写真を撮っていたら何人かの人に話しかけられ、事件について尋ねられた。「誰が、何故そんなことをするのでしょうか?」無論私が知る由もない。屈折した心の持ち主がやったのだろうとだけ答えた。春先にもチューリップが刈り取られるという事件があったが、同一犯によるものと推測される。
近年、秋葉原の殺傷事件を始め猟奇的な事件が多い。自分の存在価値を見いだせない若者が暴発し、彼等に何ら関わりのない人にも矛先を向け、その有り余るストレスの捌け口としている。何ともやるせない気分になる。どうしてこんな世の中になってしまったのだろうと嘆くばかりである。
彼等は自分だけが不幸の淵にたっていると思い、成功している人、幸せに生きている人たちへ逆恨みしているような感を受ける。決定的に履き違えているのは、自分の不幸を人のせいにしてしまっていることだと思う。確かに恵まれない環境で育った、同情すべき境遇の人もいるかもしれない。しかし、不平不満だけを抱えて生きていても、何ら事態は好転しない。
おもしろき こともなき世を おもしろく
すみなすものは 心なりけり
これは、高杉晋作の辞世の句である。下の句は高杉を看病していた野村望東尼が付け加えたとされているが、私はこの句が好きである。面白くない世の中を唯一面白くできるのは、自分であることに気付いて欲しい。
来年の夏、ひまわりのつぼみを刈った犯人が、ひまわり畑の前で立ち止まり、水をまき、そして雑草を取ることに期待する。きっと彼(あるいは彼女)の心の中にもそんな気持ちがあるはずである。
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