Sunday, March 07, 2010

とある一杯の記憶

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 福岡の小都市に1軒のラーメン屋があった。私が生まれ育ったあたりでは、ラーメンと言えば久留米ラーメンの濃厚な豚骨スープしかない時代に、その店のスープはどこのラーメン屋とも違う、どこか上品で繊細な豚骨スープだった。そしてトッピングの唐辛子のタレが不思議とそのスープに合っていた。
 私たちはそのラーメンに魅了され、足繁く通った。店主はあご髭を生やし、おかみさんは黒縁のメガネをかけ、引っ切りなしに来る客を毎日捌いていた。夕方遅くに行くと、もう麺が切れていて、食べずに引き返したことも何度もあった。
 ある時、友人三人と行った時のこと、私の前に出されたラーメンを奥の友人に回そうとして怒られたことがあった。
「そのラーメンはお前用に作ったのだから、お前が食べろ。」と店主が言った。
ひとりひとりの顔をみて、味加減を調整していると言うのである。驚いて、友人のどんぶりを覗き込むと、微妙にスープの色が違う。ひとつとして同じラーメンは出していないのだと、おかみさんに言われた。それくらい一杯のラーメンを端正に作られていたのである。
 それからその店はご夫婦が高齢のため、会員制にして客を限定し商売をされていたが、やがて廃業された。その屋号・味を承継した店が、今では全国的に有名になり、東京にまで出店している。今日娘と、その流れを汲む市内のとある店に行って食べた。確かに似ているが、何かが違う。決定的な何かが違うのである。レシピは正確に伝授されたのだろうが、それは、ビジネスとして承継されたのであり、師弟関係になかった承継者には、料理人としての魂までは伝授されなかった。恐らくは、その一杯に注ぐ愛情が違うのだろうと思う。
 あれから20年以上の歳月が過ぎた。時折、その承継されたラーメン屋へ行って食べることがある。あの頃を思い出しながら麺を啜る。おかみさんに怒られたことを思い出しながら、時折食べている。




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