Sunday, October 29, 2023

豚バラの焼き鳥


 写真は豚バラの焼き鳥である。近所の焼き鳥屋で撮ったものだが、肉厚といい飴色の焼き加減といい見事である。ご家族で営まれている小さなお店で、店内はいつも常連客でいっぱい。このあたりの住民から愛されている焼き鳥屋である。

 九州、こと福岡に至っては焼き鳥と言えば豚バラであり、焼き鳥屋で豚バラを頼まない者はいないだろう。最近はぐるぐるに巻いた鶏皮が博多の名物みたいにもてはやされているが、はっきり言って邪道である。王道は豚バラなのである。この豚バラに一味唐辛子をかけて食べるのが福岡の流儀であり、そして脇には酢だれがかかったキャベツが添えられる。
 東京にいた時分に驚いたのが、焼き鳥屋に豚バラがなく、その代わりに「焼きとん屋」なるものが存在すること。そして焼き鳥に唐辛子ではなく練からしをつけて食べることだった。

 春先、中途採用した男性社員が東京から出張で福岡に来た際、会社近くの居酒屋に連れて行った。店に入り餃子やニラ玉などと一緒に豚バラを注文したが、彼は豚バラだけは手を付けなかった。東京人の彼からすれば豚の串焼きは獣臭く、もしかするとジビエ料理に近い位置にあるのかもしれない。
 しかしながら彼は、最後に注文したとんこつラーメンは、「美味いですね~、東京に帰るまでにもう一回食べたいです。」と嬉しそうに言ってのけた。とんこつラーメンの獣臭はOKなのだった。



Wednesday, October 25, 2023

焼きサバ

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  会社の喫煙所で若手社員のTが私に話しかけてきた。「最近、焼き魚にハマってるんですよ。子供の頃は全然好きじゃなかったんですけどね~、何ででしょうか?」。親子ほどの年の差がある彼が、定年を過ぎた古老の私に質問してきた。「それは君が東京出身だから、あまり美味しい焼き魚を食べてこなかったんじゃないか?」。私がそう返すと「なるほどですね~」彼は得心した顔つきで電子タバコを深く吸い込んだ。

 そんな話をしてから焼き魚を食べたくなり、先週土曜日、ボランティアに行った帰りに焼きサバ定食の店が赤坂にあるのを思い出し、その店で昼食を取ることにした。写真がその焼きサバである。こんがり焼けたサバの半身が食欲を唆る。ご飯と味噌汁のお替りが無料で、鯖出汁なるものも無料で飲むことができた。ふんわり焼けたサバが評判通り美味しかった。

 子供の頃、焼サバがよく食卓に上った。半身の焼きサバを更に半分に切って腹の方を取るか尻尾の方と取るか、姉と争っていた。小骨が少なく身が締まった尻尾の方が我が家では好まれた。今、半分になっていない焼きサバが出されると、贅沢をしている気がする。

 ご飯と味噌汁もお替りして、そして、最後に食べ終えたご飯茶碗に鯖出汁を注いで飲んだ。次回はこの鯖出汁でお茶漬けにしよう。そうだ、T君にこの店を教えてあげようと思い、膨れた腹をさすりながら店を後にしたのだった。






Sunday, October 22, 2023

上弦の月

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 赤坂で飲んで歩いて帰る。
 月がお濠の蓮の葉をほのかに照らしていました。




 

Saturday, October 21, 2023

豊後森にて

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 写真は豊後森機関庫公園を通りかかったJR九州が誇る寝台列車「ななつ星」を後方から撮ったものである。見物客に嬉しそうに手を振り返す女性の無邪気な笑顔が可愛らしい。
 今年は豊後森駅を3回も訪れている。ウオーキングで2回、妻との小旅行で1回。豊後森は私の好きな町のひとつである。

 豊後森は大分県玖珠郡玖珠町にある。江戸時代は豊後森藩として1万4千石を所領していた。藩主の久留島氏はもともとは伊予の来島にあったが、西軍が敗れたために改易となる。その翌年、藩主の妻の伯父にあたる福島正則の取りなしで、豊後森に移封され立藩を許される。
 瀬戸内の海賊衆の一族郎党が、九州の山奥に国替えした時のことを思うとやるせない思いがする。藩主は雲海に突き出る豊後の峰々を瀬戸内の島々に見立て、伊予に思いを馳せたらしい。
 そう言えば以前職場に久留島さんという女性がいた。久留島氏の末裔か?と聞いたら、「分家にはなりますがそうです。」と言っていた。上品な方だったが、彼女の祖先も海賊で暴れ回っていたのかと思うと、彼女の上品さとのギャップが可笑しかった。今はどうしているのだろうか。彼女のことを思い出したのだった。



Saturday, October 07, 2023

雲仙ハム

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 先日、居酒屋で雲仙ハムのハムカツを食べた。近年、居酒屋のメニューで雲仙ハムをよく見かけるようになった。
 雲仙ハムは厳密に言えばハムではなくソーセージである。主に島原産等の国産の豚で昔ながらの製法で作られているらしい。豚の旨味が強く感じられるソーセージで、「雲仙」と言う響きに何だか高級感を感じる、居酒屋のメニューの中で少しハイカラな存在である。

 雲仙ハムは商品に添えられている案内書によると、戦前、創業者が大陸にて白系ロシア人からその製法を学んだらしい。
 明治期、雲仙では外国人向けのホテルが開業し、日清戦争後はハルピン、ウラジオストクからのロシア人避暑客で賑わい、「西の雲仙、東の軽井沢」と称された時代があった。またプチャーチンの時代から日露戦争までは、ロシア極東艦隊が越冬のために長崎に寄港していたらしく、足を伸ばして雲仙まで湯治に来ていたようである。

 ここからは私の勝手な想像だが、創業者は雲仙を訪れたロシア人と交流を深め、ウラジオストックに渡りこのソーセージの作り方を学んだのだろう。
 創業者は日本海を渡りウラジオストックに上陸し、そこで西洋を目の当たりにする。ソーセージなるものを初めて口にしその旨さに驚き、製法を教えてもらったのではなかろうか。そのような交流が昔あったことを思うとロマンがあり、実は戦前の方がグローバルな社会だったのではないかと思ってしまう。

 そう言えば昔、会社に島原出身の女子社員がいて、祖父はロシア人と言っていたことを思い出した。今にして思えば、このような雲仙・島原地方の歴史的な交流の中に彼女のルーツもあったのだろう。

 今度雲仙ハムを食べる時は、そんな海を越えたロマンに思いを馳せながら、雲仙ハムを食べてみたいと思う。



Sunday, October 01, 2023

お好み焼き

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 以前から気になっていたお好み焼屋に女房と二人行ってきた。場所は地下鉄祇園駅の近く。祇園で飲んだ時に店の前を通って、前から気になっていた店である。いつかお好み焼きが好物の妻に教えてやろうと思っていたのである。

 元来貧乏性で、昔からいつも一番安い豚玉を頼んで満足していた。ミックスとかそんな贅沢はしてはいけないと思っていた。昨日も豚玉を頼もうとしたら妻が、自分が頼むモダン焼き(そば入り)とシェアするので、ミックスにしてと言い出した。
 妻がそう言うならとミックスを頼むことにした。写真がそのミックスである。豚にイカ、そして小エビが入っていて、何よりも驚くほどふんわりとしていた。昔、食べていた重たいお好み焼きとはまるきり別物である。
 私は普段お好み焼きを食べないが、私が知らぬ間に九州のお好み焼きも進化したのだろう。食べ終えてその美味しさに満足したのだが、昔のドテッとした重たいお好み焼きが懐かしく思えたのだった。