Sunday, May 27, 2007

運動会

 今日は小学校の運動会だった。上の娘はもう6年生になるが、運動会を観に行くのは今回が3回目である。仕事の都合で観に行けない年が続き、実に3年振りの運動会だった。
 運動会は秋の代表的な行事だったが、今では春の行事になりつつある。娘は3回小学校を変わったが、すべて春に運動会が行われた。
 私が小学生だった頃は、お昼のお弁当のデザートはりんごや梨や茹でた栗が定番であったが、それも今ではサクランボやオレンジなどにその役を譲りつつある。
 娘たちは、サクランボを食べると運動会を思い出す事になるのだろうか。季節柄しょうがないが、ちょっと淋しい気がする。

Saturday, May 26, 2007

ゼリー

 家内の妹がゼリーを買って遊びに来た。

 涼しげで清楚で、ちょっとそのゼリーに見とれてしまった。

 口にすれば少しばかりお酒の味がして、とても上品な美味し

 さである。

 いつでも遊びに来ていいから、また買って来ておくれ。

Friday, May 25, 2007

憂鬱

 妻が浮かぬ顔をしている。東京が恋しいのだと言う。
 あれほど福岡に帰りたがっていた妻。郷里の福岡を自慢していた妻。帰ってみたら、何かが違っていた。望郷の思いは、いつしか記憶を美しく変えてしまっていたのだろう。
 テレビに東京の街が映し出される度、妻は懐かしそうに見つめている。遠い昔のことのように。 

Sunday, May 20, 2007

誕生日

 昨日、45才の誕生日を迎えた。早いものだ、四捨五入すれば(する必要は何もないのだが)もう50代である。
 もう10年以上前の事だが、会社のおばさんに手相を観てもらった事がある。私が頼んだわけでもないが、観てあげるから手を出せと言われ、おばさんに両手を差し出した。するとおばさんは、私の掌の皺をしげしげと見つめ、さらりと「38才で死ぬね」と言い放った。
 当時上の娘が生まれたばかりだった。いくら何でも38才で死ぬわけにはいかない。呆気にとられているとおばさんは、手相は変わるものであり、その相も消える可能性が高いと付け加えた。
 今、こうやって生きているから、その相はいつの間にか消えたのだろう。確かに死にはしなかったが、その年は自分にとって試練の年だった。手相を信じていたわけではないが、その事がずっと頭の片隅にあった。
 38才最後の夜、テレビを見ながら私は12時が過ぎるのを待った。ようやく日付が変わった時、ほっと胸を撫で下ろした。家族は寝静まっていた。ひとりその喜びを噛み締めテレビの画面を見つめていた。

Sunday, May 13, 2007

母の日

 母の日の今日、夕食にカレーライスを作った。
 娘に「ママのために作ってあげて」と言われ作った。ケーキもカーネーションも私が買って来た。ふと、母の日は、世の中の実体としては妻の日じゃないかという気がした。
 でも、みんなおいしいと言ってくれた。まあいいか。

Saturday, May 05, 2007

自転車に乗って

 気が付けばGWも明日まで。後半は天気に恵まれず、今ひとつ盛り上がらないまま、またいつも通りの日々が帰って来ようとしている。
 話は変わるが、最近休日は自転車に乗って街中をブラブラ探索している。カメラを首からぶら下げ、大濠公園から護国神社〜赤坂〜薬院付近の写真を撮ったり、美味しそうな店を探すのは結構楽しい。
 川崎に住んでいた頃は、自宅付近に坂が多く、自転車に乗ることはなかった。久しぶりに平地に住んで、自転車の便利さ、気持ち良さを痛感している。
 福岡の街中をひと通り回り終わると、最後にまた大濠公園に戻りベンチに腰を下ろす。ちょっと前までいた家族連れや学生たちはもういない。公園はひっそりとその表情を変えている。
 夕暮れの中、ジョギンクしている人がいる。夕陽を見つめている老夫婦がいる。語らいながら歩くカップルがいる。そんな風景を眺めながら、煙草をくゆらす。何でも無い一日が静かに終っていく。

Thursday, May 03, 2007

どんたく



 十年振りにどんたくを見に行った。でも、娘たちは花自動車を喜ばなかった。多分ディズニーランドのエレクトリカルパレードの方が奇麗だと思ったのだろう。ちょっと淋しい気がした。

 ぼんち可愛いや寝んねしな

 品川女郎衆は十匁

 十匁の鉄砲玉

 玉屋が川へスッポンポン