Thursday, December 31, 2015

大晦日

最後に追加した項目-140

 郷里で旧友たちとの恒例の忘年会を終え、先程自宅に戻った。写真は鳥栖に昔からある喫茶店で撮ったものである。列車を待つ少しの時間、この喫茶店で軽い食事を取った。
 この喫茶店を訪れるのは実に35年振りぐらいであった。奥行きのある店内を見渡し、昔、この店に来た時のことを思い出してみる。誰と来たのだろうか?友人のYだったろうか?などど遠い記憶を思い起こしながらサンドイッチを食べた。
 客が引けて私だけになるとマスターが「帰省ですか?」と話しかけてきた。昨日帰省し、今からまた福岡に帰るところだと言うと、「うちの息子はもう三年帰って来ていない。」と笑いながら言った。
 それから、あれこれ家族のことなどを話していると、棚に飾られた女性の写真をマスターは指差し「妻が5年前に先立ち、今はひとりでこの店をやっています。」と言った。5年前、商店街組合の旅行先で心筋梗塞で急死されたとのこと。それまで元気に店へ立たれていたらしく、訃報の電話を受けた時に、電話先の相手が何を言っているか理解できなかったらしい。

 心地良くジャズが店内に流れている。長いカウンターにひとり座り、コーヒーをお代わりしてマスターと話した。妻に先立たれ、もうそろそろこの店も終わりにしようかとか思っているとマスターが言った。
「でも、いい時代に店をすることができて、しあわせでした。」
最後にマスターはそう話しを締めくくり、私も席を立った。
「よいお年をお迎えください。」
「また来ます。マスターも、よいお年を。」
そう言って店を出た。外はいつの間にか雨が降り出していた。昨夜友人たちと千鳥足で歩いた通りを、小走りに駅へ向かった。


 みなさん、一年間お付き合いいただきありがとうございました。
 今年は少し怠けて、記事の数が少なかったことを反省しています。
 一年を振り返ると、公私ともにあらたなスタートを切った年でした。
来年はどんな年になるのだろうか?
来年の今頃も笑っていれるように、がんばりたいと思います。

では、よいお年をお迎えください。




 


Wednesday, December 23, 2015

クリスマスソング

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 女子高生の歌うクリスマスソング。
 明るくて、溌剌として。
 良いもんです。




Sunday, December 13, 2015

師走

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 今朝、散髪に行った。
 床屋の親父が「 も〜、いくつ寝るとお正月?」と
 歌いながら浮かれ気分で私に聞いて来た。
 そんなに嬉しいのだろうか?
 いくつになっても、正月は嬉しいのだろう。

 天神は買い物客でごった返している。
 先週、ボーナスが出たところが多いのだろう。
 ボーナスがない私は、ちょっとさびしい気もするが
 紙袋を下げてニコニコしながら歩いている家族連れを見ると、ちょっと嬉しい。 
 お父さん、お疲れさまでした。


  毎日のように喪中挨拶の葉書が届く。
 そろそろ、年賀状の用意をしなければいけない。
 「クリスマスケーキの予約をしてきたから、24日に取りに行ってね」と女房が言う。
 なんでその店を選んだのかと心の中でつぶやく。
 「エビありがとう!」と実家の母から電話があって
 今年の御歳暮がエビだったことを知る。
 流行語大賞の流行語を聞いて、そんな言葉が流行ったか?と今年も首を傾げる。
 
 そうやって、今年も終わろうとしている。
 平和に終わろうとしている。





Monday, December 07, 2015

川崎屋食堂にて

すべての写真-405

 富岡製糸場を後にして駅に向かう。そろそろお昼時である。キャリーケースをごろごろと引きずり、飲食店を物色しながら上州富岡駅を目指す。上司が途中、ここはどうかと言う店があったが、私が却下する。私は駅を降りた時から、お昼は駅前の川崎食堂と決めていた。
 ようやく駅前に着く。表のショーウインドを見てカツ丼に決める。店内に入ると壁に富岡名物のヒレ肉のカツ丼だと張り紙がある。やはりカツ丼で間違いないのである。ビールを飲みながら待つこと10分。出て来たのが写真のカツ丼である。
 普通、カツ丼と言えば卵とじになっているが、富岡名物のカツ丼は、醤油味の少し甘めのタレで軽く煮たカツが、ご飯の上に乗っかっている。サクサクとしたカツは、タレの甘さも程よく、全体的にさっぱりとしてて食べやすい。こんなカツ丼もあるんだと感心しながら、カツ一口につきご飯三口くらいのペースで、ゆっくりと食べ進める。 
 横のテーブルでは若いカップルが、幸せそうに語らいながら食べている。男はオムライス、女はカツカレー。家庭的なカツカレーが実に美味しそうに見える。後から入って来た家族連れの客は、みんなでメニューを覗き込みながら、何にするかうれしそうに悩んでいる。
 そんなほのぼのとした空気の中でカツ丼を食べ進める。土曜日の昼下がり、川崎屋食堂ではささやかな幸せが店内に充満していた。





Sunday, December 06, 2015

富岡製糸場

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 伊香保へ行ったついでに、富岡製糸場を訪れた。私はあまり興味はなかったが、同行していた上司が行こうと言い出したので、行ってみることにした。
 私は興味がないと言うか、映画「あゝ野麦峠」の女工哀史の印象が強く、そんな悲しみがひしめくような場所へ行くのが、気が引けたのである。(あとで知ったが、小説の舞台となったのは富岡製糸場ではなく、長野県の民間の製糸場らしい。)
 そんな先入観から現地に着いて赤煉瓦の工場を見上げた時、諫早市にあった赤煉瓦造りの旧長崎刑務所を思い出した。しかし、館内に入り製糸場の説明書きを読むと、私の先入観はいくらか払拭された。

 明治5年、近代化を目指す日本は外貨獲得のために、フランスの技術を導入し製糸場を建設。富岡で日本初の工場が稼働し始め、士族の娘をはじめとする優秀な若い女性たちがその日本初の工場に集められた。
 彼女たちの1日の労働時間は8時間程度。七曜制が導入されて日曜は休み。年末年始と夏には10日ずつの休暇が与えられ、食費、寮費、医療費は製糸場持ちであったという。
 そんな当時としては恵まれた労働条件・環境の中で彼女たちは、国策を成功させるために大いに貢献した。やがて技術を習得した彼女たちは郷里へ帰り、その培った製糸技術を伝える役割も担った。 富岡製糸場は工場であると同時に、製糸技術の学校でもあった。

 写真は寄宿舎の横に咲いていたバラである。寄宿舎の南側には鏑川が流れ、その先には秩父の峰々が横たわっている。まだ年端の行かない彼女たちは、寄宿舎の窓からその風景を眺め、郷里に思いを馳せただろう。望郷の淋しさを託された使命感で打ち消しながら、この風景を眺めたのだろう。風に揺れるピンクのバラが彼女たちの残像のように思えたのだった。





伊香保にて

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 金曜日、東京出張の帰り、伊香保に行った。
 東京勤務の頃、半年に一度伊香保のホテルで開催される取引先の総会に出席するために訪れていたが、あれから10年、久しぶりの訪問となった。
 写真は石段街から北側に鎮座する中ノ岳、十二ヶ岳を撮ったものである。朝焼けに赤く染まる山々。10年前にもその雄大な景色に見惚れたことを思い出した。
 これらの山々を越え、さらに北へ進めばやがて上州は終わり越後に入る。残念ながら私は越後に足を踏み入れたことがない。 いつかあの山の向こうへ行ってみたいと、石段街に立って、未だ見ぬ風景に思いを馳せたのだった。