Sunday, December 24, 2023

とあるBarにて

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  誰かと話したくて、人はバーに行くんじゃないですか。
  酒は饒舌になるための潤滑油であり、カウンターはトークショーのステージであり
  さしずめあなたは黒柳徹子なんじゃないですか。




Tuesday, December 19, 2023

画伯のこと

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 画伯と初めて会ったのは新緑がまぶしい初夏の四王寺の森の中だった。女房と二人山頂を目指している途中道に迷っていると、初老の男性が一人ゆっくりと登ってきて、私たちに道を教えてくれた。
 その男性はこの麓に住んで絵を書いていると言って私に名刺をくれた。主に九州の里山の風景を書いているらしく、今度個展をする際は案内状を出すのでぜひ来てくれと言われ、名前と住所を交換した。以来我が家では彼を画伯と呼ぶようになった。それから半年後、画伯から個展の案内状が届いた。会場は太宰府のとある喫茶店。先日、女房とふたりでその店に行ってみた。

 お店につくと画伯はカウンターの奥に座っていた。私が挨拶すると画伯は立ち上がり、会場内の絵をひとつひとつ説明してくれた。阿蘇、九重、由布岳、それに富士山の絵もあった。写真は購入した画集に載っていた阿蘇五岳の風景である。観音様が寝ているように見えることから、「寝観音」とか「涅槃像」とか言われる風景であり、私の大好きな風景である。

 画伯は3人兄弟の長男で、二男は版画家、三男は家具職人と三人とも芸術家らしい。二男の作品をスマホで検索して見せてくれたが、画伯と同じように里山の風景や古民家を題材にした作品で、画伯の絵と同じ風情を感じる。私も姉と嗜好が似ていて姉弟であることを実感することがあるが、画伯の絵と弟の版画にも明らか似た穏やかな空気を感じた。

 画伯と小一時間話しをして会場を後にした。また今度、四王寺の森の中で画伯に会えるような気がしたのだった。





Tuesday, December 12, 2023

釜揚げうどん

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 宮崎は釜揚げうどんで〆る。午後10時、通称ニシタチと言われる繁華街のスナックで飲んだ後、N君に先導されうどん屋に行った。宮崎人はうどんで〆ると聞いていたが、有名なうどん屋はどこも列が出来ていた。その列に並んで順番を待つ。20分ぐらい待ってようやく席に案内された。

 メニューは釜揚げうどんと釜揚げうどん卵入りの2種類にいなりだけ。何とも潔いではないか。ようやく釜揚げうどんが運ばれてくる。写真がその釜揚げうどんである。博多のうどんに比べると麺はかなり細く、五島うどんのようである。奥のテーブルで職場の飲み会の帰りと思われるグループの若い女性が、「美味しい!このつゆに浸かりたい!」とか言っている。つゆは少し甘めで小ネギと細長い揚げ玉、それに柚子の皮が入っており、やさしい味付けである。

 聞くところによると釜揚げうどんを出すお店は宮崎市近郊で100軒以上あるらしい。宮崎は地理的に四国に近く、江戸時代から交流があり、明治以降に四国から多くの移住者が移ってきたために、うどんが食文化として根付いたらしい。日向灘を渡って四国から伝わった釜揚げうどんに心もお腹も満足してホテルに帰ったのであった。



Sunday, December 10, 2023

日南海岸

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 先週、会社の仲間と宮崎までドライブした。九州自動車道を都城まで走り、一泊二日で都井岬、日南、宮崎、高千穂、南阿蘇を回って帰ってきた。同じ九州ではあるが宮崎は遠い。宮崎を訪れるのは実に35年ぶりだった。

 仲間のN君が以前宮崎にあった支店に勤務していたので、N君の運転で宮崎県を南から北上するように走った。35年の間に新しい道路も出来たようである。所々にトンネルが掘られ、沿岸の道路もショートカットされていたが、時々、車窓に広がる見覚えのある景色に、若かった頃のことを思い出した。
 高校二年生の夏、友人と三人で汽車に揺られて油津駅まで行ったこと。高校を卒業して友人4人と夜通し車を運転し、たどり着いた日南の浜辺で朝日を浴びながら泳いだことなど、どれも思い出深い。その頃からすると40年以上の時が経っている。日南の海を眺めながら、遠い昔を思い出したのだった。



 

Thursday, December 07, 2023

Monday, December 04, 2023

笹川にて

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 銚子に向かう途中、JR成田線の笹川駅で途中下車した。笹川は千葉県香取郡東庄町にある町で、天保水滸伝の話はここ笹川を中心に繰り広げられる。

 天保水滸伝は、天保から嘉永にかけて下総一帯で繰り広げられた飯岡助五郎一家と笹川繁蔵一家の抗争の話であり、主人公の笹川繁蔵はここ笹川の侠客である。講談や浪曲で有名な演目であり、私は特に「笹川の花会」の演目が大好きである。銚子電鉄に乗りに行く計画を立てていた時、笹川を通ることに気づき旅の訪問先に加えたのであった。

 笹川駅から歩いて15分ほどで諏訪神社の境内にある天保水滸伝遺品館にたどり着く。ここには、笹川繁蔵が愛用していたキセルや三度笠、剣客平手造酒が使用した手鎗に徳利などの他に、重要文化財として保存されている古文書などが展示され ている。
 職員に従って館内に入ると、パンフレットと観光案内が入ったクリアファイルを渡された。私が一眼レフを肩からぶら下げているのを見ると、撮影は自由、バンバン撮ってSNSやYou Tubeにアップしてくれと言われる。
 職員の簡単な説明を聞いた後に、なぜ、江戸からも遠く離れ、また、銚子港までも距離のある小さな農村に侠客が集ったのかを聞いてみた。職員の方はすこし考えた後に、もともとこのあたりは幕府直轄地や大名、旗本の小規模領地が複雑に入り組んでおり、この一帯の取り締まりが緩やかだったからではないかと言う。
 職員の方はそう説明した後に、ただ彼らは弱きを助け強気をくじく任侠の徒であり、今のヤクザとは違うんだと熱く語られた。そう説明してくれる職員の方の風貌が色黒で頬骨高く背丈もあり、侠客のように見えて仕方なかったのである。

 遺品館を後にして近くのお寺にある笹川一家三人衆の碑に手を合わせる。お腹もそろそろ空いてきた。近くの高橋食堂で昼食を取り、最後に演目「笹川の花会」の舞台となった宿屋「十一屋」跡を見ることにする。写真がその高橋食堂の半チャンセットである。ベーシックな醤油ラーメンにチャーハン。そして小さな冷奴が付いていた。

 お腹いっぱいになって、食堂からほど近い「十一屋」跡に立つ。ここに関東一円の親分衆が集まって花会(親分衆が集まって行う賭場のこと)が行われたのかと思うと身震いがする。ここで繰り広げられた茂蔵の侠気、そしてその後悲運を遂げる笹川一家に思いを馳せて、笹川の地を後にしたのだった。


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(十一屋)