・・

電球

 

 電球は、自分が照らし出す団欒が好きなんです。

 

Monday, September 18, 2006

Sunday, September 17, 2006

海辺

 海を見に行った。半年ぶりに浜辺を歩いた。場所は三浦海岸。さすがに泳いでいる人はもういなかったが、釣りをする人、乗馬をする人、それから地引き網をする人達までいて、それぞれがそれぞれに海辺での休日を楽しんでいた。
 前にも書いたが以前海辺の町に住んでいた。休日、よく娘たちを連れて浜辺を散歩した。海の表情は四季さまざまだが、私は冬の海が好きだった。海風は刺すように冷たく、波は荒いが、海の碧はより深い。見つめていると、その深い碧に吸い込まれそうになるのである。そんな深淵な冬の海が私は好きだった。   

Saturday, September 16, 2006

東京ミッドタウン


  雲にぶつかりそうです。東京ミッドタウン  

 

Tuesday, September 12, 2006

Sunday, September 10, 2006

コーラ

 吉祥寺のとあるカフェで久しぶりにコーラを飲んだ。いつもならアイスティーにするのだが何故かコーラを無性に飲みたかった。
 レギャラーサイズの瓶のコーラと、氷とレモンが入ったグラスとを別々にウエイトレスが持って来て、私はグラスにコーラを注いで飲んだ。
 瓶入りコーラを久しぶりに見た。私の実家もコーラの販売をしており、私が小さい頃は180mlのレギュラーサイズと500mlのファミリーサイズの2種類の瓶入りコーラが売られていた。当時レギュラーサイズのコーラが35円でファミリーサイズが50円だったと記憶している。ファンタのレギュラーサイズもあったが、何故かコーラより5円安く30円で販売されていた。
 その後コーラは缶入りが主流となり、ペットボトルのコーラが発売されるようになると、瓶入りコーラは町の商店からは姿を消し、飲食店でしか見かけなくなった。
 19才の時、交通事故で入院した事があるが、その時東京から帰省していた友人が、東京土産だと言って復刻版のビンテージボトルのコーラを見舞いに持って来てくれた。しばらくそのボトルを部屋に飾っていたが、いつの間にかそのボトルもどこかへ消えてしまった。その友人ともその後会っていないが元気にしているのだろうか。もう20年以上も昔の話である。


AUDREY HEPBURN


 ヘプバーンは、アンネ・フランクと同い年らしい。

  

Saturday, September 09, 2006

視線


 何を見てるんですか?

ジェロニモ

 下北沢の雑踏の中で、ジェロニモはいつも空を見上げている。本当はジェロニモじゃないかもしれないが、インディアンと言えばジェロニモ。ハワイアンと言えばカメハメハしか知らないので、ジェロニモということにしておこう。ジェロニモは何か言いたげにしている。
 知らなかったが、インディアンという呼称は今では差別用語になっているらしく、ネイティブ・アメリカンと言わなければいけないらしい。
 しかし、そもそも「アメリカ」と言う地名自体が、先住民からしてみれば白人たちが勝手につけた後付けの呼び名であり、先住民にとって屈辱的な差別用語であるという見解が先住民の中にはあるらしい。差別用語としてしまった事で逆に差別を引き起こし、本末転倒な話になっているのである。
 以前妻が「インディアンの教え」という本を買って来た。日本でもインディアンの精神文化がちょっとしたブームになったようだ。そんなインディアンの教えの中で、大変気に入った言葉があるので紹介したい。

 あなたが生まれたとき、周りの人は笑って
 あなたは泣いていたで しょう。
 だからあなたが死ぬときは、あなたが笑って
 周りの人が泣くよう な 人生をおくりなさい。

インディアン、なかなかいい事を言ってくれる。インディアン、嘘つかないのである。

Monday, September 04, 2006

毛氈

 北澤八幡の茶屋で抹茶を飲んだ。

 毛氈の上で抹茶を飲んだ。

 毛氈の赤がきれいだったので

 扇子を広げ置いてみた。

 それから、タバコとライターを並べてみた。

 それから、FRISKも並べてみた。

 秋の日に、北澤八幡の茶屋で少しばかり遊んでみた。

 

ブタの水鉄砲

 1年前までお風呂で活躍していたブタの水鉄砲が庭に捨てられていた。この水鉄砲が活躍していた頃まで、私も娘たちと一緒にお風呂に入っていたが、今はもうそれもない。
 煙草を吸いながら、このブタの水鉄砲を眺めていたら、なんだか同情してしまった。自分もブタの水鉄砲と同じ境遇なのかもしれないと思うと悲しくなったのであった。

Sunday, September 03, 2006

Saturday, September 02, 2006

歩道


 北澤八幡のお祭りに出掛けた。お昼頃神社に行ってみたら、まだお祭りは準備中だった。しょうがないのでお祭りが始まる時刻まで、スズナリで芝居を見て時間を潰すことにした。
 茶沢通りの奥に平行して通っている歩道を、スズナリ方面に歩いた。芝居を見終わり、今度はその歩道を北澤神社に向かって歩いた。写真は歩道の壁面にチョークで書いてあった落書きである。子供が書いたのだろうか。人間かロボットか分からないがおもしろかったので写真を撮った。五つのブロックに描かれている落書きに、何だかストーリーがあるような気がした。
 さらに歩道を進んだ。神社の方からお囃子が聞こえてきた。時折吹く風はもう涼しく、空の雲は高かった。秋の気配を感じさせる、そんな穏やかな休日であった。  

夏の終わり



 夏は終わった。

 おしまいを告げるように昨日雨が降った。

 火照った身体を冷ますように雨が降った。

 楽しかった夏は終わった。

 暑かった夏は終わった。