Sunday, December 24, 2023

とあるBarにて

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  誰かと話したくて、人はバーに行くんじゃないですか。
  酒は饒舌になるための潤滑油であり、カウンターはトークショーのステージであり
  さしずめあなたは黒柳徹子なんじゃないですか。




Tuesday, December 19, 2023

画伯のこと

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 画伯と初めて会ったのは新緑がまぶしい初夏の四王寺の森の中だった。女房と二人山頂を目指している途中道に迷っていると、初老の男性が一人ゆっくりと登ってきて、私たちに道を教えてくれた。
 その男性はこの麓に住んで絵を書いていると言って私に名刺をくれた。主に九州の里山の風景を書いているらしく、今度個展をする際は案内状を出すのでぜひ来てくれと言われ、名前と住所を交換した。以来我が家では彼を画伯と呼ぶようになった。それから半年後、画伯から個展の案内状が届いた。会場は太宰府のとある喫茶店。先日、女房とふたりでその店に行ってみた。

 お店につくと画伯はカウンターの奥に座っていた。私が挨拶すると画伯は立ち上がり、会場内の絵をひとつひとつ説明してくれた。阿蘇、九重、由布岳、それに富士山の絵もあった。写真は購入した画集に載っていた阿蘇五岳の風景である。観音様が寝ているように見えることから、「寝観音」とか「涅槃像」とか言われる風景であり、私の大好きな風景である。

 画伯は3人兄弟の長男で、二男は版画家、三男は家具職人と三人とも芸術家らしい。二男の作品をスマホで検索して見せてくれたが、画伯と同じように里山の風景や古民家を題材にした作品で、画伯の絵と同じ風情を感じる。私も姉と嗜好が似ていて姉弟であることを実感することがあるが、画伯の絵と弟の版画にも明らか似た穏やかな空気を感じた。

 画伯と小一時間話しをして会場を後にした。また今度、四王寺の森の中で画伯に会えるような気がしたのだった。





Tuesday, December 12, 2023

釜揚げうどん

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 宮崎は釜揚げうどんで〆る。午後10時、通称ニシタチと言われる繁華街のスナックで飲んだ後、N君に先導されうどん屋に行った。宮崎人はうどんで〆ると聞いていたが、有名なうどん屋はどこも列が出来ていた。その列に並んで順番を待つ。20分ぐらい待ってようやく席に案内された。

 メニューは釜揚げうどんと釜揚げうどん卵入りの2種類にいなりだけ。何とも潔いではないか。ようやく釜揚げうどんが運ばれてくる。写真がその釜揚げうどんである。博多のうどんに比べると麺はかなり細く、五島うどんのようである。奥のテーブルで職場の飲み会の帰りと思われるグループの若い女性が、「美味しい!このつゆに浸かりたい!」とか言っている。つゆは少し甘めで小ネギと細長い揚げ玉、それに柚子の皮が入っており、やさしい味付けである。

 聞くところによると釜揚げうどんを出すお店は宮崎市近郊で100軒以上あるらしい。宮崎は地理的に四国に近く、江戸時代から交流があり、明治以降に四国から多くの移住者が移ってきたために、うどんが食文化として根付いたらしい。日向灘を渡って四国から伝わった釜揚げうどんに心もお腹も満足してホテルに帰ったのであった。



Sunday, December 10, 2023

日南海岸

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 先週、会社の仲間と宮崎までドライブした。九州自動車道を都城まで走り、一泊二日で都井岬、日南、宮崎、高千穂、南阿蘇を回って帰ってきた。同じ九州ではあるが宮崎は遠い。宮崎を訪れるのは実に35年ぶりだった。

 仲間のN君が以前宮崎にあった支店に勤務していたので、N君の運転で宮崎県を南から北上するように走った。35年の間に新しい道路も出来たようである。所々にトンネルが掘られ、沿岸の道路もショートカットされていたが、時々、車窓に広がる見覚えのある景色に、若かった頃のことを思い出した。
 高校二年生の夏、友人と三人で汽車に揺られて油津駅まで行ったこと。高校を卒業して友人4人と夜通し車を運転し、たどり着いた日南の浜辺で朝日を浴びながら泳いだことなど、どれも思い出深い。その頃からすると40年以上の時が経っている。日南の海を眺めながら、遠い昔を思い出したのだった。



 

Thursday, December 07, 2023

Monday, December 04, 2023

笹川にて

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 銚子に向かう途中、JR成田線の笹川駅で途中下車した。笹川は千葉県香取郡東庄町にある町で、天保水滸伝の話はここ笹川を中心に繰り広げられる。

 天保水滸伝は、天保から嘉永にかけて下総一帯で繰り広げられた飯岡助五郎一家と笹川繁蔵一家の抗争の話であり、主人公の笹川繁蔵はここ笹川の侠客である。講談や浪曲で有名な演目であり、私は特に「笹川の花会」の演目が大好きである。銚子電鉄に乗りに行く計画を立てていた時、笹川を通ることに気づき旅の訪問先に加えたのであった。

 笹川駅から歩いて15分ほどで諏訪神社の境内にある天保水滸伝遺品館にたどり着く。ここには、笹川繁蔵が愛用していたキセルや三度笠、剣客平手造酒が使用した手鎗に徳利などの他に、重要文化財として保存されている古文書などが展示され ている。
 職員に従って館内に入ると、パンフレットと観光案内が入ったクリアファイルを渡された。私が一眼レフを肩からぶら下げているのを見ると、撮影は自由、バンバン撮ってSNSやYou Tubeにアップしてくれと言われる。
 職員の簡単な説明を聞いた後に、なぜ、江戸からも遠く離れ、また、銚子港までも距離のある小さな農村に侠客が集ったのかを聞いてみた。職員の方はすこし考えた後に、もともとこのあたりは幕府直轄地や大名、旗本の小規模領地が複雑に入り組んでおり、この一帯の取り締まりが緩やかだったからではないかと言う。
 職員の方はそう説明した後に、ただ彼らは弱きを助け強気をくじく任侠の徒であり、今のヤクザとは違うんだと熱く語られた。そう説明してくれる職員の方の風貌が色黒で頬骨高く背丈もあり、侠客のように見えて仕方なかったのである。

 遺品館を後にして近くのお寺にある笹川一家三人衆の碑に手を合わせる。お腹もそろそろ空いてきた。近くの高橋食堂で昼食を取り、最後に演目「笹川の花会」の舞台となった宿屋「十一屋」跡を見ることにする。写真がその高橋食堂の半チャンセットである。ベーシックな醤油ラーメンにチャーハン。そして小さな冷奴が付いていた。

 お腹いっぱいになって、食堂からほど近い「十一屋」跡に立つ。ここに関東一円の親分衆が集まって花会(親分衆が集まって行う賭場のこと)が行われたのかと思うと身震いがする。ここで繰り広げられた茂蔵の侠気、そしてその後悲運を遂げる笹川一家に思いを馳せて、笹川の地を後にしたのだった。


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(十一屋)


Tuesday, November 28, 2023

銚子電鉄

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 東京へ行ったついでに銚子まで足を伸ばし銚子電鉄に乗ってきた。写真は銚子電鉄本社がある仲ノ町駅のホームで撮ったものである。指差し確認を行う駅員さんの真剣な表情に魅せられてしまったので、アップさせてもらった。

 ご存じの方も多いと思うが、銚子鉄道は1998年に親会社が債務超過で倒産し経営危機を迎える。2004年には当時の社長の業務上横領が発覚し補助金の支給が停止され、さらには国交省から業務改善命令が出され、何度も廃線の危機を迎えるがその度に苦難を乗り越えてきた。

 経営危機を救ったのは、1995年から始めたぬれ煎餅や、自虐的に「マズいです!経営状況が・・」をキャッチフレーズにした「まずい棒」などの食品販売らしいが、根底は彼のような一所懸命に頑張った社員たちのひたむきな努力だったのだろう。その社員たちの姿に地域住民や全国の鉄道ファンたちが心を動かされ、支援の手を差し伸べたのではないだろうか。二日間銚子電鉄に乗り、最後に彼の指差し確認を見てそう実感し、清々しい思いで駅を後にしたのだった。



Saturday, November 25, 2023

上京

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 木曜日から東京に来ている。私より数日前に女房が上京し、私は木曜日の朝の飛行機で東京に向かった。その日の夜、豊島園駅でとしまえん跡地にできたハリーポッターのスタジオを満喫した女房と娘二人、そして姪と落ち合った。 
 実に姪と会うのは10数年ぶりであった。いろんな事情があって姪とは会えていなかった。姪は私を見るなり涙ぐみ、私も目頭を熱くして再会を喜んだ。
 みんなでスターバックスでコーヒーを飲みながら、昔話に花を咲かせる。姪から近況を聞き、元気そうにしていたので安心した。
 
 幼い頃一緒に遊んだ娘たちが、今、大人になってそれぞれに上京し、東京で連絡を取り合い再会している。そのことが父親として叔父としてとても嬉しく思う。これからも従姉妹同士、東京で助け合って生きてほしいと切に願ったのだった。





Saturday, November 18, 2023

シベリア菓子

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 シベリアというお菓子をご存知だろうか?シベリアは羊羹をカステラで挟んだお菓子で、昭和初期に全国的に人気を博したお菓子らしいが、製造に手間がかかるため、今では販売する店も少なくなっているらしい。
 シベリアは明治末期に東日本から中部地方で広まったらしく、九州ではほとんど見かけることがないが、2019年に佐賀の老舗和菓子店「村岡総本舗」が三越伊勢丹のバイヤーから打診を受け製造を開始。写真はその村岡総本舗のシベリアである。昨日、博多駅のデパートで見かけたので買って帰った。味はともかくこのパッケージが素晴らしい。クリスマスを連想させる色使いに伝統とモダンさを感じさせる。

 名前の由来は諸説あるようである。羊羹の部分がツンドラの雪原を走るシベリア鉄道に見立てられたという説。氷と凍土が層になったシベリアの凍土の断面に似ているという説。川崎市のホームページには、乃木将軍がシベリアの戦場へ出征する際に、上野のパン職人が甘党の将軍のためにカステラに羊羹をサンドしたものを考案し、乃木将軍がとても気に入ったと言う説も書かれている。個人的にはこの乃木将軍説を支持したい。シベリアの極寒の地で寡黙な乃木将軍がストーヴの前で「シベリア」を食べ、頬をゆるませている姿を想像するとなんだか嬉しくなってくる。

 いずれにしろ羊羹が挟まっているからシベリア地方発祥のお菓子ではないだろう。シベリア地方の人はまさか日本に「シベリア」なるお菓子が存在するとは思いもしないだろう。シベリアは和洋折衷の謎のお菓子なのである。




Thursday, November 16, 2023

多門櫓にて

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 とある秋の日、多門櫓で女房とJazzを聞きました。





Wednesday, November 15, 2023

カレーライス


 先週の土曜日、実家に帰り母を連れ出して朝倉までドライブした。運転は姉で助手席に母、私は後ろのシートに座り電子タバコを燻らせながら、秋が深まる朝倉の田園風景を眺めて喜んだ。
 写真は朝倉の三連水車からちょっと山間に入ったところにあるカフェで食べたカレーである。家庭で食べるような昔ながらのカレーで美味しかったのだが、じゃがいもの代わりに大きな林檎が入っていた。写真の手前に写っている一見じゃがいものような塊が実は林檎なのである。じゃがいもと思って口に放り込んだら林檎だったのでびっくりした。

 話は変わるが遠藤賢司のカレーライスという曲がある。発売は1972年だから今から50年以上前の曲である。彼女が作ったカレーを二人して食べるだけの他愛もない歌詞で、いわゆる「四畳半フォーク」と言われる種類の曲なのだが、私はこの曲が好きで、年に数回思い出したように聞いている。四畳半の中に充満する幸せ感がたまらないのである。
 そんな他愛もない歌詞だが一箇所だけ気になるところがある。歌詞の一部を抜粋する。

 猫はうるさくつきまとって
 私にもはやくくれニャァーって
 うーん とってもいい匂いだな
 僕は寝転んでテレビを見てる
 誰かがお腹を切っちゃったって
 うーん とっても痛いだろうにねえ
 カレーライス
 
 「誰かがお腹を切っちゃったって」この部分なのだが、これは三島由紀夫の割腹自殺のことのようである。「うーん とっても痛いだろうにねえ」とその行為に懐疑的なことが見て取れる。この事件は私が小学校に上がった頃で、家に帰ってテレビを点けると、どのチャンネルもこのニュースばかりを放送していたのを覚えている。なぜ死ななければいけなかったのか、遠藤賢司氏も疑問に思ったのだろうと思う。
 ここからは私の推測だが、恐らく最初はこの箇所には違う言葉が入っていたのではないかと思う。日常を描写しただけの、ほのぼのとした歌詞が書かれていたのではないかと思う。
 何か物足りなさを感じた遠藤賢司は、この二行を三島由紀夫の死について書くことを思いつく。叙情詩の中に叙事詩的なスパイスを入れることにより、歌詞に思想的な脊柱を入れたのではないだろうか。
 四畳半のアパートで彼女がカレーを作っていて部屋中にカレーの香りが充満している。それだけで幸せじゃないか、何も死ぬことはないじゃないか、と遠藤賢司は言いたかったのだろう。その死に何の意味があるのかを遠藤賢司は深く考えたのだろうと思うのであった。



Wednesday, November 08, 2023

少女と力士

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 九州場所で福岡入りした相撲取りたちに、少女がルービックキューブをやってとせがんでいる。
 微笑ましい光景をありがとう。



  

山芋鉄板

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 山芋鉄板は福岡の居酒屋でよく見かけるメニューである。聞くところによると博多の屋台が発祥らしく、隠れた福岡B級グルメである。
 作り方は簡単、すりおろした山芋と卵、そして、小麦粉・だし等を加えかき混ぜて焼くだけである。具材が入っていないお好み焼きをイメージしてもらえればいいが、決定的に違うのはそのふわふわ感である。お好み焼きでは重たすぎるが、山芋鉄板なら酒の肴としてちょうどいいのである。

 それから山芋鉄板は鉄製のフライパンのような鍋で供される。別にフライパンで作って皿で出して良いのだろうけど、そうすると「山芋鉄板」とは言えず「山芋焼き」みたいな名称にしなければならなくなり、何だか重厚感が失せてしまう。土鍋で出さない鍋焼きうどんが無いように、鉄鍋で出さない山芋鉄板はないのである。
 ごちゃごちゃ書いてしまったが、もし、福岡の居酒屋で飲むことがあったら是非食べてもらいたい。山芋鉄板は福岡の居酒屋のテッパンメニューなのである。



Saturday, November 04, 2023

唐津くんち

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 昨日、唐津くんちに行ってきた。写真は一番曳山、刀町の赤獅子である。文政2年(1819)に製作された曳山で、14体ある曳山の中で最も歴史のある曳山である。
 以前、転勤で唐津に一年ほど住んだことがある。今から20年以上前のことになるが、上の娘が小学校に上がった年だった。家族で宵山から見に行き、唐津の町中を曳山を追いかけ歩いた。唐津に転勤になる前長崎に住んでいたが、長崎くんちとはまた違った勇壮な曳山に魅せられたのだった。

 唐津に引っ越しして2年目の夏に突然東京転勤を命じられた。初めての東京勤務。まったく土地勘もない中、知人の勧めで小田急線沿線のとある町に新居を借りることにした。慣れない東京暮らし。家内はまったく友人もおらず、話し相手になってくれる人もいない。気丈な女房だが、引っ越して1ヶ月も経たない内から九州に帰りたいと言い出した。

 そんなある日、回覧板が回ってきた。回覧板には今度の日曜日に曳山まつりが町内で開催されると書かれてあった。気になって回覧板を読むと、佐賀県唐津市に伝わるお祭りが由来だと書かれている。お祭りの主体となっているのは久敬社塾という学生寮で、旧唐津藩主・小笠原家を中心に在京唐津人の勉学向上を目的として明治時代に創設され、この塾が町の自治に貢献したらしく、塾生たちが郷里を懐かしみお祭りを始めたと回覧板には書いてあった。偶然とは言え、何だかこの町に誘われてきたような不思議な気がした。

 翌週の日曜日の朝、お隣の家族と一緒にその塾に向かった。塾に近づくに連れ唐津くんちのお囃子の笛の音が聞こえてくる。ようやく塾に辿り着くと、この刀町の赤獅子が宿舎の前に鎮座していた。
 家族四人で赤獅子を見上げる。お囃子の笛の音の中しばらく呆然となる。女房が嗚咽を上げて泣いている。「よく来たな。心配するな。」とこの赤獅子が私たち家族に言ってくれたような気がしたのだった。




Sunday, October 29, 2023

豚バラの焼き鳥


 写真は豚バラの焼き鳥である。近所の焼き鳥屋で撮ったものだが、肉厚といい飴色の焼き加減といい見事である。ご家族で営まれている小さなお店で、店内はいつも常連客でいっぱい。このあたりの住民から愛されている焼き鳥屋である。

 九州、こと福岡に至っては焼き鳥と言えば豚バラであり、焼き鳥屋で豚バラを頼まない者はいないだろう。最近はぐるぐるに巻いた鶏皮が博多の名物みたいにもてはやされているが、はっきり言って邪道である。王道は豚バラなのである。この豚バラに一味唐辛子をかけて食べるのが福岡の流儀であり、そして脇には酢だれがかかったキャベツが添えられる。
 東京にいた時分に驚いたのが、焼き鳥屋に豚バラがなく、その代わりに「焼きとん屋」なるものが存在すること。そして焼き鳥に唐辛子ではなく練からしをつけて食べることだった。

 春先、中途採用した男性社員が東京から出張で福岡に来た際、会社近くの居酒屋に連れて行った。店に入り餃子やニラ玉などと一緒に豚バラを注文したが、彼は豚バラだけは手を付けなかった。東京人の彼からすれば豚の串焼きは獣臭く、もしかするとジビエ料理に近い位置にあるのかもしれない。
 しかしながら彼は、最後に注文したとんこつラーメンは、「美味いですね~、東京に帰るまでにもう一回食べたいです。」と嬉しそうに言ってのけた。とんこつラーメンの獣臭はOKなのだった。



Wednesday, October 25, 2023

焼きサバ

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  会社の喫煙所で若手社員のTが私に話しかけてきた。「最近、焼き魚にハマってるんですよ。子供の頃は全然好きじゃなかったんですけどね~、何ででしょうか?」。親子ほどの年の差がある彼が、定年を過ぎた古老の私に質問してきた。「それは君が東京出身だから、あまり美味しい焼き魚を食べてこなかったんじゃないか?」。私がそう返すと「なるほどですね~」彼は得心した顔つきで電子タバコを深く吸い込んだ。

 そんな話をしてから焼き魚を食べたくなり、先週土曜日、ボランティアに行った帰りに焼きサバ定食の店が赤坂にあるのを思い出し、その店で昼食を取ることにした。写真がその焼きサバである。こんがり焼けたサバの半身が食欲を唆る。ご飯と味噌汁のお替りが無料で、鯖出汁なるものも無料で飲むことができた。ふんわり焼けたサバが評判通り美味しかった。

 子供の頃、焼サバがよく食卓に上った。半身の焼きサバを更に半分に切って腹の方を取るか尻尾の方と取るか、姉と争っていた。小骨が少なく身が締まった尻尾の方が我が家では好まれた。今、半分になっていない焼きサバが出されると、贅沢をしている気がする。

 ご飯と味噌汁もお替りして、そして、最後に食べ終えたご飯茶碗に鯖出汁を注いで飲んだ。次回はこの鯖出汁でお茶漬けにしよう。そうだ、T君にこの店を教えてあげようと思い、膨れた腹をさすりながら店を後にしたのだった。






Sunday, October 22, 2023

上弦の月

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 赤坂で飲んで歩いて帰る。
 月がお濠の蓮の葉をほのかに照らしていました。




 

Saturday, October 21, 2023

豊後森にて

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 写真は豊後森機関庫公園を通りかかったJR九州が誇る寝台列車「ななつ星」を後方から撮ったものである。見物客に嬉しそうに手を振り返す女性の無邪気な笑顔が可愛らしい。
 今年は豊後森駅を3回も訪れている。ウオーキングで2回、妻との小旅行で1回。豊後森は私の好きな町のひとつである。

 豊後森は大分県玖珠郡玖珠町にある。江戸時代は豊後森藩として1万4千石を所領していた。藩主の久留島氏はもともとは伊予の来島にあったが、西軍が敗れたために改易となる。その翌年、藩主の妻の伯父にあたる福島正則の取りなしで、豊後森に移封され立藩を許される。
 瀬戸内の海賊衆の一族郎党が、九州の山奥に国替えした時のことを思うとやるせない思いがする。藩主は雲海に突き出る豊後の峰々を瀬戸内の島々に見立て、伊予に思いを馳せたらしい。
 そう言えば以前職場に久留島さんという女性がいた。久留島氏の末裔か?と聞いたら、「分家にはなりますがそうです。」と言っていた。上品な方だったが、彼女の祖先も海賊で暴れ回っていたのかと思うと、彼女の上品さとのギャップが可笑しかった。今はどうしているのだろうか。彼女のことを思い出したのだった。



Saturday, October 07, 2023

雲仙ハム

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 先日、居酒屋で雲仙ハムのハムカツを食べた。近年、居酒屋のメニューで雲仙ハムをよく見かけるようになった。
 雲仙ハムは厳密に言えばハムではなくソーセージである。主に島原産等の国産の豚で昔ながらの製法で作られているらしい。豚の旨味が強く感じられるソーセージで、「雲仙」と言う響きに何だか高級感を感じる、居酒屋のメニューの中で少しハイカラな存在である。

 雲仙ハムは商品に添えられている案内書によると、戦前、創業者が大陸にて白系ロシア人からその製法を学んだらしい。
 明治期、雲仙では外国人向けのホテルが開業し、日清戦争後はハルピン、ウラジオストクからのロシア人避暑客で賑わい、「西の雲仙、東の軽井沢」と称された時代があった。またプチャーチンの時代から日露戦争までは、ロシア極東艦隊が越冬のために長崎に寄港していたらしく、足を伸ばして雲仙まで湯治に来ていたようである。

 ここからは私の勝手な想像だが、創業者は雲仙を訪れたロシア人と交流を深め、ウラジオストックに渡りこのソーセージの作り方を学んだのだろう。
 創業者は日本海を渡りウラジオストックに上陸し、そこで西洋を目の当たりにする。ソーセージなるものを初めて口にしその旨さに驚き、製法を教えてもらったのではなかろうか。そのような交流が昔あったことを思うとロマンがあり、実は戦前の方がグローバルな社会だったのではないかと思ってしまう。

 そう言えば昔、会社に島原出身の女子社員がいて、祖父はロシア人と言っていたことを思い出した。今にして思えば、このような雲仙・島原地方の歴史的な交流の中に彼女のルーツもあったのだろう。

 今度雲仙ハムを食べる時は、そんな海を越えたロマンに思いを馳せながら、雲仙ハムを食べてみたいと思う。



Sunday, October 01, 2023

お好み焼き

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 以前から気になっていたお好み焼屋に女房と二人行ってきた。場所は地下鉄祇園駅の近く。祇園で飲んだ時に店の前を通って、前から気になっていた店である。いつかお好み焼きが好物の妻に教えてやろうと思っていたのである。

 元来貧乏性で、昔からいつも一番安い豚玉を頼んで満足していた。ミックスとかそんな贅沢はしてはいけないと思っていた。昨日も豚玉を頼もうとしたら妻が、自分が頼むモダン焼き(そば入り)とシェアするので、ミックスにしてと言い出した。
 妻がそう言うならとミックスを頼むことにした。写真がそのミックスである。豚にイカ、そして小エビが入っていて、何よりも驚くほどふんわりとしていた。昔、食べていた重たいお好み焼きとはまるきり別物である。
 私は普段お好み焼きを食べないが、私が知らぬ間に九州のお好み焼きも進化したのだろう。食べ終えてその美味しさに満足したのだが、昔のドテッとした重たいお好み焼きが懐かしく思えたのだった。


Saturday, September 23, 2023

百道浜の誓い

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 海に向かって三人は、きっと何かを誓ったのだろう。
 波音に掻き消されながら。






Sunday, September 17, 2023

中洲Jazz

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 中洲ジャズは、博多の中洲を中心に開催されるジャズ・フェスティバルである。ジャズを通して中洲をより活気あふれる街にすることを目標に、2009年から毎年9月に開催されている。
 中洲界隈に8つのステージが設けられ、2日間、さまざまなアーチストがステージで熱演を繰り広げる。なんと言っても、そのステージすべてを無料で観覧できるのが、中洲ジャズの最大の魅力である。無料で聞かせてもらったお礼に、私は実行委員会が販売するマフラータオルを必ず買うようにしている。

 昨夜は会社の仲間と4人で中洲に繰り出した。中洲本通りのステージをひとつずつ見ていく。途中、コンビニでハイボールを買って、喫煙所でタバコを吸いながら演奏に耳を傾ける。日が落ちて街が夕闇に包まれて行く。そんな黄昏の中をトランペットの音色が響き渡る。心地よい瞬間である。
 最後に予約しておいたビアホールのテラス席で、遠くから聞こえてくる演奏に耳を傾けながら酒を飲んだ。那珂川の歩道を行き交う大勢の人たちを眺めながら、長かったコロナ禍が収束し、ようやく平常が戻ってきたことを実感したのであった。




Thursday, August 31, 2023

夏の終わりに

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 ビル取り壊しで閉店したと思っていた行きつけのラーメン屋が
 近くで営業を再開していることに昨日気づいた。
 もう食べれないと思っていたので、見つけた時は驚喜した。
 
 後輩とバーで飲んだ帰り、そのラーメン屋の暖簾をくぐる。
 運ばれてきたラーメンに、お久しぶりですと手を合わせすすり始める。 
 後輩が僕のグラスにビールを注いでくれる。
 チャーシュー1枚目を頬張る。
 どんぶりを抱えスープを飲む。
 半分ぐらい食べ終えて紅生姜を入れる。
 チャーシュー2枚目を食べ終え、替え玉すべきか思案する。
 いやいや、ここはぐっと我慢しなければ。

 気が付けば、どんぶりは空になっていた。
 気が付けば、夏も終わろうとしていた。


Sunday, August 27, 2023

しょうゆうどん

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 夏の終わりに女房とうどんを啜りに行った。
 頼んだのはしょうゆうどん。すだちを絞って生醤油を掛けるだけ。
 あゝ、うまかった。 
 あゝ、8月が終わろうとしていた。




Sunday, August 06, 2023

夏祭り

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 私の住む地域の夏祭りに妻と出かけた。毎年8月初めの土曜日に開催されており、小学校のグランドに櫓が組まれ、地元小中学校やサークルなどが歌や踊りを披露する。
 テントがいくつも張られ、PTA等がビールやジュースにかき氷、ホットドックに焼きそばなどのお店を出店する。ここ数年わが町にも外国人の居住者が増え、出店もベトナム料理やネパール料理の店など国際色豊かになりつつある。大勢の人で賑わい、私も毎年楽しみにしている。

 グランドに用意されたビールケースの上に板を渡したベンチに腰掛け、ビールを飲みながら余興を見る。ようやく日が暮れ提灯に明かりが灯る。浴衣を着た小さな女の子が母親にかき氷を食べさせてもらっている。そんな光景を眺めながら娘たちが幼かったころを思い出しながらビールを飲む。おもちゃを買ってあげたこと。一緒に盆踊りに参加したこと。夕暮れ時の太鼓の音が響き渡る中、しばしタイムスリップしたような感覚になったのであった。





Sunday, July 30, 2023

甑大橋

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 七月の三連休で友人たちと甑島を訪れた。4年ほど前から夏は離島に行くことが、友人たちとの間で恒例行事となりつつある。今年はどこに行くか、友人たちと5月に話し合った。近場で済ませるか、それとも遠出するか。リゾート地ではない島に行くことが暗黙のルールになっており、友人の一人が甑島を提案した。

 串木野から船に乗り、1時間半ほど船に揺られる。船旅を味合うには遠すぎず近すぎない距離である。港でレンタカーに乗り込み、島を橋伝いに南下していく。写真は甑大橋の展望所から撮ったものである。まぶしい夏空の下に気品のあるカノコユリが咲き乱れていた。

 甑島列島は上甑島、中甑島、下甑島の三島で構成されており、それぞれの島が橋で繋がっている。中甑島と下甑島をつなぐ甑大橋の開通は2020年であるから、数年前まで上甑島・中甑島から下甑島への交通手段は船に頼るしかなかった。1960年より甑島の自治体4村は陳情を重ね、60年かけてようやく開通。大橋開通は島民たちの悲願であったろうと想う。

 断崖が屹立する風景の中に、カノコユリが静かに揺れている。遠い昔よりこの花はこの島に群生していたのだろう。まぶしい青空の下、海流とともに南から吹く風に、太古より揺れていたのだろう。そんなことを考えながらこの景色を眺めていた。



Sunday, May 14, 2023

豊味軒

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 写真は島根県の益田駅前にある中華料理屋「豊味軒」のラーメンである。3月に友人たちと山陰を旅し、列車の乗り換えで益田駅で途中下車し立ち寄った。

  店の中はテーブルのセットが5つ。ソファーのような革張りの椅子に白いテーブル。カウンター席はなく中華料理屋と言うよりも、昭和の喫茶店のような雰囲気である。店内はほぼ満席で途絶えることなく客が出入りしていた。

  豊味軒の開業は1960年。益田市に初めて出来た中華料理屋らしい。翌年の1961年に益田駅の駅舎(現駅舎)が竣工しているから、その1年前に豊味軒は開業している。当時は駅名も益田駅ではなく石見益田駅だったようである。戦後の荒廃からようやく復興を果たし、急速に工業化が進もうといている高度経済成長期の真っ只中に豊味軒は開業した。

 おそらく益田市民はこの店にまつわる思い出があるだろう。家族やあるいは会社の仲間とテーブルを囲み、みんなで談笑しながら中華料理に箸を伸ばした良き思い出があるだろう。そんな空想をさせてくれる店である。

  そんな雰囲気の中で鶏ガラスープの優しいラーメンを食べた。勘定を済ませレジに置いてあった出前用のメニュー表をもらい店を出る。乗り込んだ列車の中でそのメニュー表をしばし眺めながら、もし今度行くことがあったら何を食べようか、そんなことを考えながら益田を後にした。



Sunday, May 07, 2023

九重

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  久しぶり九重を歩いた。妻と二人、博多駅5時13分の始発に乗り、久留米駅で久大本線に乗り換え、豊後森駅に8時前に到着。豊後森からはコミュニティバスに乗って飯田高原へ向かう。

 連休初日は清々しい五月晴れの天気に恵まれた。膝の調子が悪いので山には登らなかったが、飯田高原をゆっくりと歩きながら宿へと向かう。鳥たちのさえずりが聞こえ、道端には小さな花々が可憐に咲き、時折吹く風が草原の草を撫でる。正面に見える山々を女房に自慢気に説明しながら、初夏の陽気の中をひたすら宿まで歩いた。

 宿に着くと久しぶりに合う宿の息子が温かく迎えてくれた。すぐに温泉に浸かることにする。風呂は貸切状態。湯船に浸かりながら足を揉み、自分の足を労う。ほのかに硫黄臭のするお湯が体全身に染み渡っていくような気がした。

 風呂から上がりビールを飲む。山あいの宿は日が落ちると冷え込んできた。薪ストーブに火が入り、居合わせた登山客とストーブを囲みながら登山談義を咲かせる。女将さんの山菜料理を肴に酒は進み、夜は深々と更けて行った。

 翌朝、朝食を済ませ女将さんが淹れてくれたコーヒーを飲み終え宿を後にした。妻と二人、バス停までの道を歩いて行く。何度も振り返りながら見送ってくれた女将さんと息子に手を振り、森の中の道を歩いてバス停に向かった。